89.疲れる依頼
前半は引き続きエリザベスの過去話。後半は現在の時間軸に戻ります。
「絶っ対に認めません!」
「その理由をお聞かせください、お母様」
ビーシス伯爵家の応接室で、先程からアリアが吠えて、それを冷静に受け答えるエリザベスだけが声を発していた。同席している伯爵家家令、テンマとミダース家の補佐官兼副商会長は、どうしたものかとひたすら困りながらその様子を眺めていた。
「共同事業にかこつけて若い娘を騙そうとしている魂胆は見え透いています!」
「もともと、商会の名だけをかすめ取られないように私の婚姻を条件にしたのはお母様でしょう」
「身分が違い過ぎます!」
「お母様は没落して今は残っていませんが公爵家の生まれではありませんか。伯爵家のお父様とは」
「年齢が離れ過ぎです!」
「お父様とは30歳差だと伺いましたが?」
「ああ言えばこう言う!!」
「事実を述べているだけです」
ヘパイス子爵家との話が全てご破算になって、少しずつではあるがビーシス商会に困窮の兆しが目立つようになって来た。しかしそれなりに名の売れた商会であるので、名目と権利だけを奪い取って伯爵家と切り離し、アリアとエリザベスを商会から追い出してしまおうとする動きが見え隠れするようになっていた。その為アリアは商会を伯爵家から切り離されないように、伯爵家が認めたエリザベスの婿のみが共に商会を運営することが可能であるという条件を遺言状に書いて国に申請したのだ。貴族の相続としてはよくある条件なので、それはすぐに受理された。
領地を返上して商会以外に旨味のない伯爵家ではあるが、平民の商人が婿に収まろうと画策した場合、青い血を重視する貴族を敵に回す可能性が高く、落ち目の商会を得るメリットと天秤に掛けて旨味が薄いと判断したらしい。奪い取ろうとしていた者の大半は手を引いた。勿論、貴族も様子を伺ってはいるようだが、何かあればすぐに婚約解消して高額の慰謝料をせしめるという社交界の噂がまだ生きているため、名乗りを上げる貴族はなかった。
とは言えアリアも、エリザベスが商会に縛られて伴侶を左右される状況を良しとは思わず、実のところは早々に国内の貴族には見切りを付けて、秘密裏に国外に良い相手がいないかと商談にかこつけて探している現状だった。その為の一時凌ぎに過ぎない条件だったのだ。
そんな折に、叙爵したばかりとは言え貴族であるミダース男爵からの正式な手続きを経た共同事業と婚約の申し出である。アリアは何とか理由を付けて断ろうとしているのだが、何故か味方である筈のエリザベスが片っ端から論破して来て、アリアは完全に混乱していた。
確かに伯爵と男爵では身分が二階級違うが、それでも婚姻出来ない範疇ではない。第一、アリアの実家は事業の失敗により多額の借金を負って没落した公爵家だった。その為身分だけは高いが借金まみれで持参金もない令嬢は、30歳も年上のビーシス伯爵の後妻として嫁ぐことになったのだ。公爵と伯爵も身分は二階級違っているので、アリアが身分差云々を言うには説得力がない。実のところテンマはエリザベスより15歳ほど年上であったが、貴族の政略としてはこれくらいならば珍しくはないし、テンマは甥を養子として引き取って息子がいることになってはいるが初婚である。もはやアリアに身分や年の差のことで反対する立場は最初からなかった。
ひとまず突然の申し出で混乱しているだろうと、後日改めて話し合いの場を設けることだけを決めてテンマは伯爵家を辞することにした。何せ興奮状態のアリアの顔色が赤くなったり青くなったりを繰り返して、最終的には白くなってしまった時点で強制終了となったのだった。
「あの!ミダース卿!」
ビーシス伯爵家の玄関を出たところで、エリザベスが小走りに追いついた。彼女の少し高めの声は可愛らしく、もう成人を過ぎているのに少女のような可憐さを含んでいた。
「この度はこのような突然の申し出、失礼いたしました」
「いえ、こういったことはいつになっても唐突なものですわ」
「それはそうですね」
「あの、少々お伺いしたいことが」
「私がお答え出来ることでしたら何なりと」
エリザベスは標準的な女性よりも少しだけ長身ではあるが、側に立つテンマははるかに大きい。その為近くに立って見上げると、エリザベスでもほぼ真上を向いてしまう程だ。
「何故、ミダース卿は何故このような条件に申込んだのですか?ミダース商会は我が家と縁を結ぶ必要があるとは思えない程に大きな商会でしょう?正直、ミダース卿に旨味があるとは思えません」
「…随分と率直な物言いをされますね」
「遠回しがお好みでしたら合わせますが?」
「いいえ。そのままで結構です。貴女は…ビーシス商会は、扱う商品をとても大事に扱っている。ウチの商会も同じです。商品と、作る人間と、使う人間。全てを大事に思っています」
「ええ」
「分野は違えど同じ志を持つ商会が、みすみす心ない者達に蹂躙されるようなところは見るに忍びない。もともと力のある商会です。今を乗り切れば立て直すことも可能でしょう。その為の共同事業の提案でしたが、その…」
テンマは言葉を探そうとして少しだけ口ごもった。
「おまけで私が付いて来たと」
「とんでもない!貴女は大変魅力的な女性です。それなのにこんなむさ苦しいおじさんが婿入りなどはむしろ申し訳ないと思っています。ですが条件は横槍を避ける為に今はそのままにしておいた方がよろしいでしょう。なので、しばらくの間は仮の婚約を結んで、事業が安定しましたら条件を見直すことにしてはどうか、と」
「つまりは、婚約者というよりは業務提携のパートナーという立場、と理解すればよろしいでしょうか?」
「ああ!そうですそうです。業務提携のパートナーは分かりやすいですね」
テンマの言葉に、エリザベスは口元に指を当てて小首を傾げた。彼女の言葉に、テンマは得心が行ったと言わんばかりに大仰に頷いた。
「あと、仮にしろ、婚約を結んでもよろしいのですか?その…どなたかお相手の方などは」
「全くいないので問題ありません!」
「会長、そこは自慢げに言わないでください」
「お前だって知ってるだろ、俺がモテないの」
テンマの後ろで控えていた副商会長が会話に割り込むような形にはなったが、言わずにはいられなかったようだ。それだけで彼らの距離の近さと信頼関係が何となく透けて見えて、エリザベスは思わずクスリと笑ってしまった。それが聞こえてしまったらしく、二人は思わず顔を見合わせて軽く咳払いをして表情を引き締めた。
「ビーシス伯爵令嬢もよろしいのですか?仮とは言え…」
「問題ありませんわ」
テンマの言葉にやや被せるように、エリザベスはにっこりと笑って同じように返した。もしこの場に彼女の母のアリアがいたとしたら、エリザベスの微笑みの質が明らかに変化していたことに気付いたかもしれないが、この場に居合わせたのはほぼ初対面の男性二人である。その変化が意味することに一切気が付かないまま、再訪を約束してそのまま帰って行ったのだった。
(今は仮でも、必ず本契約に漕ぎ着けてみせますわ…!)
まだ未熟と言えど、幼い頃から次期伯爵家当主と商会長として学んで来た彼女である。手酷く裏切られた形になった婚約解消で心が折れていたが、もともと気丈な性質なのだ。エリザベスは、体の中に新たな熱が芽吹くのを感じていたのだった。
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「今はその方は婚約者候補ではありますが、ミダース商会の後継者が成人を迎えると同時に商会長も引退して相談役になることが決まっております。それを持ちまして正式に我が家の婿としてお迎えすることを公表する予定です」
当初の話し合いでは、婚約は仮として、共同事業が軌道に乗りビーシス商会が危機を脱した時点で解消するという方向になっていた。だが、そこでエリザベスが「二度も婚約解消をした自分の元にその後も縁談があるか分からない」と主張した。アリアもそのことは気にしていたのだろう。
そこでエリザベスは、衆目の中でテンマから奪う形で求婚するような人物が現れたことにして婚約解消と婚約発表を同時に行えば良い、という形に持って行くことに成功したのだ。政略で伯爵の元に嫁いだアリアは、運命的な物語に憧れを持っていることを熟知しているエリザベスに「婚約者の運命の恋人だということを悟って、それを知って静かに身を引く大人のライバル」ということにすればいいと上手く丸め込まれて、そのような無茶な条件を呑んでしまった。
そしてテンマが息子に全てを譲渡するまでにそのような人物が現れなかった場合は、条件の通りテンマを婿として迎えることを約束する、と見事に言質を勝ち取ったのだった。それは実質、エリザベスはテンマ以外を選ぶ気はないので既に確定している未来であった。
因みにその時のテンマはうっかりエリザベスの勢いに流されて、気が付けば全てサインを済ませた契約書を持ったままミダース家の屋敷に戻る途中だった。
「それでも母は今の候補、テンマ様には納得していないようで、何とか私に求婚する令息がいないか探しているのです」
「それで縁談の打診を…いや、初対面の男に頼むよりは、今の候補の方が人となりも分かっているから信頼できるのでは…?」
「仰る通りです。そのことは母も分かっているのですが、どうにも意地になっているようで…」
「あの、娘の貴女は今の方がいいと望んでいるのですよね?何故そのように仲を裂くようなことを」
「私を自分と同じような目に遭わせたくない、とのことです。テンマ様もその気持ちが分かると仰られて、期限までは母の思うようにさせてあげて欲しいと」
「同じような?」
「私の父と母は、随分と年齢が離れておりました」
ビーシス伯爵は前妻との間に子はなく、爵位や資産は縁戚に譲る予定だった。だがその縁戚が、アリアの実家に利益が見込めないと分かっている投資話をわざと持ちかけて、借金を負わせ没落させてしまった。ビーシス伯爵は責任を取る形で自分の資産の一部を譲る目的で30歳も年下のアリアを後妻に娶ったのだった。しかし予想外に後継である娘のエリザベスが産まれ、そして娘が一歳にならないうちにビーシス伯爵が病死してしまった。
前妻には子は出来なかったのに嫁いですぐに娘が産まれた上に、婚姻から二年余りで伯爵が急逝したことで、アリアには周囲からの疑いの目が向いた。アリアは疑いを払拭しようと奔走し、疾しいところは一切ないと証明した後でも随分苦労したそうだ。
「歳の離れた父との婚姻で苦労したそうなので、それを気にしているのでしょう。テンマ様とは両親程ではありませんが、少々年は離れております。そこが母には譲れない部分なようですし、テンマ様も気にされているのです」
「はあ…あの、それで私はその持ちかけて来る縁談をお断りすれば…」
「いいえ、受けていただきたいのです」
「はい!?」
今年、テンマの息子は成人を迎えた。その為、既にミダース男爵の爵位も、商会長の座も全て譲渡の手続きを終えて、残るは彼が婿入りするという公表を待つのみになっていた。もうすぐ開催されるビーシス商会創立記念パーティーでその場が設けられることになり、契約に従ってようやくエリザベスが待ち望んだテンマが、正式な婚約者としてビーシス商会の一員となるのだ。
「ここ数年、テンマ様を衆人観衆の中で倒して私に求婚すれば、伯爵家の婿でビーシス商会の商会長になれると噂が広まっておりまして、私の誕生パーティーや商会の創立記念パーティーなどでテンマ様に決闘を挑む方が絶えないのです」
「それはまた、厄介な噂ですね」
「さすがにテンマ様も、どこの馬の骨かも分からない令息に私を任せることは出来ない、と相手を倒してくれるのですけれど」
「倒す…お強い方なのですね」
聞いているレンドルフも、段々とどういう対応をすればいいのか分からなくなって来ていた。しかしエリザベスはそれに気付かず、すっかり頬を紅潮させて両手を胸の前で組んでうっとりとした表情になった。
「ええ、それはもう!元冒険者でしたので、式典用の型を通り一遍習ったような貴族令息とは出来が違いますのよ!ただ、今回は最後の機会ということでいつもより多くの決闘の申込があると予想されます」
エリザベスは困った顔で眉を下げて、軽く小首を傾げて溜息を吐いた。
「ええと…もしかして私に縁談を受けたことにして、その、テンマ殿に決闘を申込んで負ければいいということでしょうか…」
「それでも構いませんけれど、レン様にはパーティーにパートナーを連れて来ていただければいいのです」
エリザベス曰く、ここでレンドルフが断っても諦めないであろうアリアはパーティーまでに求婚者を探し続けるのは目に見えている。それならばここでレンドルフに縁談を受けてもらったことにして、パーティー当日はそんな話は受けていないとトボケ切って欲しいということだった。
「そんなことが通用するとは…」
「母は人の話を聞きませんから、どうとでもなります。それに私も『パーティーの招待は受けてくれたけれど縁談の承諾はしていない』と口添えしますから。さすがに母もお相手が隣にいる方にゴリ押しはしませんわ」
「お相手ですか?」
「あら、いらっしゃるでしょう?奥様には見えなかったから、婚約者かと思ったのですが」
「え?」
「馬車の少し離れたところで心配そうにレン様を見守っていらした方ですわ。ほら、その後レン様とお話ししてらした黒髪でとても小柄でお綺麗な方が」
一瞬、レンドルフは目を瞬かせたが、すぐにそのエリザベスが指している相手がユリだということに気付いて一気に顔が熱くなった。
「あ、あの…婚約者ではなくて、その、彼女は、同じ冒険者パーティで…」
「冒険者パーティ?では他にもお仲間がいらっしゃいますの?」
「い。いえ、彼女と二人のパーティです」
「ああ…はい、承知しました」
エリザベスは、元冒険者のテンマにねだって冒険者時代の話を良く聞いていた。貴族令嬢では知らない世界の話は興味深く、更にテンマのことは何よりも聞きたかったのだ。その中で、男女ペアのパーティの通説も知り得ていた。その為、ある意味レンドルフよりも正しく察したのだった。
「これから母よりお話があるかと思いますが、是非その方と共に出席してくださいませ」
戸惑うレンドルフに有無を言わせないような圧とともに、エリザベスはにっこりと笑ったのだった。
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エリザベスの予想通り、アリアは危険も顧みずに破落戸を撃退してくれたレンドルフを手放して褒め讃え、是非エリザベスとの縁を繋いで欲しいと申し出て来た。エリザベスに受けて欲しいと言われたものの、やはり即答を迷うレンドルフの態度を更に謙虚で誠実だと評価したらしく、アリアの言葉はますます熱を帯び、後半からは殆どレンドルフの話を聞いていないのではないかと思われた。一応エリザベスにも意見を求めているように話を振るのだが、彼女は曖昧な笑みを浮かべたまま頷くだけなので、気が付くと怒濤のように話が詰められていた。
ただ、アリアもそこまで娘の気持ちを無視はしていないようで、今度の創立記念パーティーでエリザベスの婚約者候補を選定する試験のようなものがあるので是非受けてもらって、正式な候補になった時点でエリザベスとの仲を深めてもらいたい、と最終判断はエリザベスに任せるような形の話になっていた。
貴族の婚姻は、政略的な側面が強ければ強い程親の意見が通されるのだが、アリアはエリザベスの提案も無視するつもりはないようだった。
ただ、「試験のようなもの」と聞かされて実際受けてみたら決闘だったというのは詐欺にはならないのだろうか、とレンドルフはそこだけが気になっていたのだった。
結果的に、押しに押されてレンドルフはビーシス商会の創立記念パーティーに参加することになってしまった。ほぼ決定事項のようになってしまったが、ユリの都合もあるだろうということで、突然のことなので日程の都合が付かない場合もある、とだけ辛うじて伝えて、ビーシス伯爵家を辞したのだった。
帰りは馬車を用意してくれて、エイスの街の入口まで送り届けてくれたのだが、到着した時には先日の迷宮ダンジョンを踏破した時よりも疲労を感じていた。
着ていた服は浄化魔法を施されて一纏めに包まれて渡され、着替えた新しい服は謝礼の一部としてもらって欲しいと懇願された為、レンドルフはそれを着たまま戻ることになった。おかげで着ている服は上等なのに、手にしている荷物が冒険者風とやけにちぐはぐな出で立ちになってしまったが、今のレンドルフはそれを気にするような余裕は残っていなかった。
(ユリさん、ちゃんと帰れたかな…)
色々と報告することが山積しているのだが、とにかく今は戻ってベッドにそのままダイブしたい気分だった。
その日、レンドルフがいつもとは違うきちんとした身なりで一人冴えない顔色のままフラフラと歩いている姿が目撃されたので、ひょっとしてユリに正式に求婚をしたのに玉砕してしまったのではないかと誤解をした者が続出していた。数日後にいつもと変わらない様子でユリと並んで歩いている姿が見かけられるまで、一部の「薬草姫と護衛騎士」の熱烈なファン達がどんよりしていたのは知る由もなかった。