10.レンカ茶と約束
「レンさんの休暇っていつまで?」
焼き上がった追加山鳥の肉をパンに挟み込んで完食した後、川沿いで鍋を洗っているレンドルフに、食後のお茶の支度をしていたユリが声を掛けた。
ユリは最初は自分の出した器具は自分で洗うと言ったのだが、少々食べ過ぎてしまった為に水辺でしゃがみ込んで洗い物をすると色々と人としてマズいことになるということで、レンドルフに洗ってもらっていた。レンドルフも自分も食べたのだから、と嫌な顔一つせずに洗い物を引き受けてくれたので、その礼にとユリは持参して来た薬草茶を淹れることにした。
「あと二ヶ月ちょっと」
「結構長いのね」
「まあ任務から外されたことへの半分謹慎みたいなものだから」
完全な謹慎ではなく休暇扱いなので、外出する分には全く問題はない。だがそれとなく、あまり派手に出歩いたり、領地に戻るのは控えて欲しいとは告げられていた。
レンドルフの事の顛末は、故郷のクロヴァス辺境領にも報せてはある。連絡を受けた現当主の兄夫婦や、年上の甥達はすぐにでも王城の騎士団を辞めて戻って来るよう返事が来た。両親からは、よく考えて判断しなさいと短いがレンドルフを気遣う手紙が届いている。おそらくこれは母親の意見だろう。父親はおそらく兄達寄りの思考回路だが、昔から母には滅法弱い父は母側に付いたのだろう。
レンドルフは、取り敢えずこの休暇が終わるまではこの件の答えは保留する事にしていた。
「二週間後に、エイスのギルドで定期的な魔獣討伐があるの。今登録したら、参加して欲しいって言われるかもね。都合が悪かったり、気乗りしなければ断っても大丈夫だから」
「魔獣討伐は慣れてる方だと思うけど、騎士としか行ったことがないんだ。冒険者と同行した事がないから、却って難しいかもしれない」
「そっか。そうね、無理はしない方がいいわよね。レンさんの魔獣討伐の腕前はすごーく気になるけど」
レンドルフ達がいるこの森の奥には魔獣が出没する。森の浅い場所に来る事は滅多にないが、数が増え過ぎるとはぐれものや、縄張り争いで追われた群れなどが街の方に向かわないとも限らない。その為に国が定期的に依頼を冒険者ギルドに出して間引いているのだ。時期や場所によって冒険者が不足した場合は、駐屯地にいる騎士も参加することになっている。
「まさかとは思うけど、ユリさんは参加しないよね?」
「いやあ、それが実はこの森の討伐は毎回参加してて」
「えっ!?」
「私の場合は、普段一人じゃ行きにくい場所に生えてる薬草を採りたくて、定期討伐には冒険者パーティに一時的に加入させてもらってるのよ」
「その…危険じゃないの?」
「いつも同じベテランパーティに入れてもらってるし、怪我した事はないから。まあさすがに多少のかすり傷くらいはあるけど」
以前からユリは、顔馴染みのCランクのベテランパーティに臨時に参加させてもらい、回復薬や眠り薬などで後方支援を担当していた。討伐に参加した冒険者たちは、仕留めた魔獣の数に応じた報酬をもらうのだが、ユリの眠り薬で眠らせて仕留めた魔獣もパーティの報酬にすると取り決めている。魔獣を彼女の報酬に数えない代わりに、希望する場所に付き添ってもらって貴重な薬草採取をさせてもらう事を交換条件としているのだ。
「無茶するなあ…」
「そんなことないわよ!持ちつ持たれつ、ってやつ?」
「それ聞いたら、何だか俺も参加しないといけない気になって来た…」
「え!ホント!?良かったら私がいつも参加してるパーティ紹介するよ。何なら私がレンさんフォローするし!」
「何かユリさんグイグイ来てない?」
「実は、レンさんの戦い方見たくて…」
レンドルフに洗ってもらった鍋を受け取ってサッと拭いてから、ユリは圧縮の魔道具の中にしまい込んだ。出す時も不思議だったが、目の前でしまわれるのを見てもやはりよく分からなかった。どう見ても入りそうもない小ぶりな箱の中に吸い込まれるように消えて行った。
「俺の戦い方は別に普通だと思うけど」
「なかなか素手で強化剣を叩き折れる人っていないからね…」
あくまでも自覚のないレンドルフであった。
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ポットの中に直接茶葉を入れて、紅茶よりも長時間煮出した薬草茶をカップに注ぐ。抽出時間の割に色は淡い琥珀色で、渋そうには見えない。
「はい、ちょっと香りが独特だから、苦手だったら無理はしないで。普通の紅茶も持って来てるから」
「ありがとう。いただきます」
ユリに手渡されたカップを覗き込むようにして、レンドルフは香りを吸い込んでみた。通常の紅茶などに比べて、やや青臭いというか、草っぽい香りがした。確かに独特ではあるが、苦手というほどではない。ゆっくりと一口啜ると、思っていた以上に甘みを感じた。強い甘みなのに、喉の奥に消えると後味がスッと消える。直前まで甘い味が舌の上に乗っていたとは思えないほどで、この後味のなさは新鮮だった。
「これ、面白い味だね」
「飲めそう?」
「うん。不思議な感じだけど、甘いのがいい」
「レンカ茶って言って、レンカの葉と根を乾燥させたものなの。これ、喉にもいいのよ。咳が出る時は寝る前に飲むと楽になるし、味が苦手な人は湯気を吸い込むだけでも効果があるよ」
「レンカ…あまり聞いたことないな」
「元はミズホ国の植物だよ。でもこの国でも水が合えば育つから、家の薬草園で育ててるの」
「結構貴重なものじゃないの?」
「魔石を使って適した水質にすればいいだけだから、そんなでもないわよ。元は結構強い植物だし」
レンドルフは最初は慣れない様子だったが、甘さが気に入ったのかフウフウと息を吹きかけながら立て続けに飲んでいた。ユリはその様子をジッと見つめていた。その視線に気付いたのか、レンドルフは何とも言えない表情で動きを止めた。
「あ、ごめんね、ジロジロ見ちゃって」
「いや…」
ユリがヘラリと笑うと、レンドルフは目を伏せて再びレンカ茶を啜る。伏し目がちにすると、彼の髪色と同じ薄紅色の長い睫毛の影が頬に落ちる。
「…レンカって、水の中…と言うか、池の泥の中で育つ植物なの。だけど花はずっと上に伸びて、水の上で咲くのよ」
「珍しいね。そういう花は見たことないや」
「泥の中から出て来るのに、花は全く汚れてなくて、大きくて清廉としてて…」
ユリは一度言葉を切って、レンドルフの髪を見つめた。
「とても綺麗な薄紅色をしてるの」
彼女の視線と、このレンカ茶を出して来た意味を悟り、レンドルフはカップの半分ほどになった茶の水面に視線を落とした。
「レンさんの髪を見た時に、思い浮かんだのよ。花の時期になると、池の上を一面埋め尽くすみたいに大きな花が咲いてて、すごく綺麗でね」
「何だか想像がつかないな」
「じゃあ時期になったら栽培池に案内するから見に来て。レンさんは髪色だけじゃなく、咲いてる様子もレンカのイメージにぴったりだなって思うから。上に向かって真っ直ぐに咲く、大きくて凛とした美しい花。レンカは神様のいる場所に咲く花、って言い伝えがあるくらいで、本当に違う世界に来たみたいな光景よ」
「神のいる場所に咲く…何だか光栄過ぎて恥ずかしいな」
レンドルフは少しだけ熱くなって来た頬をごまかすように、まだ十分な熱を持ったレンカ茶を啜った。喉を滑り落ちて行く時に胸の辺りにも伝わる温かさは、レンカ茶の温度だけではないような気がした。
自分にはあまり似合っていないと思っていた可愛らしい色味の髪色が、ほんの少しだけ誇らしく思えた瞬間だった。
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お茶を飲みながら話していたらすっかり日が傾いてしまった。
慌てて後片付けをして、早めに戻ろうと帰りもユリをノルドに乗せ、相乗りで走らせていた。最初に街に入った時に髪色を変えていたので、戻る時も同じでないと不審に思われるだろうということで、変装の魔動具を再起動させていた。
「あ、今日ミキタさんの店で、ミズホ国出身って人に会ったよ」
「もしかしてステノスさん?ええと、ちょっと乾いた色合いの金髪の」
「そう、駐屯部隊の部隊長って聞いた。今日はやけにミズホ国に縁のある日なの、面白いなって」
「飲んでた?」
「うん」
「やっぱり。ステノスさん空き時間はいつも飲んでるから。あ、でもすごく腕はいいし、部隊長としては優秀なのよ」
昔から街にいる人の話だと、30年くらい前に傭兵としてエイスの街にやって来てしばらく暮らした後、「ちょいと野暮用で」とまるで隣町に遣いにでも行くような風情でそのまま姿を消したらしい。その頃、隣国で魔獣が大量発生するスタンピードが起こったり、あちこちの国家間で一触即発な空気があり、その小競り合いの戦闘に巻き込まれて亡くなったと思われていた。だが五年前に、どこからともなく再びフラリと戻って来たという話だった。
ステノスは戻るなり、その時街で問題になっていたスラムをあっという間に制圧して、そこにいた若者の面倒を見るようになった。一時期は治安が悪化して駐屯部隊の騎士達と毎日のようにぶつかり合っていたのだが、ステノスの介入が切っ掛けで一気に改善された。彼を先頭に力の有り余っている若者を鍛え上げ、今では当時の面影が全く見られないほど有能な自警団を作り上げたのだ。その手腕を買われて、駐屯部隊の部隊長に任命されたという経緯だった。彼が部隊長に任命されて以来、かつての対立から当初は犬猿の間柄だった街の自警団と騎士団も連携が取れるようになり、今では夜に女性が一人で歩いていても安全な街として評価が高い。
「へえ、そんなにすごいんだ」
「いつもはお酒飲んでるか、あちこちで誰かと世間話してるおじさん、って感じだけど、すごい目端が利くって言うか。あと、二回くらい魔獣討伐の参加してるのを見たことあるけど、すごく強いよ。普段とは全然違って怖いくらいだった」
「想像もつかないな」
レンドルフの脳裏には、ホクホクと酒を味わっている顔と、器用に箸を操ってコメを食べている姿しか浮かんで来なかった。
「他にも腕自慢の冒険者とかいっぱいいるから、色々参考になるかもしれないよ?」
「…ユリさん、俺を何とか参加させようとしてる?」
「えへへ」
ごまかすように笑うユリに、レンドルフはちょっと困ったように目を向けた。前に座っているので彼女の顔は全く見えない。その代わり、食べている途中で暑くなったのか巻いていたスカーフを外したままになっている彼女の細い首筋が目に入ってしまい、慌てて正面に視線を戻した。
護衛として王女や貴族令嬢の傍にいることもあったが、私的な場で女性と関わる事は殆どなかった。女性と関わった記憶は、ひたすら追いかけ回されている幼い頃だ。
長兄が同じくらいの年には義姉を妻に迎えていて、既に二人の息子と三人目の子が生まれようとしている頃だった筈だ。比べるものではない事は分かってはいるが、レンドルフはあまりにも兄と自分の経験値の差に軽く落ち込みそうになっていたのだった。
「…取り敢えず、前向きに考えてみるよ」
「本当!わあ、楽しみ!」
根負けしたように返答するレンドルフに、ユリははしゃいだ声を上げた。
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街に到着してから閉まる寸前だったギルドの窓口で急いで冒険者登録を済ませ、レンドルフが狩ったホーンラビットの毛皮と山鳥の羽根を提出した。
まだ本日登録したばかりということですぐに手続きは出来ず、査定は後日になるという事だった。新人用のギルドカードを受け取って、幾つかの簡単な説明を受けた。
これさえあればどの国の冒険者ギルドでも通用する身分証となる。本人しか使えず、薬草採取や依頼達成などの報酬はこのカードに紐づいている口座に入るようになっているし、ギルドの任意保険やパーティのプール金の積み立てなどもこのカードがあれば自動で行われるので、これが一枚あるとかなり便利なものであるらしい。
専用口座は本人確認等で数日掛かるので、正式に開設されてからレンドルフが持ち込んだ素材の代金が振込まれるということだった。
家族と共有の口座にしたり、自分に万一があった際に遺産として引き継ぎたい際には別途手続きが必要、とのことだ。
その説明を受けている時、受付窓口の後方でおそらく役職者だと思われる女性がいい笑顔でレンドルフを見ていたのが気になった。が、登録手続きが終わると同時に駆け寄って来て、二週間後の定期討伐の詳細が書かれた紙と申込書を手渡された。どうやらレンドルフにも参加してもらいたいようで、その笑顔の圧が大変すごかった。
少し困って後ろにいるユリをチラリと見たが、彼女も実にいい笑顔でレンドルフを見守っていたのだった。
レンカは蓮、レンカ茶は甘茶のイメージです。
お読みいただきありがとうございます。
10話になりましたが、こんな感じでゆっくり進めて行きます。
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