86.厄介ごとの予感
レンドルフは急いで身支度を整えると、ユリと並んで早足で千年樹を下って行く。
「あのさ…前に話したと思うんだけど、俺、三兄弟の末っ子なんだ」
「う、うん」
「ついでに年の近い甥もいて、男ばっかりの中で育ったんだ」
「そうなんだ」
「だから、ずっとこういう生傷とか絶えなかったし、騎士の訓練とかでも怪我はしょっちゅうなんだ」
「私、余計なことした…?」
「全然!そんなことない!心配してもらえて、手当までしてくれてるのに、絶対そんなことないし、感謝してるよ」
少し大きな段差のある足場をレンドルフは先に下りて、ユリに手を差し伸べる。ごく自然な動作に、ユリはその手を重ねることに躊躇いがなかった。足を降ろそうとすると、タイミング良く支える手に力がかかって体がフワリと浮いて、ユリはやんわりと着地させられる。片方の手を取ったまま、殆ど触れられていないような感覚だったのに背中の辺りに反対側の手でサポートされたらしい。相変わらず悪意や下心を持つ者には反撃を仕掛けるユリの魔道具はレンドルフに一切反応しない。もはや魔道具が壊れているのではないかと疑いたくなるレベルだった。
「ただその、嬉しいんだけど、ユリさんが心配そうな顔をするのが申し訳なくて…」
「だって…どんな小さくても怪我したら痛いだろうし」
「昔からそういう小さな怪我は大抵放置されてたし、騎士はそういう役割な職業だから、多分俺はこれからもユリさんにそんな顔をさせることをやらかすと思う」
いつより早足のレンドルフの横顔は、眉根を寄せて少し寂しげな目をしていた。
「分かってても心配かけさせて、疲れさせて、そのうち愛想尽かされるんじゃないかと思うと…」
「尽かさないよ」
レンドルフの言葉に、ユリは間を置かずきっぱりとした口調で答えた。その勢いに、一瞬レンドルフが足を止めてポカンとした表情になった。その為少しだけユリとの距離が開いてしまい、すぐに我に返って再び早足で歩き出す。レンドルフが並んだところで、ユリは再び口を開いた。
「絶対に尽かさない。私は薬師だもの。まだ見習いだけど。心配が顔に出ちゃうのは私が未熟なせい。本当に腕の良い薬師や治癒士は、どんな時でも、何度でも、笑いながら『大丈夫ですよ』って言うの」
そう言って前を向いて少しだけ胸を張ったユリは、レンドルフの目にはいつもよりも大きく見えた。
「私、幼い頃病弱でね。治療の為に王都のおじい様を頼ってこっちに来たの。その頃のことはあんまり覚えてないけど、でも体が動かなくて、苦しくて、どうにもならなくて目を開けると、必ずおじい様が『大丈夫だよ』って言って笑ってくれた。昼も夜も関係なく苦しむ私に、薬を調合して、必ず『大丈夫だよ』って」
その時のことを思い出しているのか、ユリは自分の顔の前に右手を翳して幸せそうな笑みを浮かべた。
「あ、私が孫だから特別って訳じゃないよ。おじい様は誰にでもそういう薬師なの。薬が、治療が必要な人がいるなら、何度だって手を差し伸べる。安心してもらうように『大丈夫ですよ』って笑ってね。…まあ、時々態度の良くない困った患者さんがいるとちょっと笑顔に圧がかかるけど」
「すごい方だね」
「そうなの。だから私もおじい様みたいな薬師を目指したいの。今は…まだ顔に出ちゃってるけど。だからレンさんが何度やらかしても絶対愛想尽かしたりしないし、何度でも手当てするから!」
「…ありがとう」
ユリの言葉に頬を緩めたレンドルフの目は、いつもよりもほんの少しだけ潤んでいるようだった。
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そろそろ地上が近くなって来た頃、不意に下から剣戟の音をレンドルフの耳が拾った。
「あれは…」
「襲われてる!?」
少し離れた木々の間から、停まっている馬車とその周りに動いている人影が見えた。馬が暴れて近寄れないようだが、馬車を取り囲むように数人の黒っぽい服の人間が剣を振るっている。
「ユリさんはこのまま行って!」
「レンさん!?」
レンドルフはベルトに繋いでいた命綱の金具を外すと、躊躇いなく足場から飛び降りた。まだ地上までは五メートル以上はありそうだったが、レンドルフは近くの木の枝を掴んで、飛び移るようにして二、三度経由してから地上に降り立った。そして馬車に向かって一気に走り出して距離を詰めた。周囲の木の枝が邪魔をして分かりにくかったが、馬車を取り囲んでいた方もレンドルフに気付いて臨戦態勢になった。レンドルフはいつも使っている遠目にも分かる大剣を一閃させると、応戦しようとした二人が吹き飛ばされた。一瞬それに見入ってしまい足を止めて眺めていたが、ユリはすぐに我に返って足場を急いで駆け下り始めた。
地面に着地したレンドルフは、すぐさま地面を蹴って上から確認していた方向へ向かって走り出した。降りた場所からは木々に阻まれて見えなかったが、身体強化で聴覚の感度を上げればすぐに金属のぶつかり合う音と馬の嘶きが聞こえて来る。
木の間から、豪華な馬車と周辺を取り囲む黒っぽい服の集団が見えた。
(強盗か?いや、暗殺者…ではなさそうだな)
レンドルフの視界に入る限りでは相手は男が五人。全員覆面のようなものを身に付けており、人相は判別出来なかった。手にしている武器もそれなりに手入れをされた切れ味の良さそうなもので、身のこなしも悪くない。それなりに剣術の指導を受けた者達だろうとレンドルフは推測した。しかし、こんなに白昼堂々襲うのは随分奇妙な気がした。
何が目的は分からないが、生け捕りにした方がいいだろうと判断して、レンドルフは腰に下げている大剣の金具を走りながら外した。鞘を付けたままであれば、よほどのことがなければ相手も死ぬことはない。多分。
レンドルフに気付いた男達のうち、近い位置にいた二人が向かって来る。相手はレンドルフの生死は問わないと思っているようで、あからさまな殺気を持って剣を閃かせる。一人の方の剣には、馬か馭者を傷付けたのか血が飛んでいた。レンドルフは体を低くして、鞘を付けたままの大剣を横薙ぎに振り回した。レンドルフの長い手足とそれに見合った通常よりもはるかに長く重たい大剣は、相手の男達の間合いを予想以上に抉り、二人まとめて吹き飛ばした。一人は横腹に、もう一人は足の付け根を直撃したので、おそらくしばらくは行動不能になっているだろう。鞘越しとは言え確実に骨を砕いた感触が伝わって来ていた。
「こいつ!」
思わぬ加勢に焦ったのか、残りの男達も一斉にレンドルフに剣を向ける。二人は通常の長剣だが、一人はそこまで長くはないが短剣という程でもない剣で二刀を構えている。しかも少々動きが特殊なので、最も厄介なのはその男だと直感した。
すぐに斬り掛かって来た一人は大した腕前ではなく、攻撃を避けたレンドルフがすかさず足を引っかけてよろめかせたところを剣の柄で首の辺りを叩いて昏倒させた。残ったもう一人の長剣の男は身体強化を利用しての太刀筋が速いのと、二刀の男も動きがトリッキーで何より攻撃の手数が多い。二刀の男は一瞬の隙を突いて、レンドルフの大剣に絡み付くように抱きついた。鞘を払っていないことから、直接押さえ込んでレンドルフの動きを封じる手段に出たのだろう。
動きの止まったレンドルフに、長剣の男が上段から振りかぶる。そしてそのまま容赦なく剣をレンドルフの頭に向かって振り下ろした。
「なっ…!?」
瞬間、男の長剣が砕けた。覆面の下から僅かに覗く男の目が、驚愕に見開かれた。刃のなくなった剣は、柄だけ男の手の中に残り虚しく空を切る。男の体が前のめりに泳いだ刹那、長剣を叩き折ったレンドルフの左手がそのまま伸びて来て襟元を掴む。それと同時に足払いを掛けられて男はいとも容易く宙に浮いて引っくり返され、ズドンと叩き付けられるように背中から落ちて衝撃で声も出せずに息だけを漏らして白目を剥いた。
「ぐぅっ…!!」
レンドルフは更に体に身体強化を重ねて掛けると、大剣に絡み付いている二刀の男ごと強引に片手で振り回した。只でさえ大きな剣に男性一人がくっついている状態なのにも関わらず、それを片手で振り回す。二刀の男もさすがに予想すらしなかったようだ。レンドルフはそのまま男ごと剣を地面に叩き付けようと思ったのだが、絡んでいた二刀の男は手を離そうとしてどこかに引っ掛けてしまったのか、スポン、と鞘が抜けて、鞘を抱えたまま勢い良く飛んで行ってしまった。
「あ」
思わずレンドルフの口から気の抜けたような声が漏れた。振り回した勢いと、男自身の重みでそのまま宙を飛んで、二刀の男は鞘を抱きかかえるという間の抜けた格好のまま停まっていた馬車に叩き付けられた。幸い馬車は頑丈に出来ていたようでどこも破損することはなかったようだが、大きく揺らいだのとぶつかった時に派手な音を立てたので、中から「キャア!」と小さく悲鳴が聞こえて来た。
「あの!ご無事ですか!」
弓矢などで襲撃をされた時に備えて馬車の窓に付けられている鎧戸のような扉はしっかりと閉められているので、外の様子を伺うことは出来ないだろう。中にいる人物からしたら急に大きな音と共に馬車が揺れたので思わず声が出てしまったようだ。声からして馬車に女性が乗っているのは間違いないので、レンドルフは慌てて駆け寄って外から声を掛けた。外から急に声を掛けられたのでどうしたものか戸惑っているような気配がしたが、襲撃者が安否の確認はして来ないだろうということに思い当たったのか、控え目に「大丈夫です」と細い声が返って来た。
「まだ仲間がいるかもしれません。警邏隊か自警団が来るまで、しばらくはこのままにして外に出ないでください」
『わ、分かりました…』
レンドルフが馭者台に回ると、肩を押さえて呻き声を上げている男性がいた。押さえた肩から血が滲み、腕を伝って台の上に点々と染みを作っている。命には別状はないようだったが、出血は多そうだ。
「これを飲めますか?」
「ああ…はい。申し訳ありません…」
レンドルフは腰のポーチから回復薬の瓶を取り出して、封を切って馭者台の上に置いた。馭者は意識はしっかりあるようなので、ひとまず手持ちの通常の回復薬で凌いでもらう。後からユリが来たら診断してもらって追加の回復薬か増血剤を出してもらえばいいだろう。
襲撃者は気を失わせただけなので、いつ目覚めるか分からない為拘束を最優先にしなければならない。レンドルフは手早く倒れている五名を引きずって来てひとまとめにすると、武器を取り上げて鋼のロープで縛り上げる。念には念を入れて、土魔法で足下を固めておいた。更に覆面を捲り上げて口の中も検分する。口の中には毒は仕込まれていないようだった。検分を終えた端から、外した覆面を口に噛ませて猿轡代わりにして、一応自害防止策もしておく。
「武器にも毒はなさそうだな…誘拐か、復讐代行あたりか」
見たところ、着ているものも武器もそこまで粗末なものではない。盗みが目的の者には思えないし、暗殺ならこんな明るいうちに行うことはないだろう。停まっている馬車は豪奢とまでは行かないが、それなりに身分のある者か財を持つ者だとすぐに分かる。身代金目的の誘拐か、身分か財があるということは恨みを買っている可能性もある。何にせよ、ここから先は警邏隊の範疇だろう。
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しばらく周囲を警戒しつつ、馬や馭者の様子を見ていると、ユリがダンジョン入口の商店に駆け込んで説明をしてくれたようで、そこから連絡をしてもらった警邏隊が到着した。
レンドルフが襲撃者を引き渡していると、ようやく安全が確保されたということで馬車の中から女性が二人降りて来た。どうやら母娘らしく、顔立ちはよく似ていた。が、母親と思しき女性は豪華で色鮮やかなドレスを纏い見るからに高級品と分かる宝飾品を身に付けていたが、娘の方は上質ではあるが装飾も少なくシンプルな装いであった。何となく逆ではないかとレンドルフは思ったが、女性の服飾に関してはよく分からないのでそういうものもあるのかもしれないと考える。
「まあまあまあ!この度は私共をお助けいただきましてありがとうございます」
「いえ、当然のことですから」
「こんなにご立派な騎士様が駆け付けてくださるなんて、まるで物語の一説のようですわ」
「しがない一介の冒険者でございます」
「あらまあ…ふふ…そういうことにしておきますわ」
女性の母親の方が、レンドルフを見るなりすごい勢いで近寄って来た。そして早口で一気に捲し立てられたので、レンドルフは思わず一歩後ろに下がった。すると彼女は二歩前に出る。レンドルフは顔に出さないように丁寧な仕草を心掛けたが、何をどう読み解いたのか彼女は意味ありげに笑いを漏らした。視界の端で、娘の方が何か諦観した表情で眉を下げてレンドルフに向かって軽く頭を下げた。彼女の様子から察するに、母親はいつもこんな感じなのだろう。
「是非!是非お礼をさせてくださいませ!どうぞ我が屋敷へお越しになって」
「いえ、その…連れがおりますので…」
「お連れの方には伝言を残せばよろしいのよ!ねえちょっとそこの貴方。この騎士様のお連れの方にビーシス家にご招待したと伝言をしてちょうだい」
彼女はレンドルフがやんわり断ってもグイグイと話と距離を詰めて来る。おまけに現場確認に来ている警邏隊の一人に勝手に伝言を頼んでしまっている。娘がさすがに母親の腕を引いて「お母様」と呼びかけたが、それでもお構い無しのようだ。
レンドルフには、彼女の言ったビーシスという家名に聞き覚えがあった。確か紡績工房と染色で成功した貴族だった筈だ。当主は女伯爵で、ビーシス家の扱う生地を王妃が気に入り、王妃主催のお茶会にも招待されていた。もっともレンドルフは直接その場に居たことはなく、その時に護衛をしていた王太子に「今日は庭園が騒がしいから、図書室に行くよ」と苦笑いしていた時にその名前を聞いたのだ。
「ここで何のお礼もしないなんて、ビーシス家の名折れですわ!それにまた彼らの仲間が襲って来るかもしれませんわ。どうか私共を助けると思って、一緒に屋敷までいらしてくださいませ」
本来ならばここに来ている警邏隊にその役目を担って欲しいところだが、相手が伯爵家だということで割って入るのも躊躇っているようだった。
一応家格だけで言えば、レンドルフの実家のクロヴァス辺境伯家の方が上になるので、その家名を出せば断ることも問題はないだろう。だが、ここでその名を出すのはいつユリがここに来るかも分からないので少々躊躇われた。ここは一冒険者として押し切った方がいいと判断した。
「それでは、お屋敷まで護衛させていただきます」
「まあ、なんて頼もしいのかしら!」
「連れに伝えて参りますので、少々お時間をいただいても?」
「ええ、構わなくってよ」
レンドルフは深く一礼をすると、一旦この場を離れた。
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「レンさん」
少し離れた木の陰にユリが潜んでいて、レンドルフが通りがかったタイミングでこっそり声を掛けて来てくれた。
「ユリさん。ゴメン、何かややこしいことになりそうだ」
「うん。さっきまで近くで立ち聞きしてた」
「一緒に戻れなくて申し訳ないんだけど、ユリさんはノルドで先に戻ってもらえるかな」
「え?でもレンさんの足は?」
「あの人達、リバスタン街の貴族だ。あの街からはエイスまで巡回馬車が出てるから、帰りはそれを使うよ。いざとなったら走って帰れなくもないし」
「走ってって…」
「ユリさんには一刻も早く金の青銅苔を持ち帰って欲しいんだ。ノルドはエイスの街の預け所でも、何ならユリさんの家に連れ帰ってもいいよ。明日、待ち合わせ場所に連れて来てもらえれば大丈夫だし」
ポーチの中に入れておいた預け所の証明札をユリに手渡す。これさえあれば基本的にはノルドを引き取れるし、昨日のことを踏まえて、今日はノルドを預ける際にユリと一緒に受付に行っている。ユリだけでも怪しまれたりはしないだろう。
「じゃあ、ノルドは借りるね。エイスの街に預けておくようにするから」
「分かった。送れなくてゴメン。気を付けて」
「うん。レンさんもね」
ユリが小走りに去って行くのを見送って、レンドルフは馬車の方へ戻ることにした。
助けたことに後悔はないが、色々と厄介なことになりそうな予感に、レンドルフは小さく溜息を吐いたのだった。