82.レンリの花
ギルド前は特別マーケットが開催されて混みあっているので、ユリとの待ち合わせはいつもノルドを任せている預かり所の前にしておいた。すっかりお得意さまになっているレンドルフは、待ち合わせしていると伝えたところ、事務所の中から椅子を出してくれてお茶まで提供してもらっていた。もっともレンドルフの体格で受付近くに佇んでいると人が近づきにくいというのも多少あったのかもしれないが。
「ごめんね、遅れちゃって!」
「今日は街に入る馬車の渋滞が出来てるんだし遅れたうちに入らないよ」
5分ほど遅れてユリが小走りにやってくると、レンドルフは少し残っていたお茶を飲み干して、椅子を事務所に戻しに行った。特別マーケットは異国からの商人もやって来るので、掘り出し物を求めて多くの人が訪ねて来る。その為街の出入口にあたる門の前には馬車の渋滞が出来ていた。おそらくユリは時間前には到着していたのだが、入るのに手間がかかったのだろう。
そのまま二人は揃ってギルドへパーティ申請の申し込みに向かう。
「少しどこかで休憩してから行く?」
「ううん、大丈夫。昨日、パーティ名を考えてたらちょっと寝過ごしちゃって」
「ごめん、そんなに負担だとは思わなかった」
「そういう訳じゃないんだけど、色々調べ始めたら止まらなくなっちゃって」
「ユリさんは色んなこと知ってるから、どんなのか楽しみだな」
「う…何かプレッシャー掛けられてる気が」
却って自分を追い詰めるようなことを言ってしまった、とユリは思わずレンドルフから目を逸らした。しかしどうせすぐに分かることだと、ポケットから折り畳んだ紙片を取り出した。
「これ…なんだけど」
「ありがとう」
レンドルフはそれを受け取って開いて中を確認する。
「『レンリの花』…ええと、ごめん、花とかは詳しくないから。どんな花か分からないや」
「ええと、ミズホ国に伝わる、幻の植物、なの」
「幻の植物…何だかすごいね」
「その、ずっと仲良くご縁が続く象徴みたいな、そういう植物なのね。伝説みたいなものだから実物はどこかにある訳ではないんだけど、ミズホ国ではこれからご縁を繋ぐ祭祀に使われたりしてて」
「やっぱりユリさんは博識だなあ。ありがとう!良い名前を考えてくれて」
「そんな…でも気に入ってもらえたなら嬉しい」
ユリはレンドルフが手放して褒めちぎって来たので、少し顔を赤らめて照れたように微笑んだ。
実のところ、色々と考えたのだがさっぱり思いつかなかったユリは、「もう『レンユリ』とかでいいかな」と半ば自棄気味に思っていたのだ。その中で苦し紛れに自室の本棚にあったミズホ国の辞典で、似たような響きで良さそうな単語はないものかとパラパラと捲っていて発見したものだった。載っていた語句は「連理の枝」だったのだが、レンドルフの髪色は「蓮花」を思わせたこともあり、ちょうど自身の呼び名の「ユリ」も「百合」を思わせることから「レンリの花」にしようと思い付いたのだ。
割と大雑把な名付けではあったが、思った以上にレンドルフが感心してくれたので、ユリはこの先は絶対に裏事情は伏せたままにしておこうと固く心に決めたのだった。
ユリの手にした辞典は、初心者向けのミズホ国語の翻訳だったので、そこには「植物が寄り添う様が転じて、人が仲睦まじい様子。縁組の慶事などに使用される吉兆を示す言葉」となっていたので採用したのだが、本来の意味は「二本の枝が連なる様が、夫婦、男女のきわめて深い情愛を表す。婚姻の儀の祝詞に含まれる」であった。その後、ユリよりもミズホ国の言葉に詳しく本来の意味を知っていたレンザがパーティ名を聞いて大変渋い顔をすることになったのだが、この時のユリには知る由もなかったのだった。
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「はい、以上で『レンリの花』の登録が完了いたしました。今後のご活躍をお祈りしております」
「「ありがとうございます」」
ギルド前にはマーケットに来たたくさんの人で溢れていたが、建物の中に入るといつも以上に閑散としていた。受付にも誰も並んでいなかったので、スムーズにパーティの申請が終了した。
「見た目は変わらないみたいだけど」
申請書類の提出と犯罪目的ではないという誓約書を提出し、ギルドカードと自身の指を魔道具の上に置いて、問題がなければそれでパーティの登録は完了する。手続きが完了したギルドカードを手にしてレンドルフは裏表確認してみたが、特に見た目に変わりはなかった。
「ちょっとは変わってるよ。ほら『ソロ冒険者です』」
ユリがカードの上に指を置いてそう告げると、カードが赤く点滅した。簡易の嘘発見の付与魔法が発動したのだ。
「これで、唐突に道端で指名依頼を申し出られても、このカードを翳して『パーティ名レンリの花所属。リーダー、レン』って言えば、向こうも私に話をするのを諦めてくれるの」
そう告げたユリのカードは、今度は反応をしなかった。ソロだと分かるとギルドを通した依頼しか受けないと言ってもしつこく食い下がられることもあったのだが、これで大半が引いてくれるだろう。
「俺のところにその話が来た場合はどうやって断ればいいの?」
「基本的に許可しない、とか、お断りします、とか口頭で大丈夫。レンさんだったらないと思うけど、どうしても食い下がってしつこい場合は、ギルドに通報しちゃっていいから。でも用心の為に、なるべく人目の多い場所で話を聞くようにしておいた方がいいかもね」
「分かった。一応全部断ってもいいんだよね?」
「うん。私はギルド案件しか受けないし、その時は前もってちゃんとレンさんに連絡するから」
手続きが終わったので、今日は採取に行かずにマーケットを回ることにしていた。
一歩ギルドの建物を出ると、まるで別世界のように賑やかな空間が広がっていた。広場と公園を解放して、色々な出店が並んでいる。食べ物を扱う店とそれ以外の店が区分けされているだけで、様々な商品を扱う店が雑多に混ざっている。目当てのものを探し出すのは一苦労だろうが、特に目的もなく歩き回るには見ているだけで楽しめた。どこかで異国の香を焚いているのか、慣れない香りがどこからか漂っている。大量の布が垂れ下がっている店の前を通過すると、そこからも行ったことのない国の空気を感じるような気がした。
「ユリさん、思ったより人が多いから…その…」
「うん、ありがとう」
折角なので、出店で昼食をとろうと食べ物のエリアに向かったが、同じように考える人が多く、更に人がごった返していた。レンドルフは小柄なユリはすぐに人波に飲まれて見失ってしまいそうだったので、思い切って手を差し伸べた。レンドルフは少しばかり緊張した気持ちで手を伸ばしたのだが、ユリは思った以上にあっさりとレンドルフの手に捕まって来た。昨夜は「赤い疾風」の彼らとの別れに感傷的になっていたこともあって、どちらからということなく手を繋いでしまった。別荘に戻って冷静になったレンドルフは、いつかのようにベッドの上でのたうち回ることになったのだった。
「な、にか、食べたいものとか、ある?」
「どれも気になるけど…昨日さんざん肉食べたから、そうじゃないものがいいかなあ」
「そうだね。あ、あっちに魚の絵が書いてある看板が見える」
「行ってみましょう!」
ユリの位置からは人に隠れて見えなかったようなので、レンドルフが先導するように手を引いて看板にある方へ向かう。そこに行き着くまでに、やはり店を出す方も心得ているのか食欲をそそる匂いの強いメニューを扱っているところが多い。肉じゃないもの、と言いながらも、ついユリもレンドルフも豚肉の串焼きなどに目が行ってしまっていた。それでもその前を乗り越えて目的地に辿り着いた。
「これは…?」
「魚のすり身を焼いたものですよ!トーマ湾で取れた新鮮な魚をすり身にしてますから、余所とは味が違いますよ」
近くに寄ると、白いものを串に巻き付けるようにして焼いているものが売られている。どうやらそれが魚のすり身らしいが、表面がこんがりとキツネ色に焼けていて、香ばしい匂いが漂っていた。
「じゃあ二つください」
「はいよ!焼き立てで熱いですよ!」
簡素な紙袋に入れてもらい、ひとまずレンドルフがギルドカードで支払いを済ませた。
「あとでまとめて払うね。それはこっちにちょうだい」
「うん。よろしく」
ユリはポケットから折り畳んだ袋を広げて、レンドルフからすり身の串焼きの入った袋を入れてもらう。下位の保温の付与が施されている手提げなので、30分程度なら温度を保てる。
「他に気になるのはあった?」
「…さっきの串焼き、かな。肉だけど」
「やっぱり。俺も気になった」
やはり先程通過はしたものの、香ばしい肉の焼ける匂いが忘れられなかったらしく、二人は顔を見合わせて笑うと、来た道を引き返したのだった。
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その後幾つかの店で気になった食べ物を買い込んで、最後に飲み物を購入して人混みを抜けた。
「さすがに空いてるところはないな。ちょっと離れるけど、別の公園に行こうか」
「あの噴水のとこ?」
「うん。前にユリさんと偶然会ったとこ」
マーケットが開いている公園の端の方には臨時に椅子のテーブルが置かれていたが、そこまで数は多くない。見る限り空きはなさそうだったので、少し離れた場所の公園に行くことにした。購入したものを入れた手提げはレンドルフが肩から下げ、片手には飲み物の入ったカップを持つ。ユリは片手にカップだけを持ち、それぞれの片方の手は互いに繋いだままだった。そしてマーケットの人混みを抜けても何となく離す切っ掛けのないまま、噴水のある公園まで二人は手を繋いだまま到着した。
「ねえレンさん、あの場所空いてる」
「ああ。ユリさんが手入れしてる花壇の」
「定期討伐中は他の人に任せてたけどね」
噴水の側のベンチはそれなりに埋まっていたが、隅の方にある花壇の側は空いていた。定期討伐前には小さな紫色の花が咲いていたが、今はすっかり終わっていて緑の葉だけが残っている。
そこに腰を降ろして、間に買って来た物を入れた手提げを置く。
「どれから食べる?」
「魚のすり身からにしようかな」
「じゃあ俺も」
紙袋の中から、それぞれ串を持って取り出す。保温されたすり身はまだ焼き立てで、フウフウと息を吹きかけてそっと歯を立てると焼き目の部分が軽くパリリと音を立てる。熱々のすり身を噛み締めると、中から同じように熱い汁気が滲みだす。ほんのり甘みがあって塩気が程良く、すり身にすることで魚の生臭さだけが無くなって旨味がたっぷりと含まれているようだった。
レンドルフは立て続けにカップに入ったリンゴ風味の炭酸水を半分程一気に飲む。どうやら人混みを抜けて思っていたよりも喉が渇いていたらしく、喉にチリリとした刺激と鼻に抜ける爽やかなリンゴの香りが心地好かった。ふと隣を見ると、カップを手にしたユリが奇妙な顔をしていた。
「どうしたの?」
「すごく、微妙な味だった…」
「あの入口で買い直す?」
「これ、全部飲んでからにする…」
確かユリが注文したのはジンジャーエールだったのだが、どうにも中途半端な弱い炭酸に薄めの生姜の香りが、決定的に不味い訳ではないが決して美味しい訳でもないまさに「微妙」としか言いようのない味わいだった。何か作り方の手順を間違ったとしか思えない。
「俺も味見していい?」
「え…でも…」
「その微妙な味、体験してみたい」
「う、うん…」
口を付けた部分を軽くハンカチで拭いてから、ユリは遠慮がちにカップをレンドルフに手渡した。レンドルフはそれを受け取ると、一気にカップを呷って、残っていた中身を全部飲み干してしまった。
「すごい微妙だ…」
「レンさん、無理しなくても良かったのに」
「ごめん、ユリさんの分まで飲んじゃったから、新しいの買って来る」
「え!?ちょっと、レンさん!」
ユリが何かを言う前に、レンドルフはサッと立ち上がって公園の入口で飲み物を売っている屋台へ大股に歩いて行ってしまった。分かっているのか、ユリが止める間もなかった。
「レンさん…私を甘やかし過ぎじゃない?」
それなりに大きめのカップだったので、全部飲んでしまったら買い直せるかどうか自信のない量だったのだが、自分で選んで買ったものなので仕方ないとユリは思っていた。だが、どうやらその思考をレンドルフは読んでいたらしい。レンドルフならあれくらいの量を飲んで、更に自分で買った分を飲んでも大丈夫と思ったのだろう。
ユリはその気遣いに困ったような、嬉しいような複雑な気分でポツリと呟いて、新しく飲み物を購入しているレンドルフの姿を眺めたのだった。
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「ユリさんはこれからの採取はどこに行く予定?」
買って来た食べ物はほぼ完食して、最後にデザートのクレープを残すだけになっていた。薄いのにモチモチと弾力のある皮なので、これでもかと中身が巻き込んであるクレープで、レンドルフはバナナと生クリームに、チョコソースを増量してもらっていた。ユリはクリームチーズにマーマレードとオレンジの組み合わせであったが、他にも色々と食べて完食出来る余裕がなさそうだったので、最初から半分に割ってレンドルフに渡していた。
「出来れば『千年樹のダンジョン』に行きたいと思ってるの。レンさんは聞いたことある?」
「名前だけは。でもそのダンジョン、俺は同行は厳しくないかな」
エイスの街から馬車で半日程度の場所にあるダンジョンだが、洞窟タイプのダンジョンで、その上に千年樹と呼ばれる巨木が生えていて、内部にも根が深く張り一体化している。その根は複雑に張り巡らされていて、最奥に行くにはかなり狭い場所を通らねばならない。レンドルフの体格では最奥はもとより、途中でも厳しいかもしれない。
「ダンジョンの中には入らないから大丈夫。採取したいのは上に生えてる千年樹の方で、そこに寄生してる長寿蘭とか黒宿木とかを取りたいの。ちょっと高いところまで行きたいから、採取中に襲って来る鳥とか蛇とかの魔獣をお願いしたいんだけど」
「それなら問題ないよ。あ、でも枝が細いところは難しいかも」
「離れたところのものを採取する道具を使うし、基本的に足場のあるところしか行かないから」
「じゃあ安心だ」
千年樹は、ユリの言うような薬草などの植物が生えていることもあり、ダンジョンだけでなく千年樹自体に登る冒険者もそれなりに多い。だが、闇雲に踏み荒らして樹を弱らせたり転落事故などを防ぐ為に、専門の樹木医監修のもと太い枝の各所に足場が設置されている。その足場を利用すれば、比較的ランクの低い冒険者も採取などがしやすくなっていた。
「俺の方で何か用意した方がいい物はある?」
「いつもの討伐の時と同じでいいと思う。あ、でも万一に備えて腰のベルトに金具を付けて足場に命綱を繋ぐから、ベルトはなるべく丈夫な方がいいかな。金具は衝撃吸収とか耐久力上昇とかの付与があるからそこまで気を付ける必要はないけどね」
「分かった。なるべく丈夫なのを選ぶよ」
そんな話をしながらもレンドルフは一人前のクレープをペロリと平らげて、ユリにもらった半分ももうすぐ食べ終わりそうだった。ユリの方は半分の量だったのにまだ残っている。なるべくさっぱり目のものをチョイスしたのだが、皮の弾力が思った以上でなかなかボリューム感があり、食べるのに時間がかかっていた。ユリの小さな両手で押さえながらチマチマと食べている姿は、当人は無自覚だが破格の可愛らしさで、レンドルフは話ながらもつい口角が上がってしまうのを知られないようにするのに少々苦労していたのだった。
「連理」は、天に在らば比翼の鳥地に在らば連理の枝、の故事より。傷薬入れに使用される比翼貝の由来もこちらから。
ユリとしては、良い関係が続きますように、くらいの軽めの意味と思って使用しているので、本来の意味を知っているレンザは教えるべきか放置すべきか迷うところ。