81.始まりと別れ
「レンはこの後の予定は決まってるのか?」
「うん。二週間くらいユリさんの薬草採取に付き合おうと思ってる」
「へぇ〜」
まだ少し残っていたケーキをお祝い者特権で貰ったレンドルフに、ミスキが別に淹れてもらったコーヒーを飲みながら聞いて来た。昨日ユリから受けた提案のことをそのまま伝えると、クリューがユリの顔を覗き込んだ。ユリはバツが悪そうに視線を逸らす。
「え〜!いいないいな!レンと冒険者続けるのかよ」
「もう次の予定決まってるんだからな。もうちょっといたいとか言うなよ」
「う…」
タイキが即座に反応したが、先回りでミスキに嗜められてシュンとなった。
「そんな顔しても、俺達は俺達の目標があるだろ」
「…分かってるよ」
「目標って?」
「シイナ領に行って、魔馬を見て来るんだ」
シイナ領は優良な馬を産出することで有名な領地で、馬系魔獣と交配させた魔馬も多数扱っている。その中でタイキと相性の良い魔馬を探すつもりだとミスキは説明した。
「まあ、まだ資金的には魔馬を買い取れる程の貯蓄はないんだけどな。でも今は子馬が生まれる季節だし、せめて予約くらいはしておきたくてな。それにちょうど子馬を狙って来る魔獣も増えるから、稼ぎやすい時期でもあるんだ」
「そうか。合う魔馬が見つかるといいな」
「ノルドみたいなヤツだといいんだが、そうそういないだろうしな」
ノルドが褒められるのは嬉しいが、お調子者で甘い物への執着を知っている飼い主の立場からすると手放しで喜んでいいものか一瞬レンドルフは悩んでしまった。
「ねえ、いっそレンくんとユリちゃん、パーティ組んじゃえば?」
「え!?」
「組めるものなんですか?」
「ギルド行って申込めばいいんだから、簡単よぉ」
「クリューさん!?そ、それはですね…」
「あ、ユリさんが嫌なら無理に組まなくてもいいよ」
クリューの提案に、ユリは急に慌てたような様子になる。レンドルフはそんなにパーティを組むのに大変な問題があるのかいまいちピンと来ないのでキョトンとした顔をしていたが、ユリが拒否しているなら無理に組む必要はないだろう。レンドルフがそう言うと、今度はユリが奇妙な顔をした。
「い、嫌って訳じゃなくて…」
「いいじゃないか、パーティを組めば。虫除けにちょうどいいだろう」
「ミキタさんまで…」
「虫除け、ですか?」
「そ。レンくんもランク取ったなら指名依頼のことくらいは聞いてるだろ?」
「はい」
指名依頼はCランクから発生する。その中で女性冒険者に良からぬ目的で依頼をして来ようとする悪質な輩は、残念ながら一定数存在していた。更にユリはソロであるので、ギルドが把握している以上にユリに誘いをかけて来る者は多いのだ。それこそ特に考えずに気楽にナンパ感覚で声を掛ける者から、恋愛感情以上を含めた重たい者まで。勿論ユリはその気はないし、指名依頼を受けるのはギルド経由なものだけだ。人目の少ないダンジョン内などで強引に誘いをかけて来る者などに対抗する為の手段は身に付けているが、それでもそれなりに精神的に削られる。
女性冒険者がパーティに所属していた場合、個人的に指名依頼を希望する場合はパーティリーダーの許可が必要になる。たとえその場に一人だけだったとしても、指名依頼を持ち込んだ時点でパーティに所属していると告げれば依頼者はリーダーの元に行って許可を得なければならない。それだけで手間がかかるとして、大半の依頼者は諦めてくれるのだ。そういう意味ではパーティ所属というのは虫除け的な防壁にもなる。
「そういう意味合いでなら俺は利用してくれて構わないけど」
「ええと…その…」
「そうそう。レンくんならユリちゃん目当てのヤツなら絶対許可しないでしょぉ?」
「まずレンくんの外見からそんな持ちかけするのはいないだろ。それに、レンくんはまだ指名依頼は受けられないランクだ。同じパーティメンバーを指名依頼したいって言ってトラブル起こったらマズいもんなあ」
「トラブルですか?」
「自分の頭越しにメンバーが依頼受けたら面白くない小っさいヤツもいるんだよ」
クリューとミキタに挟まれて、ユリとパーティを組むことの利点を滔々と説明されるレンドルフを見ながら、ミスキは少々呆れたような冷めた視線を送っていた。そしてじきに真面目なレンドルフは見事に丸め込まれるだろうな、と思っていた。
(男女ペアの冒険者パーティって、血縁じゃなけりゃ十中八九カップルか既婚って相場が決まってるんだよなあ…)
それはもう暗黙の了解的なもので、どこかに明文化されているものではない。なので、あの反応からするとレンドルフはそれを知らないだろう。
「じゃあ俺がリーダー登録するから、ユリさんは好きなパーティ名付けてくれる?」
「…は、はい…ソウシマス…」
結局ユリとパーティを組むことになって、全く屈託のない顔でレンドルフがユリに笑いかけたので、ユリはどことなく罪悪感に満ちた顔のままコクリと頷いたのだった。その後ろで、一仕事やり切った感でクリューとミキタがハイタッチしていたのを、ミスキはしっかり目撃していた。
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「ミスキ達はいつ発つんだ?」
「明日の朝だ」
「早いんだな」
「もう拠点も引き払って来たからな。このままここから夜明けには出発する」
定期討伐の期間は格安で借りられる宿泊施設だが、終了と同時に元の金額に戻る。人気のある施設はすぐに次の予約が入っていることも多いので、なるべく早く出ることが通常だ。幸い上位の生活魔法が使えるバートンがいるので、荷物さえまとめれば綺麗な状態にして出られるので、ギルドから追加料金を取られることはない。
「そんなに急にか!?俺、見送りも餞別も準備して来なかった」
「いい、いい!そういうあらたまったのは、今生の別れみたいだから縁起が悪いって冒険者の間では言われてるんだ」
「だが…」
「気楽にまたな、って別れんのが普通なの!もし何かしたいんだったら、その時に持ってる適当なものを交換するとか、酒の一杯でも奢るとか、そういう軽いのでいいんだって」
「それでいいのか…」
「どうせどこにいたって、ギルドカードで簡単にいつでも連絡取れるだろ?」
「……そうだな」
冒険者は、大半が各地を旅する生活だ。そしてどうしても大なり小なり危険と隣り合わせの職業でもある。いつ何時、それが永遠の別れにならないとも限らない。場合によっては、数年単位で遅れて亡くなったことを知ることも珍しくないのだ。それ故に、冒険者同士では別れる際はより気軽に、という不文律がある。長らく会うことがなくても、去就を知らなくても、どこかで生きて元気に暮らしているという根拠のない希望を信じていたいという気持ちがあるからだ。
「…そろそろユリちゃんは帰らなきゃいけない頃合いだね」
「…うん。そうですね」
「レンくん、いつもみたいに送ってあげるんでしょ!気を付けてねえ」
少しだけしんみりとした空気で会話が途切れたのを合図に、静かな口調でミキタが切り出した。確かにいつの間にか夜は更けていて、ユリが帰宅する時間はいつもより少しばかり過ぎていた。レンドルフはミスキの言うように気楽に別れを告げようと思うのだが、喉の奥に言葉が貼り付いて上手く声にならなかった。
「なあ、レン。これやるよ!」
不意に、タイキが自分の手の甲に鱗を出現させて、それをすぐにパキリと折り取った。差し出された彼の鱗は透明ではあったが、店内のランプの光を反射して金色の粒子が縁を彩っていた。
「これ、財布に入れておくと金が増えるんだって!入れといてくれよ」
「ああ、ありがとう」
手渡された鱗をそっと手の平に乗せてもらう。その鱗から指を離すとき、タイキの指先はほんの少し震えていたように見えた。レンドルフはタイキの顔が見られなくて、ただジッと鱗に目を落とした。
「少し脆いから、これに包んでおきな」
「ありがとうございます」
ミキタが紙ナプキンを数枚重ねて出してくれたので、レンドルフは丁寧にそれを挟み込んだ。
そして僅かな間、レンドルフは思案するように動きを止めていたが、すぐに自身のシャツの袖口から留めているボタンを迷うことなく一つちぎり取った。
「じゃあこれは礼だ」
レンドルフはボタンを一つ、タイキの手の上にコロリと転がした。そのボタンは、茶色い半透明の石が嵌まっている。それはレンドルフが使った魔力を補う為に身に付けている、自分の土魔法を充填させた魔石で出来たものだ。
「…これ…」
「タイキには酒を奢る訳にはいかないから。売るなり魔道具の動力にするなり好きに使ってほしい」
魔力を補う際に砕いて使うので、使用している魔石はそこまで上等なものではないが、魔力が充填してあるものは売ればそれなりの金額にはなる。
「あと、俺の実家のある北の辺境領では竜種に馴れた魔馬を育てている。数が多くないからちょっと入手は大変だが、もしシイナ領や他の領でも良い魔馬が見つからなければ、遠いが訪ねてみてくれ。その時にそのボタンの金具を見せれば、気持ち程度は優遇してくれると思う」
「レン…お前…」
レンドルフの故郷のクロヴァス領では、数こそ少ないが騎獣として訓練した飛竜が領最大の産業として有名だ。そしてそのワイバーンのいる竜舎の隣に、竜種に怯えないような魔馬を育てる厩舎があるのだ。必ずしも全ての魔馬が馴れるとは限らないが、それでも勇敢で優秀な魔馬を輩出している。竜種と出会うことは極稀ではあるが、それでも万一に備えてということで人気があり、入手には年単位で待つと言われていた。
レンドルフの着るものはオーダーメイドで、ボタンも特製のものだ。それは貴族には基本的なことで、身につけるものにはどこかに家の紋章が刻まれている。タイキに渡したボタンにも、分かる人間が見ればクロヴァス家の紋章が刻まれていることが分かる筈だ。どの程度優遇してもらえるかは分からないが、少なくとも門前払いをされることはないし、却ってタイキのことを歓迎する可能性の方が高いだろう。
「ありがとな。大事にする!」
タイキはギュッとボタンを握りしめて、ヘラリと笑った。その眉が少しばかり下がっていたが、レンドルフは見なかったフリをして笑い返した。
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席を立ったレンドルフとユリを店の扉まで見送りに出たのはミキタだけで、後のメンバーは席に座ったまま軽い様子で手を振っていた。まるでまだ明日も討伐が続くかのように錯覚してしまいそうだった。レンドルフもそれに倣うことにして、あくまでも軽く手を振って店を出た。
レンドルフとユリは、店を出てしばらくは無言で並んで歩いていた。
街の様子は定期討伐も終わりいつもの様子を取り戻したのか、酒場はそれなりに賑わっていたが人通りはずっと少なかった。
「レンさん、ちょっとあっちの道を行かない?」
「え…だけどあっちは…」
「人通りあんまりないけど、レンさんと一緒なら安全だし」
「う、うん…」
この先の繁華街で街灯の明るい道ではなく、ユリは一つ入った裏路地の方向を指し示した。その提案に、レンドルフは素直に足を向けた。
「初めてみんなと定期討伐に参加した時にね、打ち上げの後タイキにすごく泣かれたの」
「…そうなんだ」
「釣られてクリューさんも泣いちゃって、ミス兄が収拾つけるのに苦労してた」
「そっか…」
ユリの言葉に、レンドルフはポツリ、ポツリと返答する。やがてユリも言葉が途切れて、二人とも無言のまま人通りのない道を歩く。
「寂しいね」
「…うん」
最初から期間が決まっていたことだし、これまでに何度もユリは彼らと定期討伐に参加して来た。それでも、毎日が祭のような日々が終わってしまうことに、寂寥感が去来していた。
その言いようのない寂しさのせいだろうか。どちらともなく、レンドルフとユリの手が繋がった。ユリの小さな手は、レンドルフの大きな手の中にすっぽりと収まってしまう。体温の高いレンドルフの手が、少しだけ力が入りしっかりとユリの手を包み込む。その手から、僅かに震えるような気配がダイレクトに伝わって来ていた。
「明日、パーティの申請しに行こうね」
「うん。明日からもよろしく」
手を繋いだまま空を仰ぐと、よく晴れた群青色の夜空に、半分よりも少しだけ欠けた月が頭上で眩しいくらいに輝いていた。
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二人が抜けた店内は、やけに静かに感じられた。
「タイちゃん、よく頑張ったわね」
膝の上でグッと手を握りしめたタイキは、俯いた姿勢で固まっていた。しかししばらくすると、その肩が小刻みに震えだし、やがて大きく上下しだす。そして俯いたままの彼の顎の先から、ポタポタと透明な雫が次々と垂れて膝の上に染みを作った。
「オ、オレ…楽しかったんだ」
「そうだな」
「すっ、げえ、楽しかった、んだ」
「うん」
「楽しかったんだよ…」
「楽しかったな」
大きくしゃくり上げるタイキの背を、ポンポンと軽く叩くようにミスキが寄り添った。涙の止まらないタイキに、奥からミキタがタオルを持って来てそっと手渡して来た。タイキはそれを受け取ると、ガバリと顔に押し当てる。その押し当てた向こうから、微かに声が漏れる。
こんなにタイキが別れを惜しんで泣いたのは、ユリと初めて定期討伐に参加したとき以来だろう。
「いい子だったわねえ、レンくん」
「そうじゃな。もっと色々盾技を教えてやりたかったわい」
「ダメよ。レンくんは騎士様だもの。騎士様にタンクはいないわ」
「それもそうじゃな。惜しいのう」
この国の騎士の戦闘スタイルは、殆ど盾を使用しない。全くいない訳ではないが本当に数が少なく、騎士の訓練にも盾の技術はほぼ教本の座学で教わる程度なのだ。かつて国が滅びかける程に人口が減少した際、防御に回すだけの人員が足りず、ひたすら攻勢を掛ける策の方がマシだったという歴史的背景も影響している。
「また、一緒に討伐に行けるといいな」
「うん…」
「それまでに、うんと強くなって驚かせてやろうな」
「ん…」
ゆっくりと話しかけるミスキに、タイキはコクコクと頷きながらずっとタオルから顔を上げなかった。
そのうち泣き疲れてテーブルの上に突っ伏すようにタイキは眠ってしまった。力が抜けてタオルが顔から外れたが、目の回りが真っ赤になって瞼も腫れぼったくなっていた。そうやって眠っている姿は、幼い頃の顔そのままだとミスキは思った。
「ワシが上に運ぼう。ワシはそのまま休ませてもらうぞ。明日は一日中馭者をするからの」
「悪いな。頼む」
「構わんよ。それじゃ、お休み」
「お休み」
背は高いが痩せ形のタイキをバートンは軽々と抱え上げると、勝手知ったる店の奥の階段から二階に登って行った。
「何か飲むかい?」
「あたしは炭酸の入ったのが飲みたい。二日酔いが怖いから、軽めので」
「俺は自分でコーヒー貰うから」
ミキタがカウンターの中に入って、氷の入った容器を保冷庫から取り出した。それぞれの返事を聞いて、ミキタは少し背の高い細身のグラスを二つ並べる。そのグラスの縁一杯に砕いた氷を入れて、片方には赤いリキュールを氷を伝わせて底に落とし、オレンジジュースと炭酸水を半々程度の量を注いだ。それをマドラーでカラリと混ぜ合わせると、クリューの方に向かって差し出す。もう片方のグラスには、琥珀色の蒸留酒を半分くらい流し入れ、炭酸水で満たした。
ミスキは立ち上がって、カウンターの端の方に置かれているサイフォンからコーヒーを自分でカップに注いだ。そしてその脇に置いてある砂糖壷を一瞬手に取ったが、少々考え込んでから結局コーヒーには入れずに元にあった場所に返却した。最近少々腹部が癒し系になって来たので、やはり止めておくことにしたのだ。
「ねえ、レンくんとユリちゃんに進展があったら連絡頂戴ねぇ」
「分かってるよ。しっかり目を光らせておくさ」
「そこはそっとしておいてやろうぜ…」
カウンターに席を移したクリューとミキタは乾杯をしながら楽しそうに盛り上がっていたのだが、その内容を少し離れたところで聞いていたミスキは、溜息混じりに小さく呟いたのだった。
こちらで「赤い疾風」のメンバーは一旦退場になります。どのくらい先になるかはまだ未定ですが、彼らの出て来る話は考えていますので、いつかまた帰って来た時にはよろしくお願いします。