悪夢に追われる
クローゼットの隙間から見えるその男はきょろきょろと何かを探し回っていた。
やはり間違いない。
紫色に顔が腫れ上がっているがあの容姿は間違いなく犯人Aだ。
彼はふひゅうふひゅうという気味の悪い呼吸音を発しながら、部屋の中を探し回っている。
「葉子ちゃんどこかな。どこにいるのかな。かくれんぼは終わりだよ」
首に巻かれたロープが気管を締め付けているためだろう、かなり聞き取りにくい声だったが、犯人Aは言った。
犯人Aはソファーの下やカーテンの裏側を見て回っている。
もしかするとこのクローゼットの中に隠れてやり過ごそうとしたのは失敗だったのかもしれない。だが、今さらここを出るわけにはいかない。
ここで黙って息を殺しながら、隠れているしかない。
僕は瓶と白猫のヨウコを腕に抱えながら、気配を消していた。
「さあ、かわいいかわいい葉子ちゃん。君は僕のコレクションなんだよ。僕のコレクションになれるのは選ばれた人間だけなんだ。僕に選ばれるのはとても名誉なことなんだよ。あのまま育って汚い大人になるよりもあの瓶の中で永遠に僕に愛でられる方が何万倍も幸せなことなんだよ」
首にロープを巻き付けた男は身勝手なことをいっている。
そんなわけあるものか。
この変質者の犯罪者め。
僕は怒りがこみあげてきた。
腕の中のヨウコもシャーという声で怒っている。
ではあるが、ここから出るのも得策だと思えない。
なぜなら、隙間からよく見ると犯人Aの右手には鉈のようなナイフが握られていた。
「うんうん。聞こえるぞ。葉子ちゃんの声が。聞こえるぞ」
犯人Aは嬉しそうにこちらに近づいてくる。
ゆっくりとクローゼットの方に向かってきている。
どうやらヨウコの声に気づいたようだ。
これはまずい。
僕は慌ててヨウコの口を塞いだ。
だが、遅かった。
犯人Aはクローゼットに手をかける。
両手でゆっくりと開く。
僕の目と奴の濁った充血した目と視線があった。
犯人Aは紫色に染まった唇をにやりとさせた。
「みーつけた。汚い大人と一緒にいたら駄目だよ。それに僕のコレクションは返してもらわないとね」
犯人Aは右手を振り上げ、僕にナイフを突き刺そうとした。
くそ、こんなところで死んでたまるか。
僕は全力でやつを突き飛ばした。
だが、奴の体はほんの少しずれるだけだった。
なんて頑丈な体なんだ。
だが、僕はそのわずかな隙をついて横に逃げた。
走りだして、この部屋から逃げよう。
僕は両足に力をこめて、駆け出そうとした。
しかし、その行為は犯人Aの強力な腕力によって止められた。
足首をつかまれて、転ばされた。
なんて力だ。
僕は奴の片手でなんなくと床に這わされてしまった。
背中を強く打ちつけ、呼吸が苦しい。
あおむけに転んだ僕に犯人Aはまたがり、ナイフで顔を刺そうとする。
僕はその腕を両手でつかんで防いだ。
だが、断然奴の力のほうが強い。
じわじわとそのナイフの先端が僕にせまってくる。
このままでは僕は奴のナイフによって殺されてしまう。
「抵抗しても無駄だよ。この世界では僕にかなうものはいないんだ。僕はここで集めたみんなと幸せに暮らすんだ。汚い大人のお前は必要ない。おまえはゴミだ。ゴミはちゃんと捨てないとね」
そう言い、犯人Aは僕にナイフを突き刺そうとする。
そのナイフの先端が僕の目の前まで迫ってくる。
だめだ、奴の力は強すぎる。
並みの人間のものではない。
このままでは殺されてしまう。
いったいなんなんだよ、これは。
まるで悪夢じゃないか。
悪夢、そう、この不思議な世界は悪夢そのままだった。
僕はある言葉を思い出した。
駄目でもともと、藁にでもすがる思いで僕はその言葉を言った。
「夢食みさん、夢食みさん、夢食みさん。悪い夢を食べてください……」
僕はどうにか声を絞り出して、そう言った。
「やあ、呼んだかい」
酒焼けした女の声が聞こえた。
白い指が犯人Aの肩にかかる。
その手は簡単に犯人Aを持ち上げ、部屋の壁に投げ飛ばした。