深夜のアルバイトと昨日の女性
弟が寝たのを確認して、バイト先に行く準備をする。
高卒の初任給だけでは、私立に通う弟二人の養育費が賄えない。
弟二人を引き取ると言った俺に、叔父が出した条件は遺産の放棄だ。
たとえもらう権利があるとしても、ここで言い合うより早く弟二人を安心させてあげたい。引き取りたい。
叔父に言われるがまま、遺産は放棄した。だけど、相続人はちゃんといる。三分割ではなく二分割。これが、養子と嫡男との違いで、それでいいと思った。これでもし、俺に何かあったとしても、これだけのお金があれば、直之も貴将も生きていける。ただそれだけに安堵した。
「坊っちゃん…お出かけですか?」
キヨさんが尋ねる。
「はい。すみませんが後は宜しくお願いします。」
「坊っちゃん、寝る時間がないではありませんか。少し、働きすぎではありませんか?」
「…キヨさんにもお給料が払えないままで申し訳ありません。」
そう、両親が亡くなってから、キヨさんはタダ働きだ。当時、30人いた使用人をそのまま雇えるわけもなく、叔父に頭を下げて他の就職先を見つけてもらった。
キヨさんは母の姉のような存在で、お給料は出世払いでいいと言ってくれ弟二人の母親代わりとして接してくれている。本当にありがたい。
「私のことはお気になさらないで下さいませ。蓄えもございますから。お嬢様の忘れ形見のご成長を近くで見たいだけでございます。」
「本当に、なんとお礼を申し上げたら良いか…」
「忘れ形見には、結仁坊っちゃんも入っておりますよ。」
「…はい。ありがとうございます。」
キヨさんがいなかったから、この弟との生活は出来てない。
✽✽✽
「兄ちゃん若いのに頑張るなー!」
「ありがとうございます。他にも仕事があれば紹介して下さい。」
深夜の工事現場でアルバイト。叔父が見たらお似合いだと笑われる事だろう。
叔父は意地悪なのではなく、直之がほしいのだ。
だから、俺が経済的に圧迫されれば、泣きついて直之を手放すと思っている。
直之は本当に父にそっくりだ。外見も内面も。
兄…亡き父を慕う叔父は父の生き写しの直之を引き取って養育し、父の社長のポジションまで押し上げたいらしい。
それには俺が邪魔な訳で。
心配しなくても、直之から社長のポジションを取ろうなどとは思っていない。
ただ、弟二人に帰る家を残してあげたい。それだけだ。
常に帰る家があった叔父に、この気持ちは分かるまい。
両親は俺にも平等に接してくれた。それこそ、我が子の様に…
だから俺も、命に変えても弟二人を守りたい。
「お疲れ様でした。」
明け方、バイトが終わり家に急ぐ。少し仮眠を取って、弟を起こして朝食を取ってまた出社する。
このルーティンは壊してはいけない。
✽
「あ。」
信号で止まっていると道路を挟んで反対側に昨日の女性を見つける。
ビジネス街を歩くその姿に近所で働く人だったのかと思う。
昨日の笑顔がふと脳裏をよぎる。
…。
…今日もまた働いて弟の世話をしたい。俺はビジネスモードに切り替えて、何事もなかったように歩き出す。