交渉
コンコンとノックの音がして、小さな部屋の扉が開いた。
ミゲルはさすがの変わり身の早さで、音が聞こえた瞬間から気絶した振りをしている。
中に入って来たのは、片手に食事の乗ったトレーを持ったリカルドだった。
「おや姫君、やっとお目覚めですか?寝ていてくれても良かったんですよ。その方が貴女は扱い易い」
「お生憎様、寝起きはいいの」
「そうですか。まあとりあえず食事をして下さい。2時間後にまた出発ですから」
「もう?ちょっと待ってよ!イネスはここで解放してあげて!全然関係ないんだから」
「連れて来た時から、関係無しでは無くなっているんですよ。心配しなくてもこれ程の器量良しなら、ミドラスでも欲しいという男は多いでしょう。ああそうだ、いっその事姫君と一緒に皇帝の側室という手もありますな。我々の報酬も上がるし、一石二鳥だ」
リカルドはクックックと嫌な笑い声を漏らした。
「笑えない冗談ね。本当、貴方達の皇帝はどうかしているわ」
「姫君、私は紳士的に貴女を扱っているんですよ。皇帝陛下は貴女を殺さずに連れて来いとは言いましたが、乱暴してはいけないとは一言も言っていません。あまり反抗的な態度は取らない事ですな。まずはその娘から、向こうにいる奴等に差し出しましょうか?」
リカルドは冷たい目でレイリアを見据え、口の端を上げてニヤリと笑った。
イネスはレイリアの袖をクイっと軽く引っ張り、首を左右に振っている。
ああ、私の態度一つでイネスにまで被害が及ぶのだわ‥
本当、私って考え無しよね。
そこで狸寝入りしているミゲルの方が、よっぽど身を守る術を知っているかもしれない。
「ねえ、そこで気絶している男はどうするつもり?」
レイリアは気になったので一応聞いてみた。
するとリカルドはごく当たり前の事の様に
「国境を越える時に殺しますからご心配無く」
と言って、軽くミゲルを蹴飛ばした。
狸寝入りをしているミゲルは体こそ動かさないものの、内心ヒヤヒヤもので背中に汗をかいている。
「おい、いつまで気絶してるんだ?いい加減目を覚ませ!」
リカルドはそう言うと、ミゲルの髪の毛を掴んで起き上がらせ、乱暴に揺さぶる。
これにはさすがにミゲルも声を漏らした。
「ううっ‥」
「何だ?お前、起きていやがったのか。姑息なやつだ。殺すまではこき使ってやるから、こっちへ来い!」
「ヒィッ!い、命ばかりはお助けを!そ、そうだ、貴方達は金が目的なんだろう?金なら払う!だから助けてくれ!」
「お前は自分で自分の事を農夫と言ったな。一介の農夫が俺達に払える程の金を持っている筈が無いじゃないか。バカな男だ」
「いや、伝手ならある!私の義弟はマンソン一族の者だ。義弟に頼めば金などいくらでも用意出来るのだ!」
「義弟?マンソンだと?お前、マンソン一族なのか?」
「そうだ!と、言いたい所だが、事情があって今は元マンソンとだけ言っておこう。だが義弟は分家とはいえ次期当主でエリートだぞ!金ならある!それに、私を殺せば殿下が黙っていない!私は殿下の庇護を受けて農場にいたのだ!」
リカルドはクックッと笑って、いかにも馬鹿にした様に言った。
「全くバカな男だな。嘘ならもっとまともな嘘をつけ!何が殿下だ。本気にするやつがいると思うか?」
「いいえ、その男が言っている事はあながち嘘ではないわ。確かにその男は私の知る限り、マンソン一族の者だったから」
レイリアは思わず口を挟んだ。
「ひ、姫君、言ってやって下さい!私は間違い無くマンソンでしたよね?ねっ?」
「そうね。オセアノに着いてすぐ私を案内したのは、殿下の従者だったこの男よ。マンソンの名をひけらかす嫌味な男だったわ」
するとリカルドは眼を見開いて、意外そうな顔をした。
「ほう?殿下の従者で元マンソン‥。なのに今は違うと?そして殿下の庇護を受けているだと?フム、お前名前は?」
「ミ、ミゲル‥」
ミゲルが自分の名前を口にすると、リカルドの顔色が変わった。
「‥‥ミゲル‥だと‥?お前‥マンソン侯爵が探していた、あのミゲルか?」
「ど、どうしてそれを‥?」
リカルドはニヤニヤしながら値踏みするような目付きでミゲルを見ると、声を上げて笑い出した。
「ハッハッハ‥成る程‥全くバカな男だ。自分から懐に飛び込んで来るとはな。俺達はなあ、マンソン侯爵からお前の暗殺依頼も受けているんだ。報酬は殺してからという話ではあったが、せっかく自らやって来たんだ、これをムダにするという選択は無い」
「ヒッ!あ、暗殺!?」
「そうだ。もっとも自分から飛び込んで来た時点で暗殺では無くなっているがな。しかし、お前を殺した報酬は欲しいが、姫君を連れてミドラスへ戻るのを優先させねばならん。さて、どうするか‥?」
「か、金なら大伯父上の倍払う!!それに、私には殿下の庇護もある!もちろん私は訳ありだから、貴方達の事は言わない。だから命ばかりは、命ばかりはお助けを!」
「他所の国の事だから事情は分からないが、マンソンと王太子の間には何やら揉め事があるらしいな。まあ、我々は金さえ貰えればどちらでもいいが、はたしてお前の言う事を信用していいものかどうか‥」
リカルドが考え込んだので、レイリアは口を挟む事にした。
「この男の言う事は間違いないわ。バカだけど嘘はつかない事を私は知っている。信用出来ると私が保証するわ」
するとリカルドはピクリと片方の眉を上げ、レイリアの方を見た。
「フム。考える余地はありそうだ。おいミゲル、仲間と相談してやろうじゃないか。仕方がない、少し出発時間を遅らせよう。出発は2時間半後だ。いいですか姫君、その間に食事を済ませてそこの箱の中の服に着替えて下さい。2時間半後には何としても出発しますからな!」
レイリアは無言で頷くと、リカルドの言う箱を開けて中身を確認した。
箱の中には庶民の男性用の服が入っている。
男装させるつもりで用意したのだろう。
リカルドは床の上に食事の乗ったトレーを置くと、部屋から出て行った。
「ふう!ヒヤヒヤしたわよミゲル。首の皮一枚繋がったわね」
「いやもう、姫君様々です!私は姫君に忠誠を誓います!」
「調子がいいわね。でもこれで少しだけ時間稼ぎが出来たわ。出発する迄に何とか助けが到着してくれればいいのだけど‥」
「レイリア様、まずは食事を摂りましょう。腹が減っては何とかです!」
「そうね。それにせっかくだからそこの服に着替えましょう。逃げる時にドレスよりは動き易いもの」
「はい!私もなるべく足手まといにならない様頑張ります!」
不安な気持ちを隠す様に、イネスは元気良く返事をした。
私が気を失った時間と農場からの移動時間を考えると、2時間半あれば辿り着ける筈。
多分お兄様なら馬で来るだろうから、馬車の移動よりは早いでしょう。
頼むからお兄様、早く見つけて!
レイリアは焦る気持ちを抑えて、まずは食事をする事にした。
読んで頂いてありがとうございます。