警戒心
レイリアは時々立ち上がってはウロウロと落ち着きなく、イザベラの自室を歩き回っていた。
待てと言われたから仕方なく待ってはいるが、大人しく待っているのはレイリアの性に合わない。
かと言って今レイリアがエドゥアルドの元へ行くのは、あまり歓迎されないという事は十分承知している。
結局今は待つしかないのだ。
溜息を吐きながらまたソファに腰を下ろして、時間が経つのを待っている。
すると突然トントンと扉を叩く音がした。
エディだわ!
でも随分早く話が済んだのね?
もっと長くなるかと思ったのだけど。
レイリアはなんの迷いも無く扉を開けた。
ところがエドゥアルドだとばかり思って開けた扉の向こうにいたのは、何となく見覚えのある男性の姿だった。
「姫君、こちらにいらっしゃると聞き、お迎えに上がりました」
「えっ?どういう事かしら?ええと、貴方は‥‥」
「ご挨拶がまだでしたね。私はリカルド・コスタと申します。姫君とは訓練場でお会いしましたが」
「ああ!あの時の助けてくれた人ね!でも貴方がお迎えって何のお迎えなのかしら?」
「実はブラガンサ様が第10小隊の連中とやりあって、負傷されたのです。それでまずは姫君に知らせて迎えに来て頂いた方が良いという事になりまして、見習いの私が遣わされました」
「ええっ!!ルイスが負傷!?一体何をやって負傷したの?ああ見えてルイスは結構腕が立つのよ!滅多にやられる筈が無いわ!」
「どうも多勢に無勢だった様で。何といっても第10小隊は高位貴族の集まりですからね。多少は卑怯な手を使っても許されると思ったのでしょう。ですから、姫君の身分が連中には効くのですよ。姫君、従兄君の為に来ては頂けないでしょうか?」
「‥‥分かったわ。ルイスの事は心配だし。卑怯な手というのも許せないし。でも少しだけ待ってくれる?支度があるから」
「はい。ですがお急ぎ下さい」
レイリアは頷き、一旦リカルドを部屋の外へ待たせたまま扉を閉めた。
ああもう、ルイスったら!何もこんな時に怪我をしなくてもいいじゃない!
どうしよう‥‥エディが来るのに‥。
そうだわ、妖精の手紙‥‥はダメだわ。
王宮には中庭にしか妖精がいないんですもの。
レイリアは悩んだ末に『ルイスが負傷した為行って来ます。すぐ戻るので待っていて下さい』というメモを残しておく事にした。
扉を開けるとリカルドは腕を組んで待っていた。
「支度は整いましたか姫君?急ぎますので着いて来て下さい」
「分かったわ」
やけに急かせるリカルドを不思議に思いながら、レイリアは後を着いて行った。
リカルドは普段レイリアが利用しない、使用人専用の通路を進んで行く。
時々何世代も前に作られた古い通路を進んでは、抜け道らしきアーチを潜り抜け、地下通路の様な場所に出た。
「ねえリカルド、どこへ向かっているの?王宮の兵舎に行くのではないの?」
「実は街中の酒場で負傷されたのです。馬や馬車で行くには目立ちますので、こちらの通路を使う事にしました。なんといっても姫君を勝手に城外へ連れ出すのですから、見つかったら大目玉です」
「街中!?それはダメだわ!やっぱり私一旦戻るわ。どうしても外せない用事があるの。ルイスの事はエンリケ殿にでも頼んでなんとかして貰うから、私は帰らせてちょうだい」
「それは出来ませんなぁ姫君。貴女にはどうしても来て頂かなくては」
「えっ?何を言ってるの?リカルド貴方‥‥どういうつもり?」
レイリアはリカルドの目付きと、体から漏れ出す異様な空気に危機感を覚えた。
これがドミニクであったなら一目で分かっただろう。
リカルドから漏れていたのは、凄まじい殺気だったのだ。
「訳が分からないといった顔ですね。姫君貴女は警戒心が無さ過ぎる。こんなに簡単に騙されてくれるんですから」
レイリアはサッと構えて、攻撃体制に入った。
「騙すですって?貴方一体何者なの?」
リカルドはジリジリと間合いを詰めながら、クスクス笑って近付いて来る。
「貴女を連れて行けば大金が手に入るんですよ。皇帝陛下は気前がいいですからね。まあ失敗したら殺されるので、我々も命懸けですが」
「皇帝ですって!!まさか貴方、ミドラスの‥‥」
「おや?やっと気付きましたか。では大人しく着いて来て下さい。私も女性に手荒な真似はしたくないので」
「残念だったわね。大人しくは性に合わないの」
ヒュッと風を切る音を立て、レイリアは得意の回し蹴りを繰り出した。
ところがリカルドは体を後ろに反らして避けると、信じられない速さでレイリアの目の前に移動した。
回し蹴りの反動で一回転したレイリアは、元の位置に戻った瞬間、腹部に衝撃を感じた。
「うっ‥‥!!」
リカルドが繰り出した拳が、レイリアには見えなかったのだ。
「だから大人しくと申し上げたでしょう?姫君の武術など所詮はお遊びみたいな物です。戦場で武器を取られた時、最後には体を使うしかないのですよ。私はこうやって生き延びて来たのですから」
敵わないとレイリアは思った。
膝をつきそうになる程の衝撃だったのだ。
だとしたら、まだ体が動くうちに取る方法は一つ、逃げるしかない!
レイリアは腹部を押さえながら、来た道を走り出した。
「ルイ!」
「はいよ!」
突然レイリアの行く手に男が現れた。
訓練場でリカルドと一緒にいた寡黙な男だ。
「警戒心が無さ過ぎると忠告して差し上げたでしょう?貴女の後ろには、ずっと仲間がつけていたのですよ念の為」
もう1人の男は音も無くレイリアの後ろに立つと、首の後ろにシュッという風の音と衝撃を加えた。
レイリアは目の前が真っ暗になり、何も感じられなくなった。
「ああそうそう、その男の紹介がまだでしたね。ルイ・カルバリョと申します。以後お見知り置きを」
「リカルド、もう聞こえネェよ。すっかりオネンネしてラァ」
ルイは意識を無くしたレイリアを肩に担ぎ上げながら言った。
「抵抗しなければ痛い思いもしなくて済んだというのに、噂通りのお転婆姫だな。王宮に知られる前にさっさと引き上げるぞ!馬車は手配通り準備してあるよな?」
「抜かりはネェよ。あの侯爵からミゲルってやつ乗せるっつって貰って来たんだからな。ご丁寧に辻馬車に似せてくれたぜ」
「よし!ここからは時間との勝負だ。追手に追い付かれる前に夜に紛れて、出来るだけ国境へ近付くぞ」
男達はレイリアを担いで地下通路の奥へ進んで行った。
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