喧騒に紛れる
ドミニクはイザベラの手首を掴んで立ち上がらせると、自分の背後に立たせた。
隣に座っていた男性は呆気に取られ、口をポカンと空けている。
レイリアも一瞬驚いて立ち止まったが、キャーという黄色い声で我に返り、またイザベラの元へ走り出した。
ドミニクは男性に向かって笑顔を浮かべている。
あ!お兄様のあの笑顔‥‥!
あれは‥‥ヤバいやつだわ。
とんでもなく怒っているじゃない!
あの男性、生きて帰れないかもしれないわね。
ご愁傷様。
レイリアはスピードを上げてイザベラの元へ辿り着くと、ドミニクの背後で困惑しているイザベラへ駆け寄った。
「レイリア、イザベラ嬢を頼む。君、名前は?」
男性はまだ呆気に取られていたが、ドミニクに名前を聞かれて慌てて答えた。
「わ、私ですか?ファ、ファビオと申します」
「君のその制服、どこの所属の騎士なのかな?」
「第10小隊に所属しております」
「ふーん。第10小隊と言えば‥確か高位貴族の子弟ばかりが集められている所だよね。でも、ここがどういう場所かくらいは教わっている筈だけど。ファビオ君、ここは何をする場所なんだい?」
「く、訓練場であります!日頃鍛錬を行い、実戦に備える場所であります!」
「分かっているじゃないか。ならここは女性を口説く場所じゃないよね。君は何をしに来たんだい?」
「け、見学であります!」
「そう?見学ね。見学だけじゃ勿体無い。ファビオ君、君には特別に模擬戦に参加して貰おうか」
「へっ?模擬戦‥ですか?わ、私が?」
「そう。君も騎士なら断らないよね。もちろん相手はこの僕だ。さあ、一緒に降りて剣を交えよう!」
ドミニクはヒラリと塀を乗り越え、再び訓練場に戻るとファビオが来るのを待つ。
「いいぞー!」という声援や「キャー」という黄色い声が飛び交い、ファビオは断る事が出来なかった。
ここで断ったら騎士の名折れだ。
ましてやこの大歓声、参加しなかったら一生臆病者と後ろ指を指されてしまう。
まあでも、いくらドミニク殿下が強くても、既に2人と試合をした後だ。
それに比べて私は消耗すらしていないし、幾らか腕には自信がある。
もしかしたら勝てるかもしれないな。
そうしたら私がヒーローじゃないか!
ファビオはゴクリと唾を飲み込み、少し服を引っ掛けながら塀を乗り越えドミニクの前へ立った。
通常模擬戦で使うのは刃を潰した剣だ。
ファビオが模擬戦用の剣を取りに向かうと、ドミニクはそれを静止した。
「君はその腰の剣を使うといい。こんな時でもなければ使う事は無いだろうからね」
ファビオは明らかに舐められていると思い、ムッとして眉間に皺を寄せた。
あんまり舐めてかかると、後で痛い目に遭うぞ!
私の剣は良く斬れる。
そのお綺麗な顔に傷を作って、後悔しても知らないからな!
「構え!」
という声と共に、ファビオは剣を抜きドミニクに斬りかかった。
「始め!」という合図を待たずに斬りかかったので、訓練場はブーイングの嵐に包まれる。
しかしドミニクは全く動じず、ファビオの剣先をいとも簡単に払い除けると、隙が出来た腹部と剣を持つ両手、クルリと背後に回り背中を2回、模擬戦用の剣で斬りつけた。
「カハッ‥‥!!」
ファビオは剣を落として膝を着き、激しく咳き込み崩れ落ちた。
腹部と背中を打たれて呼吸がままならないのだろう。
「勝負あり!」
という声と共に、2人の騎士に両脇を抱えられて裏に運ばれて行った。
訓練場は大歓声が沸き起こり、ドミニクは四方に向かって手を振りながらお辞儀をした。
「さすがお兄様!向かう所敵なしだわね!見た!?イザベラ!私のお兄様は世界一なの!」
「‥‥ええ‥そうね。‥‥ごめんなさいレイリア、ここから離れたいわ」
レイリアはアマリアの言っていた"普通レディという物は乱暴な事を好まない"という言葉を思い出し、慌ててイザベラの手を引いて出口へ向かった。
イザベラの手は微かに震えている。
「ごめんねイザベラ。怖かったわよね?」
イザベラは少し潤んだ瞳で微笑みながら、首を振っている。
よっぽど怖かったんだわ!
早く部屋へ連れて行って休ませないといけないわね。
レイリアがまだ興奮覚めやらぬ訓練場を出ると、出口で立ち見をする見学者にぶつかった。
少しよろけた所に手が差し出され、レイリアは何とか転ばずに済んだ。
「大丈夫ですかお嬢さん達?」
見習い騎士の制服を着た、二十代後半くらいの男性2人が、レイリアとイザベラを助け起こしてくれたのだ。
「ありがとう!助かったわ。貴方方も見学に?」
「はい。とても貴重な物が見られると聞きまして。お陰でいい物を見る事が出来ました」
「素晴らしかったでしょ?私のお兄様なのよ!」
「はい。お噂は伺っておりましたが、我々見習いにはとても勉強になりました。姫君の事も伺っておりましたが、この様な場所でお会い出来るとは思ってもみませんでした。とても光栄に思います」
2人のうち1人は無口な様で、笑顔を浮かべて頷くのみだ。
「あら、貴方だって相当鍛錬を積んでいるでしょう?手を見れば分かるわ」
「これは‥‥!姫君の観察眼には感心致しますな。確かに鍛錬は積んでおりますが、まだ見習い止まりですよ。いやはやお見それ致しました」
「私もいくらかは習っているからたまたまだけどね。それじゃあ急ぐからもう行くわ。頑張ってね!」
レイリアはイザベラの手を引いて、ホアキン翼の方角へ歩いて行った。
2人の男性は頭を下げてレイリア達を見送っている。
「ルイ、単なる小娘と侮っていたが、思ったより鋭い目を持っているようだぞ。念の為お前にはだんまりを決め込ませたが、用心した甲斐があったな」
「話すのはリカルド、オメェに任せラァ。俺は無口で通す。しっかしウメェこと潜り込めたな」
「まあ、いわく付きの侯爵の所へ行って、正解だった訳だ。当面は姫君の行動パターンと王宮からの脱出ルートを探ろう」
「了解だ。リカルド傭兵隊長」
2人は獲物を狙う様な鋭い目付きになると、訓練場から戻る人混みに紛れて消えて行った。
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