塀をよじ登る
マンソン侯爵家の門前で、ある一人の男が揉めていた。
「大伯父上に取り次いでくれ。急ぎ相談したい事があると」
「侯爵様には取り次ぎませんし、あなたが来たら追い返せと言われております。速やかにお帰り下さい」
「何だと!私を誰だと思っている!」
「マンソン一族から追い出された、平民のミゲルさんですよね。侯爵様はその様な身分の者とお会い致しません。あなたが何を言おうとも、追い返すのが私の仕事です。さあ、とっとと去りなさい!」
マンソン本家の執事は、騒ぎ立てるミゲルに手を焼いた門番に代わり、ミゲルにきっぱり言い切った。
先程突然やって来て、侯爵に会わせろの一点張りなのだ。
執事は諦めの悪いミゲルに向かって、もう一度言い放った。
「どうしても去らないと言うのなら、私にも考えがあります」
「お前如きに何が出来るというのだ?」
「憲兵を呼んで、もう一度あなたを檻の中へ閉じ込めて貰います。嫌ならさっさと去りなさい!そして二度と近寄らない事だ!」
「うっ‥憲兵だと?‥分かった。帰る!帰るから呼ぶな」
「分かればいいのです。これに懲りて二度とマンソンと名の付く家には近寄らない事です」
本家の執事は昔からミゲルの苦手としていた男だ。
その為ミゲルはスゴスゴとその場を離れた。
ミゲルは門から塀沿いに進み、高い庭木が何本か植えてある、マンソン本家自慢の庭園辺りまで歩いて来た。
「バカめ。あれだけ門前で騒げばもう帰ったと思うだろうよ。私は元々正面から入れるとは思っていない。ワザと騒いで注意を引き付けたのだ」
口元に歪んだ笑みを浮かべてそう呟くと、ミゲルは塀をよじ登り、高い木に飛び移った。
幼少より、父と共に侯爵のご機嫌伺いの為、何度も訪れたマンソン本家の事はよく分かっている。
ましてやミゲルは昔から何かやらかす度に外へ逃げ、ほとぼりが冷めた頃こっそり塀をよじ登り自室に忍び込むという事を何度も経験している。
この程度の塀などお手の物なのだ。
マンソン本家は警備が緩い。
何代も王家と縁戚関係を築き、何やら不穏な噂を持つマンソン家に、わざわざ忍び込み恨みを買おうなどという命知らずはいないからだ。
その為ミゲルは易々と邸内に忍び込む事が出来た。
フン!シモンめ!「義兄上にはコソ泥の才だけはありますね。何の役にも立ちませんが」などとほざいていたが、見ろ!立派に役に立つではないか!
私には目的がある。
あの女に復讐するという目的がな!
その為にわざわざ騒いで、大伯父上の書斎に忍び込んだのだ。
あの薬を手に入れる為に。
ミゲルは子供の頃の記憶を思い出す。
あれは確か亡き王妃様が、お忍びで訪れていた時の事だ。
書斎には決して近寄るなという、大伯父上の言い付けを破り、一目王妃様を見ようと書斎のベランダ脇の木にしがみ付いていた時だ。
お声を聞く為書斎の天窓をバレない程度に開け、息を潜めて王妃様のお姿を拝む機会を待つ。
暫く待つと大伯父上と憧れの王妃様が入って来た。
王妃様はそれはそれは美しく、思わず怯んでしまう程の威圧感を持っていた。
私はその時強く思ったのだ。
高貴なる者とは、圧倒的な威圧感を与える物なのだと。
だから私も下々にはその様に振る舞うべきなのだと。
天窓からは切れ切れに会話が聞こえた。
その時聞き取れた会話はこうだった。
「‥眠らせたい‥がいるの。貴方なら私が何を望むかご存知でしょう?」
「‥ええ。どなたに使うつもり‥はあえて聞きませんが。門外不出の我が家の薬‥。使う量を‥‥えない‥下さい」
大伯父上と王妃様は"眠る"と"薬"という言葉を言っていた。
この言葉から察するに、強力な睡眠薬である事は間違いないだろう。
その後大伯父上は机の上の馬の置物を持ち上げた。
置物の下は隠し箱になっており、蓋を持ち上げると黒い押しボタンが出て来た。
大伯父上がそれを押すと、机の後ろの絵が額縁だけ残して消え、茶色い小箱の置いてある空間に変わった。
この様なからくりを目の当たりにして、何やらワクワクした事は良く覚えている。
茶色い小箱を開け、中から薬の包みを取り出すと、大伯父上はそれを王妃様に渡した。
ミゲルは記憶通りに、からくりを作動させてみた。
するとやはり茶色い小箱はそこにあり、中には沢山の薬の包みが入っている。
その包みを二つ取り懐にしまうと、またからくりを作動させ、慎重に置物を元の位置に戻した。
望み通り薬を手に入れたミゲルは、素早く塀の外へ逃れ、誰にも気付かれていない事を確認すると、何食わぬ顔でその場を離れた。
大伯父上は"使う量"と言っていた。
という事は量によって効き目が違うという事だ。
一つはどこかの医者に渡して、使う量を調べさせよう。
そして使用量が分かったら、もう一つはあの女に使うのだ。
迂闊に近付くと、蹴り飛ばされるからな。
眠らせて馬車に放り込めば、起きた時あの女はどんな顔をするかな?
全く私は頭がいい。
我ながらこの頭の良さに感心するよ。
ミゲルはクックッと笑いながら、父親の用意した家へと帰って行った。
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