再訪と微熱
アマリアが苦労して作り上げた帽子とベールの改良型は使い心地抜群で、読み書きに支障を来す事は無かった。
鍔が少し狭い帽子の周りにベールを縫い付けて、目とベールまでの距離を広げたのだ。
ベールは少し短めにして、口元だけが見える様になっている。
着脱が容易に出来るようになった代わりに、外れ易いという問題があったので、アマリアは内側にリボンを縫い付け、顎の下で結ぶ様工夫した。
「姫君、もっと朗読は滑らかに。詩という物は言葉の美しさが心に響くのです」
古典詩の講師ボルダロ教授は、人の良さそうな笑顔を浮かべて、注意すべき点はビシッと指摘してくる。
レディ教育を受け始めて、レイリアは早くも心が折れそうだった。
午前中に受けた講義は王国史、外交儀礼、礼儀作法で、今までだったら聞いただけで逃げ出すような科目だ。
他にも音楽やダンス、朗読、地理といった内容のメニューが用意されていて、息をつく暇もない程忙しかった。
講師陣は優秀だとエンリケが太鼓判を押しただけある。
どの講師も教え方は丁寧で、非の打ち所がない。
おまけに笑顔で注意するので、逆らったり反抗したりという気にはなれない。
どうりでアマリアが付いて来ない訳だわ。
これじゃあ逃げ出す事も出来ないし。
舌を噛みそうになりながら、レイリアは言われた通り"滑らかに"を心掛けた。
やっと古典詩の講義が終わると、ボルダロ教授はレイリアにご褒美をくれた。
「姫君は頑張っておられる。ですが詰め込み過ぎは良くありません。私から言っておきますので、この後の講義はお休みにして、ゆっくり休んで下さい。但し、復習は必要ですぞ」
思わず両手を挙げて踊り出しそうになったが、教授には丁寧にお礼を言って、束の間の休息を楽しむ事にした。
レイリアが
「中庭を散策して頭を整理したいから、誰も付いて来ないで欲しい」
とお願いしたら、女官達はあっさり許してくれた。
久しぶりに本当に一人の時間を過ごしている。
バルコスを発ってから、常に誰かが側にいた。
王宮へ来てからは尚更一人になるのが難しく、少々ストレスも溜まっている。
歩きながら四阿へ向かうと、エディの事を思い出した。
そういえばあの妖精は、どうして私をエディの所へ連れて行ったのだろう?
試しに呼んで聞いてみようか。
「出て来てここの子。この前来たレイリアよ」
『レイリアすぐそば。僕はここにいる』
レイリアが呼ぶと妖精はすぐに姿を現した。
「あら、あなたはこの中庭に住んでるの?」
妖精はコクコクと頷いて、レイリアの周りを飛び回る。
「ねえ、どうして私を連れて行ったの?」
答える代わりに妖精はレイリアの袖を引っ張って、また連れて行こうとする。
これは妖精の導きであって、私はそれに従うだけだわ。
行って文句を言われても、導きなら仕方ないわよね。
回廊は相変わらず人の気配がしない。
二度目となると慣れたもので、サッと隠し扉を潜り、エディのいる部屋の扉を開けた。
今日は天蓋のカーテンは全て開けられている。
エディはベッドの上でクッションに寄りかかりながら、本を読んでいた。
突然入って来たレイリアにエディは驚いた顔をしたが、すぐに柔らかな笑顔を浮かべた。
「参ったな‥ここへ来てはダメだと言ったのに、君に会えた事が嬉しいんだから。‥相変わらず顔を隠しているんだね」
ま、眩しいわ!
この笑顔、破壊力抜群だわ!
「えっとね、言いつけを破ったのではないの。妖精がね」
「うん。妖精がまた君を連れて来てくれたんだね。その妖精には私の気持ちが分かるのかな?」
中庭より光が弱くなった妖精が、エディの周りをクルクルと回るとパッと消えた。
「そうみたい。貴方の周りを飛び回っていたわ。もう消えてしまったけど。貴方は妖精が見えないのに好かれているのね。どうしてかしら?」
「さあ?それは‥どうしてだか分からないよ。それより、顔を見せてくれないのかい?」
「あ、これね、改良して簡単に着脱出来る様になったのよ。ほら!」
レイリアは得意げにリボンを解いて、ベール付きの帽子を脱いで見せた。
エディはその様子を見ながら微笑んでいる。
「金緑石」
「え?」
「君の瞳の事だよ。金緑石は光の加減で色が変わるんだ」
「ああ、これは祝福なんですって。珍しいらしいわ」
「うん。やっぱり君だ」
「何が?」
「いや、この本にも金緑石は載っている。説明しようか?」
「ええ。どんな石か興味があるわ」
「それじゃあこっちへ来てくれるかい?今日はあまり調子が良くなくてね。君の側にすら行けないんだ」
エディはベッド脇の小さな丸イスを指して、レイリアを座らせた。
「今日はあまり調子が良くない」という事は、毒の影響なのだろう。
この前来た時より顔色が悪い。
「健康を回復させてやれば‥」などとジョアンに言ったが、そんな簡単な問題じゃないと言うジョアンの言葉通りなのだ。
こんな風に10年間、この人は苦しみ続けて来たのだわ。
何とかしてあげたいけど、今は何もしてあげられない。
レイリアはそう思うと、胸が痛くなった。
「金緑石は微量に鉱物を含み、その為太陽光の下では青緑に、蝋燭の光の下では赤色に変化するんだよ。君の瞳はもっと色を変えるけどね。ほら、これが金緑石の色付きの絵だよ」
「へー!エディって教授みたいね。今日古典詩のボルダロ教授の講義を受けたけど、なんかそんな感じに説明してくれたわ」
「講義?」
「ええ。私があまりにもレディらしくないから、従兄弟と侍女の陰謀で毎日みっちりレディ教育を受けてるの。心が折れそうだわ。苦手なのよ、ああいう事は」
「どうりで疲れた顔をしている」
そう言ってエディはレイリアの頰に手を添えた。
触れられた所からカッと熱くなり、顔全体に広がっていく。
変だわ!?
なんでこんなに顔が熱いのよ!?
「リア、どうしたんだい?熱でもあるのかい?顔が赤いよ?」
「な、何でもないの。気にしないで」
「いや、ダメだ。熱を測ろう」
エディはそう言うと顔を近付け、レイリアの額に自分の額をくっつけた。
目の前にはエディの綺麗な顔。
閉じられた瞼には長い睫毛が縁取り、スッと通った形の良い鼻はレイリアの鼻とくっつきそうだった。
ち、近い!!
近過ぎる!!
これは耐えられないヤツだわ!
レイリアはパッとエディから顔を放した。
「わ、私より、エディの方が顔色が悪いわ。私に出来る事はない?」
エディは躊躇いがちに微笑んで、左右に首を振る。
「今は特には‥‥ああそうだ!リアのキスなら少しは調子が良くなるかもしれない」
「へっ!?キ、キス?キスって言った?」
「うん。リアがキスしてくれたら少しは楽になるかもね」
「キスって‥えっ!?そんなキスって!!そんな事!?ええっ!!」
狼狽えるレイリアを見て、エディはクスクスと笑う。
「からかったわねエディ!一瞬本気にしたわ!」
「からかってないよ。リアがあんまり可愛らしい反応するから、本気でそうしてくれたらいいのにと思ったんだ。でも君はしてくれないんだろ?」
「しないわ!一応レディですから!修行中の身だけど‥‥」
エディはまたクスクスと笑う。
レイリアはプゥっと頰を膨らませたが、エディにつられて一緒に笑い出した。
何だろう?
エディの側って‥何かが違う。
何だか分からないけど、嬉しい?様な‥
なんとなく胸の辺りがモヤモヤしてくる。
レイリアがそんな事を考えていると、突然扉をノックする音が聞こえた。
声を出す変わりに、どうしよう!とエディに目で訴える。
エディは頷き、天蓋のカーテンを閉めると、レイリアの帽子をベッドの下へ隠し、レイリアを自分の横へ寝かせて布団を被せた。
エディからの返事が無いので、もう一度ノックが聞こえる。
「入りなさい」
エディがそう言うと、誰かが入って来る気配がした。
突然の来訪者にドキドキしながら、レイリアは布団の中で必死にエディにしがみ付いた。
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