人の一寸ミゲルの一尺
石造りの湿った通路を歩く、数人の足音が近付いてくる。
どこかで水漏れでもしているらしく、時折聞こえる水音が、一層不快感を煽る。
「くそっ!!シモンめ!!こんな場所に閉じ込めやがって!!庶子の癖に出過ぎた真似を!!くそっ!!」
ミゲルは鉄格子の中で悪態をついた。
シモンがミゲルの為に選んだ独房は、犯罪を犯した貴族が入る場所では無く、庶民が入るそれだった。
鉄格子の中には、穴の開いたマットレスが敷かれた粗末なベッドと、用を足すのも戸惑う程に汚いトイレがあった。
掛け布団に至っては、掛けると体中が痒くなるという代物で、最初の晩に掛けて酷い目に遭ったミゲルは、仕方なく使うのをやめた。
足音はどんどんミゲルの独房に近付いてくる。
「やっとか‥」
そうミゲルが思った通り、独房の前には3人の男達が立っていた。
その内の一人は、ミゲルが良く知る人物だ。
「義兄上にはご機嫌麗しく、健やかにお過ごしだった様ですね」
「どこがだ!!そう見えるならお前は眼科医の受診が必要だな!こんな所でどうやってご機嫌麗しく過ごせるというのだ!」
「おや、義兄上に必要な物は揃っている筈ですけどねぇ。義兄上は下が緩いようですから、これでも気を使ってトイレのある独房にしたんですよ」
「こんな汚いトイレのどこが気を使っただ!!使うのも憚られるわ!」
「使うのもって‥まさか義兄上またお漏らしを‥」
「するかっ!!くだらん事を言ってないで、とっととここから出せ!」
シモンはフーと大袈裟に溜息を吐いて、残念な物を見るような目でミゲルを見た。
「少しは心を入れ替えたかと思って来てみれば、なんの反省も見られないとは。これでは出してもまた何かしら問題を起こすでしょう。私としては一族の恥を野放しにするより、死ぬまでここに閉じ込めておきたいのですがねぇ。本当に残念だ」
「し、死ぬまでだと!?冗談じゃない!!」
「義兄上、ここから出たいですか?私は出したくないんですが」
「で、出たい!!物凄ーく出たい!!」
「でしたら頼み方があるのでは?義兄上の態度は人に物を頼む態度ではないので。出たいならきちんとお願いをするべきでしょう?お漏らしをしても大人なんですから。もう一度言います。お漏らしをしても‥」
「そこだけ二度も言わんでいい!!くっ!!シモン如きに頭を下げねばならんとは。この屈辱は忘れないぞ」
「どうやら義兄上にそんな気は無い様ですねぇ。さて、ご機嫌伺いも済んだので我々は戻るとしますか」
「待て待て待て!いや、待って下さい!お願いします!出して下さい!!」
「ハァー‥本当に残念な人だ。義兄上にはプライドも無いらしい。いいですか義兄上、よ〜く聞いて下さい。義兄上をここから出す為に、父上は本家の侯爵様に頭を下げられました。一族の中に投獄された者を出しては、権威が地に堕ちるからです。それは侯爵様も納得されて、ご助力頂けました。そして義兄上には条件を出されました。条件というよりはほぼ勘当ですがね」
「か、勘当‥!?」
「ええ。今後一切マンソンを名乗る事と、マンソンを頼る事を禁じると仰いました。つまり事実上の勘当ですね。まあ、はっきり言って義兄上はバカですから、マンソンの力無くしては一切れのパンも買えないでしょう。父上は最後の憐れみだと義兄上に家を用意して、そこでひっそりと暮らせと仰いました。不本意ですが私には義兄上を監視せよと。不本意ですが。仕方ないから物資の配給くらいはしてあげますよ。不本意ですが」
「お前の‥世話になるという事か‥最悪だ」
「最悪なのは私の方です。ですが次期当主としては我が家の恥を表に出すよりはマシなので、仕方なく受け入れますが。さて、義兄上と話すと疲れるので、そろそろ出すとしましょう。私は無職で庶民の義兄上と違って、忙しいのです」
ミゲルは肩をガックリ落として項垂れた。
シモンの横にいた看守は独房の鍵を開け、ミゲルをシモンに引き渡す。
ミゲルは大人しくシモンの後に付いて行ったが、心の中では別の事を考えていた。
今にみていろ!復讐してやる!
全てはあの女のせいだ。
弱小国の田舎者風情が!
急に大人しくなったミゲルを、シモンは不審に思ったが、面倒だからそのまま連れて行った。
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