朝靄を晴らす真実
深い朝靄に包まれた早朝の神殿は、一層神秘的な雰囲気を醸し出して、足を踏み入れる事に躊躇いを覚える。
罪人である自分が、この神聖な場所に足を踏み入れても良いのか?
幾度となくその問いを繰り返し、結局答えが出ないまま、今日も祈りを捧げている。
姫君は「毎日来れるか分からない」と言っていたが、必ず来ると約束してくれた。
それならば私は姫君を説得してみせよう。
なんとしてでも協力して貰わなければならないのだ。
姫君にはそれだけの力があるのだから。
ジョアンが祭壇の前で暫く祈りに耽っていると、誰かが入って来る気配を感じた。
振り返ると、ジョアンの期待した通りの人物が立っている。
「来たわ。え〜と、ジョアン。続きを聞かせて貰おうかしら?」
ジョアンはゆっくり立ち上がり、微笑みを浮かべながら頷いた。
「今日は、私の兄の話をしよう」
「亡くなられたとお聞きしたけど。その、辛い話なのではないの?とても仲の良い兄弟だったとお聞きしたわ」
「辛くはないよ。貴方には兄上の話を聞いて貰わなければならない。そしてそれこそが、私が貴方に協力を求める理由なのだから。今から話す事は、貴方には受け入れ難い話かもしれない。それでも聞いて貰いたい」
「‥いいわ。聞きましょう。貴方の理由とやらを」
ジョアンはホッと息を吐き、レイリアを真っ直ぐ見つめて話し始めた。
「兄上は私の目標だった。いや、今でもそれは変わらない。優しくて賢くて面倒見が良くてね。手間のかかる私を、いつでも気にかけてくれたんだ。陛下は父と呼ぶには距離が遠く、母は私より自分の利益を優先した。私を家族として愛してくれたのは、兄上だけだったんだ。兄上は私の世界の中心だった」
「私にもお兄様がいるから、世界一って気持ちは分かるわね」
「ドミニク殿の評判は聞いている。貴方が世界一だと言うに相応しい人物だと。だが貴方と違うのは、兄上という存在が私の前から消えてしまったという事だ。10年前、兄上は突然姿を消した。そしてその数日後に、兄上の死という報せを聞いたんだ」
「姿を消したって!‥どういう事?」
「兄上は地質学に詳しくてね。将来地質学者になれたらいいのになどと、よく冗談を言っていたよ。王太子である自分には叶わぬ夢だと知りながらね。その話をどこから聞いたのか、普段は私や兄上に無関心だった母が、兄上の為にと研究用の山荘を用意したんだ。ブラガンサ領の外れに、誰にも知られない様にね。王太子がその様な場所へ行くには、何かと周囲がうるさいからと、忍びの手筈まで整えて。ブラガンサ領には特殊な地層と数多くの崖がある。その地形の悪さを利用して、辺境伯は過去の歴史でオセアノを防衛してきた。難攻不落と呼ばれたあの場所は、容易に近付く事は出来ない。今はバルコスへの道が出来たり、交通手段も発達したが、それでも天候によっては封鎖される場所だ。人一人を隠すには、打って付けで、兄上の研究材料にも事欠かない場所だった。そして兄上には王妃である母からの申し出を、断る事は出来なかった」
「待ってそれじゃあ、故意に隠されたって事?」
「そうだ。最初から母は兄上を隠して、誰にも知られずに兄上を殺すつもりだったんだ。私を王太子にして、国母という権威を手に入れる為に。そして兄上にはマンソンの薬が使われた。私が発見された兄上と対面した時には、兄上は既に息をしていなかった」
「‥‥何て‥事」
「兄上の葬儀は、すぐに執り行われたよ。だから私も母も兄上の遺体に、一度しか対面させて貰えなかった。母は悲しんでいたが、口の端が上がっているのを私は見逃さなかった。私は母が憎いと思ったよ。そしてその様な女の腹から生まれた自分を、心底嫌悪している。やはり私という存在が兄上を追い詰めて殺したのだとね」
「‥‥ここまで聞いたら、えっと、ジョアンが自分は相応しくないと言う訳は分かったわ。何というか、受け入れ難い真実に、貴方はずっと苦しんでいるのね。でも、例えば貴方が失脚したとして、相応しい人物とは誰なのかしら?もし協力するとしても、その人物を知らない事には、判断出来ないわ」
「レイリア、ここからが本当の秘密だ。兄上は亡くなり墓もある。だがその墓の中に、兄上の遺体は無い。あるはずの遺体が無いという事がどういう意味を表すのか、貴女はどう考える?」
「‥他の場所へ移したとか‥いや、あり得ないわね。王太子殿下の遺体ですもの。でも待って、まさか!いえ、やっぱり分からないわ」
「貴女の考えたまさかという答えと、私が告げる真実は、同じ物だと思うよ。兄上は生きている。そして私の言う相応しい人物とは、兄上の事なのだ」
「!!!!」
「兄上以外に相応しい人物はいない。だが兄上は一度死んだ事になっている。この事実を覆すには、私の力だけでは無理なのだよ。何より陛下がそれを許さない。兄上は生きているとはいえ、一つ健康上の問題を抱えていてね」
「‥‥どうやって‥一体どうやって生き返ったのですか?信じられないわ!」
「私が対面した時、確かに兄上は息をしていなかったんだ。それは母も確認した。だから死を確信した母は微かに笑ったのだ。ところが埋葬する直前に、息を吹き返してね。それを知った前王妃の一族、ポンバル家は密かに兄上を隠したんだ。棺を整える役割に、兄上の叔父であるポンバル侯爵が立候補したのは幸運だった。彼等は自分達の血を引く王太子を、なんとしても母の手から守りたかったんだ。どうやってと言ったね。兄上にも詳しくは分からないらしいが、一人の少女に貰った薬がマンソンの毒に効いたのではないかと言っていたよ」
「‥薬ですか?毒消しの類いだったのかしら?」
「兄上は少女と出会った時怪我をしていてね、別れる前に飲み薬を貰ったそうだ。万能薬だから飲めと言われた薬を。その薬を飲んでいたおかげで、マンソンの毒は効果を半減した様だ。兄上は一時仮死状態にはなったが、命までは奪われなかった。それでも毒はまだ体に残り、未だに苦しんでいる。なんとかしたくても、マンソンの毒は門外不出だ。色々試したが、どの薬も効果は得られなかった。だから私は少女に会ってその薬を譲って貰いたいのだよ」
「少女‥ですか。その少女というのは、どこにいるのでしょう?」
「探しているが、未だに消息不明なんだ。私が兄上の生存をモンテイロ・ポンバル侯爵から聞かされたのは、兄上が亡くなったとされてから3ヶ月後だ。ちょうどその頃母は床に就き、1ヶ月後に亡くなった。ポンバル家も母にはもう容赦しなかったから。母の行ったのと同じ方法で、母を殺したのだ。母が亡くなっても私には何の感情も湧かなかったよ。そしてようやく兄上に会い、少女の話を聞いたんだ。兄上は半年後に少女と会う約束をしたと言った。既に3ヶ月経過していたので、私は兄上の代わりにその3ヶ月後、約束の場所へ会いに行った。でも少女は現れなかった」
「それじゃあ、毒消しは手に入らないと?」
「私は絶対に諦めない。何としてでも兄上を元通り元気にして、今私が持っている物全てを兄上に返すつもりだ。その為に初恋の少女だなどと嘘をついて、エンリケにも探させている。貴女を酷い目に遭わせた私の想い人とは、この世で私が一番大切な、たった一人の兄上の事なのだ」
「‥想い人‥だから誰にも、その存在を知られてはならなかった‥と‥‥」
ジョアンの告白はレイリアにはかなり衝撃的だった。
そして話の途中から、一人の人物の顔が頭に浮かんで、それが確信に変わりつつあった。
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