形勢逆転
侍女は泣いている。
これ以上ないほど大袈裟に、時々大声を上げて泣いている。
エンリケが何かを話す声を、搔き消す程の大声で。
ルイスはアマリアの側へ行き、背中を摩りながら耳打ちをした。
『アマリア、普通でいい。話が出来ない』
チラリとルイスを見るアマリアは、チッと微かに舌打ちをして、泣きながら頷いた。
泣き声のボリュームが落ちると、あからさまにホッとした顔のエンリケが、レイリアの前へ跪く。
「姫君、この度の数々の無礼、姫君に大変不愉快な思いをおかけしてしまいました。これも全て私と殿下の不徳の致すところであり、先ずはお詫びをさせて頂きたく存じます。大変申し訳ございませんでした!!」
言い終わるとエンリケは、床に額を擦り付けながら平伏した。
続いてジョアンもエンリケの横へ並び跪くと、頭を下げて謝罪を述べる。
「私の愚かな行動が全ての原因であり、姫君を傷付け、取り返しのつかない事をしてしまった。今更この様なと思われるかもしれないが、姫君には本当に申し訳なく思う。姫君、本当にすまなかった!」
二人が謝罪してもレイリアからは何の返事もない。
そこで二人はそれぞれ「申し訳ございません」と「本当にすまない」を何度も繰り返してみるが、やはりレイリアは何も言わなかった。
「ああ、そうか!これでは姫君は何も話せない。お気付きですか殿下?姫君は十項目を忠実に守っているのです。殿下の許可がない限り、姫君は話す事も笑う事も顔を見せる事も出来ないのです。姫君の答えを望むなら、殿下が許すと仰らなければ!」
ルイスはいかにも今気付きましたよという顔をして、レイリアの状態を解説した。
これにはジョアンも焦りの色が隠せない。
「姫君、発言を許す。いや、十項目など最早撤回する!どうか返事をして貰えないだろうか?」
するとレイリアは、ゆっくりと二人の周りを一周して、漸く口を開いた。
「ご自身で出した条件を、簡単に撤回すると仰るとは、随分と勝手な了見です事。一国の王太子のなさりようとはとても思えませんわ。それがこの国のやり方だと仰るのならば、私は今すぐミドラスへ旅立ちましょう。そうだわ!最初からそうすれば良かったのだわ!少なくともミドラスからは、バカげた条件など出されなかったというのに」
ジョアンの顔色は真っ青だ。
「愚かな私は、姫君にそう言われても仕方がない事をしでかした。姫君の仰る通り、身勝手な条件を突き付け、傲慢な態度をとった事、これは罪に値する行いだ。だがどうか、ミドラスという選択だけはしないで欲しい。私なら殴るなり蹴るなり、姫君の気の済むまで、どんな罰でも受け入れよう。どうか愚かな私のせいで、国民を危険に晒す事だけは!!」
「殴るなり蹴るなりですって?では殿下、立って下さい」
「いや、姫君への謝罪にこの姿勢を崩す訳には‥」
「立って下さいと言ったのです。聞こえませんでしたか?」
ジョアンは渋々立ち上がった。
「顔と体どちらを望みますか?」
訳が分からないジョアンは、何と答えたらいいか迷っていた。
「お答えにならないのなら、私のやりやすい方に致します。そうですねぇ‥体にしましょうか。お腹に力を入れて下さい。これは親切で言っています」
益々訳が分からないジョアンは、言われた通り腹に力を入れた。
するとジョアンの体の側で、シュッと風を切る音がした。
「‥グッ!!」
脇腹に衝撃を感じて、鋭い痛みが走る。
一歩後ろへよろめいたが、ミゲルと違って鍛えてあったので倒れはしなかった。
目の前のレイリアを見ると、片足を上げながら一回転して元の位置に戻った。
ヒラリとベールが舞い上がり、ほんの一瞬だけ顔が見えたが、表情は分からない。
「‥姫君、これは‥?」
「殴るなり蹴るなりと仰ったでしょう?だから蹴った。それだけです。ミドラスは考え直してあげましょう」
まさか本当に蹴られるとは、ジョアンも思っていなかった。
ルイスも予定外のレイリアの行動に、困惑している。
エンリケは姿勢を崩さないが、一瞬だけピクリと動いた。
アマリアは‥‥安定の演技だ。
「殿下、一つ教えてあげましょう。殿下の条件に対する抗議文を、兄が既に国王陛下へ送ってあります。今後の事は殿下抜きで、陛下と兄の間で話し合われる事になるでしょう。それから、どの様な条件でも受け入れると仰ったとか。本当にどの様な条件でも受け入れるつもりですか?」
抗議文に狼狽えるジョアンだったが、条件については誠意を見せた。
「‥それは、もちろんだ姫君」
「では、バルコスの国境全てに兵を配置して、ミドラスが侵入出来ない状態にして下さい。これは陛下と兄の話し合いが終わるまで続けて頂きます。そうすれば兄も安心して、オセアノへやって来れるでしょうから」
エンリケはギョッとして思わず顔を上げた。
そして他国の警備にどれほどの経費が掛かるのか頭の中で計算し、考えただけで頭が痛くなった。
「戦争に比べたら、安い物だと思わない?ねえ、そこの‥お名前を聞いていなかったわね。そこの方」
「エンリケ・ヴェローゾと申します。姫君の仰る通りでございます。この度は本当に申し訳ございませんでした。殿下の失態は私の失態。姫君の条件は甘んじて受け入れましょう」
「それから、私の条件がこれだけだと思わない事ね。殿下は十項目もの条件を出してきたのだから。私はご覧の通り忠実に守ってきたわ。貴方方も誠意を見せて、私の条件を受け入れる準備でもしておきなさいな。ああ、ルイス、十項目第六をお願い」
「十項目第六なるべく顔を見せない事」
「私はこれを変えるつもりはないのでお忘れなく。殿下は私を見る度に、自分の行いを思い出す事になるでしょう」
私達の目的は謝罪では無かったのよね。
バルコスが優位に立つ事。
これが目的よ。
後はお兄様に任せれば間違いないわ。
まあ、殿下には蹴りを食らわせたから、それなりにスッキリしたけどね。
それにしても硬かったわ。
私自慢の脚力によく耐えたわねぇ。
蹴った私の方が足が痛いわ。
読んで頂いてありがとうございます。