一寸先は自由
レイリアは自慢じゃないが、足の速さには自信がある。
子供の頃から野山を駆け回って鍛えられた脚力は、そんじょそこらの男の人には負けない。
あっという間に坂道を下ると、大公の待つ城へ辿り着いた。
門の入口を守る衛兵達は慣れたもので、遠くからレイリアが走って来る様子を見ると、絶妙なタイミングで門を開けてくれる。
そして簡単な挨拶と軽口を交わすのだが、今日はいつもと違っていた。
「姫さん、大至急大公様の元へ行って下さい!大公様がえらい取り乱しています」
衛兵の只ならぬ様子から、何か良くない事が起こっているのではないかと思い、着替えもせずそのまま大公の執務室へ向かった。
執務室の前でとりあえず服の埃を払い、手櫛で簡単に髪の乱れを直す。
ノックをすると父である大公の返事がして、レイリアは中へ入っていった。
大公はレイリアを見ると大袈裟に溜息を吐き
「またお前はそんな格好で、早朝から何処へ行っていたんだ?」
と呆れた様な顔をした。
「ベリー摘みですわお父様。朝摘みの採れたてを沢山採ってきました。後でジャムにして配ろうと思います」
何を今更という顔をして、レイリアはしれっと言った。
「まあいい。お前には大事な話がある。最初に言っておくが、我々には選択肢は無い」
「選択肢?」
「そうだ。これは国と国を結ぶ重要な案件だ」
「国に関係する事ならお兄様の方が良いのではないですか?なぜ私なんです?」
「ドミニクにはどうにも出来ないからだ。お前以外どうする事も出来ない。オセアノ国王と協議した結果、これ以外に方法が見つからなかった」
「ミドラス帝国の脅威に対抗する手段という事ですか?いったい私に何が出来るというのです?」
「‥‥オセアノへ‥オセアノの王太子へ嫁いでくれ」
「えっ?」
「レイリアすまん!これ以外の選択肢は無いのだ。私は小さくとも心豊かな人々が暮らす、この国を守りたいのだ‥‥」
嫁ぐ?
オセアノの王太子へ?
確かに嫁ぐのが当たり前の年齢ではある。
小さな国といえど、まがりなりにも王族として、結婚相手を選べないのが普通だ。
しかし、すまんというのがどうも引っかかる。
普通に考えたら"玉の輿"だ。
大国オセアノがこんな小さな国から王太子妃を娶るなんて、普通に考えたらあり得ない話である。
そう、普通に考えたら。
レイリアは何か裏がある気がして、大公に満面の笑みを向けた。
「お父様、すまんと仰る訳を順を追って説明して下さる?」
「‥‥うっ!‥そ、その、最初この話が持ち上がった時、王太子が難色を示してな。意中の相手がいるのに、なぜわざわざ得にもならない小国から妃を娶らねばならないのかと」
まあそうなるわね。
野山を駆け回って社交もした事がない猿みたいな姫を、わざわざ意中の女性を諦めてまで娶りたいなどという奇特な輩はいるはずがない。
多分「あの猿姫め!」なんて思ってるかもしれない。いや既に言っているかもしれない。
「で?」
「それで、一旦はこの話は保留になったのだ。だがここに来て状況が変わった。ミドラスがお前を皇帝の側室に貰いたいと言い始めたのだ」
「えっ!ちょ、ちょっと待ってお父様!私その話を聞くのは初耳なんですけど?」
「そりゃそうだ。私だってさっきオセアノの使者殿から聞いたばかりだからな。ミドラス側はお前を側室にする事で我が国を手に入れ、オセアノに攻め込みたかったのだろう。だから我が国ではなく、オセアノに直接言ってきたそうだ。お前はミドラスが貰い受けるから、手出しはするなとな」
「なんて勝手な!大体ミドラス皇帝ってお父様位の年齢でしたわよね?いくらなんでも側室なんて!」
「レイリア、問題はそこじゃ無い。お前がミドラスへ行ったら間違いなく戦争が始まる。それだけは私もオセアノ国王も絶対に避けなければならない。それは王太子も同じ考えだ。だからこそ王太子はお前との婚姻を承諾してくれた」
「‥‥止む無く‥ですわよね。そうでなければこんな猿姫、好き好んで貰い受ける訳ないわ」
「誰が猿だと?レイリア自分を貶める言い方はやめなさい。お前は美しく愛らしい、私の自慢の娘だぞ!」
「だって、従兄弟のルイスはいつも私の事を猿姫って呼ぶわ!シェラス村の男の子達だって、私とのかけっこに負けると必ず猿姫って言ったもの」
大公はなだめるようにレイリアに言って聞かせる。
「お前は少々お転婆が過ぎるからなぁ。彼等はお前に負けて、自尊心を傷つけられたのだよ。だから腹いせに悪態をついただけなんだ。お前はもう少し大人にならなければいけないね」
父の言う事は分かるが、美しく愛らしいという所は親の欲目だろうとレイリアは思った。
話が横道に逸れて父は誤魔化したつもりだろうが、まだ本当のすまんと言った訳を聞かせて貰っていない。
「それでお父様、まだ他にも何かあるのではないかしら?」
大公はまた話を戻され、バツが悪そうな顔をした。
「実は‥だな、王太子はお前を娶る際の条件を付けてきたのだ」
「条件?」
「そうだ。まず第一に、当分は婚約者としてオセアノに留まる事。第二に、婚約期間中ミドラスへの解決策が見つかったら、直ちに婚約を解消し国へ戻る事。第三に、婚約者として公の場に出ない事。第四に、会話や接触をしない事。第五に‥」
「えーっとお父様、それって一体幾つまであるのです?」
「十項目だ」
「十っ!!多っ!!」
「レイリア、動揺は分かるが言葉遣いがなってないぞ」
「‥‥失礼しました。今聞いただけで王太子殿下がどれだけこの話に乗り気でないか良く分かりました。それからお父様がすまぬと言った訳も理解出来ました。つまり私は王太子妃候補という名の厄介者なのですね?」
「‥‥本当にすまんレイリア。私は王太子に異議を唱える事が出来ない。お前がこの国に留まる事が、今は一番危険なんだ」
大公は項垂れてチラリとレイリアを見る。
レイリアは怒りも泣きもせず、微笑みながら大公の手を握った。
「私なら大丈夫ですわお父様。だってこの縁談は結婚まで至らない可能性があるんでしょう?それに王太子殿下に気を使う必要もないんですもの。そもそも意中の女性がいる方に、無理な縁談を押し付けたって上手く行く訳ないし。十項目さえ守っていれば、後は好きに出来るって事ですわ。うん、いい方向に考えれば凄く楽じゃない!」
「いいのかレイリア?私は不安しかないぞ」
「暫くご厄介になるだけだと思えばたいした事ないわ。お父様達はその間、良い解決策を見つけて下さい」
あまりにもあっけらかんとしたレイリアに、大公は拍子抜けした。
のんびり自由に育った娘は、あまり物事を悪い方へは考えない。
「大丈夫なのか?うちの娘は‥‥」
大公はレイリアが去った後、思わずポツリと呟いた。
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