【あの時の話3】
「‥兄上の‥腕の古傷はな、魔女から私を庇った時に出来た傷なんだよ‥」
痛みを想像したのだろう、顔をしかめたロナウドは、すっと立ち上がると私の横に座った。
「叔父上は?叔父上は何処をやられたの?」
「私か?私はここをやられたな‥。兄上に比べれば大した事なかったが」
「でも、痛かったでしょここ?」
「まあ、痛く無かったと言えば嘘になるな‥」
と、言うとロナウドはソファに膝をつき、私の指した右肩に手をそっと乗せた。
「痛いの、飛んでけー!」
乗せた手を労わるように撫で、私の顔を覗き込むロナウドの姿に、熱い物が込み上げて胸がいっぱいになる。
「叔父上‥まだ痛い?」
私の頰に手を伸ばし、指先で掬い取る光る物。
いつの間に流していたのだろう?
私は涙を流していた。
ロナウドは私の頭を優しく撫でる。
まるであの時の兄上の様に。
堪らず私はロナウドの小さな体を抱き締めた。
ロナウドはまだたったの3歳で、利発ではあるが物心がつき始めたばかりだ。
だというのに、あの頃の私が欲しかった物を、教えなくても知っている。
兄上が母に鞭で怪我を負わされた事により、母が私に日常的に虐待をしている事は、陛下やマンソンも知る事になった。
愛情を感じない息子ではあっても、流石に放置出来る問題ではないと、私は陛下により母とは違う宮へ移された。
マンソンもマンソン家の血を引く王子としての私を、虐待していた母に怒り、母の処遇を決める際は、厳しい意見を進言し、結果母は私との接近を禁止され、公の場以外での外出をも禁止される身となった。
こうして私は兄上と共に学び、いつも一緒にいられる、とても幸せな時間を過ごす事が出来たのだ。
しかし、それも長くは続かなかった。
表向き私や兄上に無関心な様子を見せていた母だったが、影では着々と準備を整えていた。
そうしてあの様な悲劇を生み出し、兄上の将来を奪ったのだ‥。
思えばあの事件が起こる前の兄上はどこかピリピリとしていて、優しく穏やかだった性格も傲慢とも取れる態度に変わっていた。
後でイザベラに教えて貰ったのだが、当時私の大切にしていた仔馬を毒殺したり、心を開いた教師に怪我を負わせたりと、母は数々の嫌がらせを仕掛け、それに気付いた兄上は秘密裏に動いていたのだそうだ。
そしてそれらを止めるのと引き換えに、あの山荘へ行くという取り引きに応じたのだと。
「もう‥痛くはないぞロナウド。ありがとう」
「叔父上、魔女はそれからどうしたの?」
「魔女か‥。魔女は悪い事をし過ぎたせいで、遠い所へ送られたよ。だがな、魔女は最後に兄上に呪いをかけて、10年間も眠らせてしまったのだ。しかし、その呪いをレイリアが解いてくれた。レイリアのお陰で、私達はこうしていられるのだよ」
「母上が!?じゃあ母上は魔女やルイより強いの?」
「ああ、強いぞ。だがそっちの強さではなく、レイリアは心が強いのだ。それはロナウド、確かにお前も受け継いでいる。優しく強く正しい心を、お前も持ち続けていって欲しい」
「心?」
キョトンとした顔で私を見つめるロナウドを、膝に抱き上げ頭を撫でる。
すると慌しく廊下を走る音の後に、突然勢い良く扉が開いた。
「ロナウド〜迎えに来たわよ!」
「あっ!母上!」
膝の上からピョンと飛び降り、レイリアに駆け寄るロナウドは、すっかり母親に甘える子供の顔だ。
「ん?口の周りにチョコレート!?て事は、また美味しい物食べてたでしょーロナウド?」
「うん!チョコレートケーキ!」
「えー!いいなぁ!」
「ああ、迎えに来たのだなレイリア。菓子ならば多分そう言うだろうと思ってな、離宮へ届ける様言ってある」
「おっ!さっすがぁジョアン、分かってるぅ〜!」
「るぅ〜!」
両手の人差し指で私を指すレイリアと、その横で同じポーズを取るロナウドの姿に、思わずクスリと笑みが零れる。
すると続いて扉が開き、ヨレヨレになった侍女殿とそれを支えるエンリケが入って来た。
「ハア、ハア、お、奥様‥急に走り出さないで下さい。私には結構キツいんですからね。年齢的に」
「いや、侍女殿を支える私もキツいんですが。結構重‥いえ、色々アレでしてね」
「エンリケ様、今重いと言いませんでしたか?」
「いえ、アレですよ、侍女殿には少し運動が必要かなと。やはりロナウド様もいらっしゃる事ですし、体力をつけた方が良いかと思いましてね。まあ、色々と」
ゴニョゴニョと何やら言い澱み、何とか誤魔化したつもりのエンリケに、侍女殿はジトリと睨みをきかせている。
まあ、放っておいてもいいとは思ったが、お説教が長い事に定評のある侍女殿だ、ここは助け船を出してやるべきだろう。
「エンリケ、その書類は急ぎの案件か?」
「え、ええそうです!大至急の案件なんですよ!」
あからさまにホッとした様子のエンリケを見て、レイリアもロナウドもクスクス笑っている。
するとまたもや扉が開き、意外にもルイが入って来た。
「子主人!オリャあうっかりしてましたぜ。子主人から預かったペンダントを、返し忘れていました」
「ぬ!子主人?まさかと思うが‥まさかロナウド殿下の事か?」
そこに食い付くエンリケに、軽い頭痛を覚えながら、おそらく次に何を言うのかが手に取るように分かる。
「そうサァ!主人の子供だから子主人サァ」
「はー‥何というネーミングセンス!あまりにも捻りが無さ過ぎる!」
「いや、あんたにだけは言われたかネェよ!」
「全く、これだから素人は!ネーミングの奥深さを分かっていませんね!どれ、一つ私が捻ってみせましょう。えーロナウド様だから‥」
「エンリケ、いいから書類を渡せ。その為に来たのだろう?」
「おっと、私とした事がつい我を忘れてしまいました。まあ、これに関しては後で捻ってあげますよ」
「いらネェよ。んじゃあ子主人、確かに返しましたぜ。明日又訓練で会いましょうや」
「うん!ありがとうルイ!」
言ったが早いか、風の様に素早くいなくなるルイの鮮やかさに、レイリア始め侍女殿までも拍手を送っている。
それにしても、今日は来客の多い日だ。
以前は私を恐れてエンリケ以外に訪れる者の居なかったこの執務室が、これほど賑やかになるなんて、以前の私なら想像すらしなかっただろう。
「それじゃあジョアン、帰るわね。ロナウドを預かってくれてありがとう!」
「叔父上、ありがとう!」
「ゆっくりですよ、ゆっくり!それではジョアン殿下、失礼致します」
まるで一陣の風の様に、慌しくやって来たレイリアは、又慌しく帰って行く。
そんなレイリアの去り際に、私はある決意を伝えた。
「レイリア、ロナウドが大人になった時、私は王位を譲ろうと思う」
一瞬驚いた顔をしたレイリアは、直ぐに笑顔に変わり、そしてこう返した。
「それなら協力出来るかもね。でも失脚の手伝いだけはごめんだわ」
パタンと閉じられた扉を見つめ、私はフッと軽く笑う。
横で困惑顔のエンリケが見つめているが、特に説明する必要は無いだろう。
始まりは酷く利己的な条件の下。
レイリアのお陰で変わって来た環境を、私はとても愛しく思う。
余談だが、後日懲りもせずルイの元へ「大分捻った」と豪語していたエンリケが渡したネーミングは、"リトルマスター"という何の捻りもない物だった。
何故かそれを聞いていたリカルドが「略せばリトマスですよ。センスのカケラもなきゃ試験紙と被るんで却下です」とバッサリ切り捨てたせいで、エンリケは2週間もの間落ち込む事になった。
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