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こじらせ王太子と約束の姫君  作者: 栗須まり
第1部
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【あの時の話2】

ジョアンは一口お茶を口に含み、ロナウドの顔を眺めた。

向かい側から期待に満ちた瞳をキラキラ輝かせて、どんな話をしてくれるのだろうかとワクワクしているロナウドに、何故だかレイリアの姿が重なって苦笑を漏らす。

初めて神殿で秘密を告白した時の、あの時のレイリアの姿に。

おかしな事にこうして秘密を話すのは二度目で、そのどちらもレイリアにしている様な錯覚に陥る。

これも縁という物なのだろうか?

そう感じたジョアンは、子供に分かる言葉で静かに語り始めた。


「昔‥この宮殿には魔女が住んでいたのだ。そして私は‥その魔女に育てられたのだよ‥」

「魔女!?魔女ってどんな魔女?」

「そうだな‥。美しく優雅で、とても怖い魔女だった‥」


目を閉じれば今でも鮮明に蘇る。

冷たい瞳で見下ろす母の姿と、叩かれた頰の鈍い痛みが。

物心ついた頃には、母という存在を恐怖の対象としか見られず、顔を見るだけで体が震えたものだ。

母の前で泣く事はおろか、愛情を求める事すら許されなかった。

辛くて耐えられず、どうしようもなくなると、私は中庭の茂みに隠れて、こっそり一人で泣いていた。

あれは九つになろうという時だったか、いつもの様にこっそり泣いていると、突然兄上が現れ私の隣に腰を降ろしたのだ。

そうして無言で私の頭を撫で、泣き止むまでずっとそれを続けてくれた。

それまで王太子である兄上の側には、近付く事を母に禁じられていたし、私と違い叩かれる事も無く、ぬくぬくとした環境に置かれているであろう兄上には、嫉妬と敵意を抱いていたものだ。

そんな相手に泣いている所を見られたばかりか、頭を撫でられバツの悪さを感じた私は「ほっといてくれ!」と反発した。

ところが兄上はゆっくりと首を振り「放っておけないよ。弟が泣いているんだから」と優しい声でそれを拒んだ。


「‥弟‥」

「うん、僕の弟はジョアン、お前だけだよ。やっと隣に座れたね」


そんな事を言われて衝撃を受け、私の涙もいつの間にか引っ込んでいた。

何故なら兄上も同じ様に、私に敵意を抱いている筈だと思っていたからだ。

いや、母にそう吹き込まれていたから、信じて疑う事なく、お互いに敵対する関係なのだと刷り込まれていたに過ぎない。

兄上はポケットから取り出したハンカチで私の涙を拭い、それから子供をあやす様に抱き締めてくれた。

まあ、お互いに子供だったのだが。

もちろん私を抱いてあやしてくれた乳母はいたが、それはあくまでも仕事としてで、この時兄上が与えてくれた様な、優しさや愛情は微塵も感じられなかった。

私は生まれて初めて人の体温の心地良さや、純粋に私に向けられる好意の嬉しさを、兄上から教えて貰ったのだ。


この日を境に私と兄上は、度々中庭で会う様になった。

後で聞いた話だが、以前私が泣いている姿を見かけて、ずっと気になっていたらしく、庭師のジョゼに私が泣いていたら教えてくれと頼んでいたという事だ。

そして兄上も寂しかったのだと、だから肉親である私と仲良くしたかったのだと語ってくれた。

私はそんな風に言ってくれる兄上にすぐ懐いたし、兄上も私をとても可愛がってくれた。


しかし、この事が母の耳に入るのに、たいして時間はかからなかった。

激怒した母は私を呼び出し、部屋に閉じ込め何度も私の頰を叩いたのだ。

そうなる事は予測出来ていた。

だから怒りが収まるまでは耐えよう。

そう思って痛みを堪えてされるがままになっていたのだが、その態度が気に入らなかった母は、今度は兄上の事をなじり出した。

自分の事は何と言われようと、もう慣れっこだ。

けれど兄上の事を悪く言われるのは、私には我慢出来なかった。


「兄上を‥兄上の事を侮辱しないでくれ!僕の事なら何を言ってもいい!だけど、兄上の事を侮辱するのだけは許さない!」

キッ!と母を睨みつけ、初めて声を荒げて怒鳴る私の勢いに、さすがの母も一瞬目を丸くして、驚きの表情を浮かべた。

だがそれは本当に一瞬で、次の瞬間には片眉を上げ、冷たい笑みを貼り付ける。


「‥なんとまあ、すっかり手懐けられて‥。ジョアン、お前には特別な教育が必要な様だわね。ルシア、鞭を持って来なさい!」

側でオロオロと見守っていた乳母に、母は冷ややかな声でそう命令した。

『鞭』と聞いて流石に何か言おうとした乳母だったが、母の纏う冷たい空気に何も言う事が出来ない。

逆らえば今度は自分に怒りの矛先が向くのは、母の周りにいる者ならば全員理解していたからだ。

乳母は憐れみの表情を浮かべて私を見たが、言われた通り鞭を母に手渡した。

側にいた侍女達もピリピリとした空気に耐えられず、そそくさと部屋を後にする。


「歯を食いしばりなさい。私の言う事を守らなかったらどうなるか、体に覚えさせてあげるわ」

振りかざした鞭を目にした私は、これからどんな事をされるのかを悟り、この後襲って来るであろう痛みに備えてギュッと目を瞑った。

ヒュッという音のすぐ後に、痺れる様な一筋の痛み。

食いしばった歯の隙間から、堪え切れずに漏れる微かな私の声。

それを聞いた母は満足気に微笑み、やれやれといった大袈裟な身振りで、非難する様に私に言った。


「私に逆らうからこの様な目に遭うのですよ。逆らわないと誓うなら、止めてあげましょう」

「‥嫌だ。絶対に誓うものか!兄上の事を悪く言う奴は許さない!それが例え母上であってもだ!!」

私は憎しみを込めて母を睨み、大きな声で怒鳴った。

母はブルブルと怒りで体を震わせ、恐ろしいと感じる程に歪んだ表情に変わっていく。

母を本気で怒らせたのは分かっていた。

けれどこの理不尽な要求にだけは、絶対に応えたく無かったのだ。

初めて私に愛情を与えてくれた兄上の手を、こんな痛み位で離したく無かったから。

本来なら与えてくれるべき人物が、与えるどころか奪い去ろうとしているのも許せなかったから。


「歯を‥歯を‥食いしばりなさい!!」

高い位置に鞭を振りかざし、怒りに燃える瞳で見下ろす母。

さっきと違い手加減無く、私を打とうとしているのは見て取れた。

私はもう一度ギュッと目を瞑り、振り下ろされる瞬間の痛みに備えた。

しかしその時、バン!という音と靴音が聞こえ、それと同時に空を切る鞭の音が私の耳を掠め、襲って来る筈の痛みを感じていない事に違和感を覚えた。

恐る恐る目を開けると、目の前には兄上が立っている。

見ると母の振り下ろした鞭は、兄上の腕の布地を割き、その部分を赤く染めていた。


「あ、兄上‥どうして?」

「遅くなってごめんよジョアン。お前をここから連れ出しに来たんだ」

微笑みながらそれでも力強く母を睨みつけ、私の盾になってくれた兄上は、これまで読んだどの書物の英雄よりも、勇敢で凛々しく格好良かった。

読んで頂いてありがとうございます。

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