【その後】意地っ張りと天然2
力強く引かれる腕に、鈍い痛みを感じる。
加えて歩幅の差もお構い無しで進む背中を、小走りで追いかける形なのだ。
「痛い」と文句の一つも言いたくなったが、背中から感じる不穏な空気に、声を掛けるのも躊躇われる。
引かれるままに階段を上り、その先にある木の扉を開けると、見覚えのある部屋の中へと連れ込まれた。
この部屋はレイリアの使っていた部屋だ。
広い窓とバルコニーは、妖精との会話に適していたと、以前訪れた時にレイリアが話してくれた覚えがある。
どうしてここへ連れて来たのか、ドミニクの意図は分からなかったが、それを尋ねる雰囲気では無いので、イザベラは黙って背中を見つめていた。
スッと掴まれていた腕を離され、背を向けていたドミニクが振り返る。
その瞬間イザベラの目に飛び込んで来たのは、見た事の無いドミニクの表情。
苦悩に満ちて、今にも泣き出しそうな、そんな切なげな表情だった。
「‥イザベラ嬢、乱暴な真似をしてすまなかった‥。ここはレイリアの部屋だったんだが、バルコスにいる間は、この部屋を使ってくれ‥」
それだけ言うと口ごもり、物思いに耽るドミニクに、イザベラは段々と腹が立って来た。
「部屋を案内するおつもりでしたら、もっと他に方法があったのではないでしょうか?それとも私が来た事は、歓迎出来ない事なのですか?でしたらはっきり仰って下さい、明日一番にオセアノへ帰りますから!」
「違う!歓迎していないとか、そういう事ではなくて‥。いや、歓迎出来ない事はあるな‥。いつの間にか君は‥結婚相手を決めていたんだから‥」
よく分からない答えを返すドミニクが、イザベラにはさっぱり理解出来ない。
そして何故その事を責められなければならないのか、それも分からない。
もしドミニクが縁談話について報告が無いと腹を立てているのだとしたら、それはお門違いだ。
イザベラだってドミニクの縁談について、特に報告を受けた訳ではないのだから。
ドミニクの言葉に苛立つイザベラは、少し皮肉を込めて言い返した。
「は?それでしたら、ドミニク様の方が先だと記憶しておりますが?私の縁談は、ドミニク様の縁談話を聞いた後に、父から持ちかけられた物ですから」
「僕はそんな話、さっきまで知らなかった!知っていたら全力で断ったさ!だって僕は‥君に、申し込むつもりだったんだから‥」
「えっ‥!?」
唐突に言われたドミニクの告白に、驚いたイザベラは無意識に口元へ手を当てた。
「‥君の相手を教えてくれないか?君が選んだ相手が、誰なのかを知りたいんだ‥」
尋ねられた内容に、どう答えたら良いのか分からず、フルフルと首を左右に振る。
「それは‥言いたくないという事?」
「い、いいえ!私も分からないのです!その、父に任せるとだけ、返事をして来てしまったので‥」
そう口にした途端、ポロリと熱い物が頰を伝い、それが涙だという事に気付く。
嫌だわ私ったら、何故涙なんか‥
泣くつもりも無いというのに、勝手に溢れる涙を、慌てて拭おうとハンカチを取り出す。
しかし、それより前に長い指が頰に伸び、そっと涙を掬った。
「すまない、泣かせるつもりなんて無かったんだ。本当に‥何をやっているんだ僕は!酷い態度を取った挙句、泣かせてしまうなんて‥」
深い溜息と共に吐き出す謝罪と後悔の言葉。
それは余計にドミニクを落ち込ませる。
その様子を見たイザベラは、スッと手を上げ両手でドミニクの右手を包み込んだ。
「ええ、ドミニク様は酷い方ですわ。今頃になって、そんな事を仰るのですから。私、諦める覚悟を決めて参りましたのよ。必要以上に接する事を避けなければと、自分に言い聞かせて来ましたのに、そんな事貴方はお構いなしで普段通り。とても胸が痛みましたわ」
「えっ‥!?」
「第一、申し込むつもりだったと仰いましたが、何故そうしようとしたのか、私には理由が分かりません。だから教えて頂けませんか?ドミニク様が何を思って、私に申し込もうとしたのかを」
イザベラの言葉を聞いたドミニクは、何かに気付いたのか、一瞬ハッとした表情を浮かべた。
それから穏やかな優しい顔に変わり、真っ直ぐにイザベラを見つめる。
「‥ああそうか、僕は肝心な事を何も伝えてはいなかったんだね‥。イザベラ嬢、僕は‥君の事が好きなんだ。だから妻となって欲しくて、申し込もうと思った。僕はこの通り女性には好かれないから、君も好いてくれるとは思っていない。だけど顔も知らない相手と政略結婚するくらいなら、僕を選んでくれないだろうか?」
「‥ドミニク様、貴方‥正気ですか?」
「ああ、至って正気だ。だからさっき父上から聞いた縁談も、きちんと断るつもりだよ。どんな手を使ってでもね。もちろん、君に断られたとしても、何度でも申し込む。僕は諦めが悪いんだ」
ハァーと、長い溜息を吐いてから、イザベラは包んでいた両手を離し、片方の手でドミニクの頰にそっと触れた。
「本当に天然と言いますか、鈍感と言いますか、全く私の気持ちに気付いていらっしゃらないのですから、困った方ですわ。私が縁談を受け入れたのは、ドミニク様の縁談が纏まりそうだと聞いたからです。お慕いしている方が他の方を選んだと聞いて、半ばヤケの様な気持ちで。分かっていますかドミニク様?私は貴方が好きなのですよ」
澄んだ水色の瞳を、潤んだ瞳で見つめると、頰に添えた手に柔らかな唇が触れた。
その瞬間カッと全身が熱くなり、胸の鼓動もうるさい程早く音を立てる。
こんな奇跡の様な瞬間が訪れるとは、思ってもいなかったと、イザベラが感慨深く浸っていると、ドミニクはイザベラの手を握り、自分の方へ引き寄せた。
「善は急げだ、父上に縁談は断ると言いに行こう!」
来た時とは違い、今度はイザベラに合わせてゆっくりと歩きながら、ドミニクは大公の執務室へと向かう。
扉をノックすれば案の定、大公の返事が聞こえた。
ガチャリと開けて勢いよく部屋の中へと入り、大公に向かって声をかける。
「父上‥うわっ!!」
「ひっ!!」
机に向かって書類を手にする大公は、何故か顔の倍の大きさもある、木で出来たおかしな模様のお面を被って、目元に空いた2つの穴からこちらを見ていた。
「やはり驚いたか。儂もかなり驚いたぞ。そして、酷くガッカリもしている」
「父上、何なのですかその面は?」
「これか?これはレイリアから届いた土産だ。南方の山奥で暮らす何たらいう部族が、狩りで獲物を威嚇する時に使うそうだ。因みに部族の名は"何たら"としか書いていなかった」
「そうですか。で、ガッカリしたから腹いせに、手当たり次第驚かせてやろうという魂胆なのですね?」
「そうともいう。儂だけこんな扱いってのは許せんからな。で、2人揃って手まで繋いで、一体儂に何の用だ?」
「父上、僕の意思を伝えに来ました。先程の縁談ですが、何と言われようと受け入れられません。僕はここにいるイザベラ嬢以外には、妻として迎える事が出来ませんから」
「ドミニク、お前正気か?断ったら大変な事になるとしてもか?」
「至って正気です。例えどんなに大変な事が起ころうとも、必ず解決してみせます!お願いします父上、どうかその縁談は断って下さい」
「‥ふ〜ん‥そこまで言うなら考えてやらんでもないが、いいのかなー断っちゃって!?」
大公はオセアノ国王の署名が入った手紙を、ドミニクにヒラヒラと振ってみせる。
この大公の様子から、何となく嫌な予感がしたドミニクは、大公の手元から手紙を取り上げ、書かれている内容に目を通した。
「‥父上‥僕を‥嵌めましたね?」
ワナワナと震え、どうにか冷静を保とうとするドミニクの横から、イザベラも手紙の内容を覗き込み、そして目を見張った。
親愛なるエルネスト
君とレイリア妃がかねてより切望していた、ポンバル家令嬢イザベラ・ポンバルと、ドミニク殿の縁談だが、令嬢本人からは承諾を得られたよ。
但し、令嬢は相手が誰であるのかを確認しないままそちらへ旅立ったので、君から双方へ上手く伝えて貰いたいと思う。
君も私の様に早く内孫が欲しいだろうから、出来るだけ早急に婚儀を執り行える様、こちらとしても出来るだけ協力するつもりだ。
どうせ君の事だから、既に"じいじ"とでも呼ばせる準備をしているのだろうね。
お互いに良きじいじになれる様、又、オセアノ・バルコス両国の友好関係が、末永く続く事を願って。
オセアノのじいじより
「‥それでは‥私の相手というのは、ドミニク様だったという事なのですね‥」
ここでやっと大公はお面を外し、ニヤリと笑みを浮かべた。
「まあ、そういう事だ。いや〜雨降って地固まるとは、正にこの事よの。丸く収まって良かった良かった!」
「へえ‥そう思っているのは父上だけだと、気付いていない様ですね。わざわざこじらせてくれて、感謝しますよ父上。お礼に私達の子供には、父上の事を"ジジイ"と呼ぶ様、しっかり教育するつもりですから、楽しみに待ってて下さいよ」
「えー!!待ってくれ、それだけは勘弁して!」
「何故嫌がるのです?お礼だと言ってるではないですか」
「わ、分かった、儂が悪かった!勘弁してくれドミニク!」
大公の悲痛な叫びを、容赦なく斬り捨てるドミニクの顔は、冷ややかでありながらどことなく楽しそうだ。
イザベラはこの2人と家族になれる事を、心から嬉しいと思い、ドミニクと繋いだ手に力を込めた。
それからの数日間は、このやり取りの末に譲歩したドミニクの提案により、大公はレイリアからの土産のお面を付けたまま生活する事になった。
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