【その後】意地っ張りと天然
谷間を流れる清流を、馬車の窓から眺めながら、イザベラは重く沈んだ気持ちを紛らわせようと、景色を見る事に集中した。
「‥これで‥お会いするのも、最後になるのでしょうね」
ポツリと呟くと、胸の奥がズキズキと痛む。
ここへ来る前やっと気付けた感情に、気付いたからといってどうにも出来ない虚しさに、ここの所ずっと胸を痛めていた。
レイリアから遣いを頼まれたのは、10日程前の事になる。
懐妊の報せを聞いた大公から、祝いの品を受け取って既に数ヶ月、お礼の手紙を送りはしたが、どうしても個人的に渡して欲しい品があるからと言って、それをイザベラに頼んだのだ。
身重の自分では直接出向く事も出来ないからと。
もちろん断る理由もないので、快く引き受けたのだが、その時アマリアが言った言葉で、認めざるを得ない思いの正体に気付いてしまった。
「ドミニク様も縁談が纏まりそうですから、おめでた続きですね」
聞いた瞬間頭の中が真っ白になり、ドクドクと激しく心臓が鳴り始める。
今迄経験した事がない程、イザベラは動揺してしまった。
それが真である事は、レイリアの目が泳いでいる様子から、間違いないのだと納得する。
そして自分の中に湧き上がる感情が何であるのかを、この時やっと認めたのだ。
けれど気付いたと同時に、それが叶う筈の無い物である事を思い知る。
激しい動揺の後に、抜け殻の様な自分に更に追い打ちをかけたのは、父から告げられた自分の縁談話だった。
半ば投げやりの気持ちで、相手が誰であるのかも確認せずに、「お任せします」と返事をして、レイリアの遣いを果たす為、バルコスへと旅立つ。
当然気持ちは重いままだが、それでも最後に会える事に、喜んでいる自分もいた。
そうよね、ここは喜ぶべき事なのよね。
最後にお会い出来るのですもの。
きっとレイリアは私の気持ちを察して、この様な役目を頼んだのだわ。
そんな風に考え直して、また外の風景に目をやる。
自然豊かなバルコスの風景は、"妖精の国"と呼ばれるだけあって、幻想的でとても美しい。
すると遠くからこの馬車に向かって、近付いて来る者の姿が目に入る。
白馬に跨りプラチナブロンドをなびかせ、まるで妖精そのものの様な容姿の若者だ。
「イザベラ嬢!」
と、若者が声を上げる。
途端に心臓の音が激しく鳴り響き、どうにも落ち着かない気持ちになったが、イザベラは感情を押し殺す術を身に付けていた。
努めて冷静に御者に馬車を停める様声をかけると、ゆっくりとした動作で優雅に馬車を降りる。
「お久しぶりでございますドミニク様。まさかお出迎え頂けるなどとは、思いも致しませんでした」
膝を折り中腰の姿勢で、完璧なレディの挨拶をドミニクに披露すると、ドミニクも白馬から降り立ち、腕を腰と胸に当てて完璧な紳士の挨拶を返す。
「レイリアからの手紙を、ルイスが鳥で送ってくれてね、今日辺り着くのではないかと予測していたんだ。父上も首を長くして待っているよ」
「大公様が?それでは急がなくてはなりませんね。ドミニク様、申し訳ないのですが、先に戻ってもう暫くお待ち下さいと、お伝え頂けないでしょうか?こちらは荷物を積んだ馬車なので、あまり急ぐ事も出来ませんし」
「それなら君だけ、僕と一緒に馬で行こう。僕はそのつもりで、馬を飛ばして来たんだから」
ニッコリと笑いながら、当然の事の様に言うドミニクに、やはり胸が高鳴るのは止めようがない。
しかし、ドミニクは縁談が纏まろうとしている身でありながら、今自分が言った言葉が軽薄とも取れる発言である事に気付いていない。
そうだったわ‥この方は天然タラシ!
きっと馬に相乗りなんて、特別な間柄の男女でもない限り、許される事ではないと思ってもいないのだわ。
私の事など荷物程度に考えて、こんな発言をなさるのだから、いい加減腹立たしくも感じるというもの。
この方のペースに乗ってはダメ!
レディとして弁えた行動を貫くべきだわ!
「私は馬車で参りますので、どうぞ先にお戻り下さい。オセアノ王家の遣いとして、節度ある行動を心がけておりますので!」
そう言い放つとドミニクに背を向け、踏み台に足を掛けて馬車の取っ手を掴む。
すると踏んだ筈の踏み台から体がフワッと浮き、瞬きをする程度の時間で、ヒョイッと馬の背に乗せられる。
驚き口をパクパクとさせるイザベラの後ろには、ドミニクがスルリと馬に跨った。
「なっ!‥何を‥!」
「ここはバルコスだからね、バルコスのルールに従って貰うよ。合理的に無駄なく事を進めるのは、バルコス流のやり方さ」
それだけ言うと馬の腹を蹴り、反論する隙も与えずにドミニクは馬を走らせる。
慌てて馬の鬣にしがみつくイザベラの体を、ドミニクは後ろからしっかりと抱えて、器用に手綱を操り進んで行く。
途端に跳ね上がる心臓の音と、ドミニクの行動に対する疑問が湧き上がる。
どうして‥こんな乱暴な扱いを?
ドミニク様という方は、もっと理性的に行動なさる方だった筈。
これではまるで私に対して、腹を立てているかの様に感じるわ。
腹を立てているのは、こっちだというのに‥
訳の分からないまま、次々に変わる風景を潜り抜けると、目の前にはバルコス城が迫っている。
少し速度を落としたドミニクと馬の姿を目にした門番は、阿吽の呼吸で重い扉を開けた。
扉を潜ると城の入り口で馬を停めたドミニクは、ヒラリと飛び降りイザベラを抱き上げる。
慣れない馬に乗せられたせいか、変な所に力を入れていたせいか、地に足が着くと同時にイザベラはよろめいた。
「おっと!」
すかさずドミニクが抱き止め、まるで胸に飛び込んだ様な体勢になる。
イザベラはカッと頰が熱くなり、顔から火が出そうな程恥ずかしくなった。
「あー‥オホン!えーっと、儂は何を見せられているのだ?」
城の入り口から出て来た大公は、居心地の悪そうな顔で軽く咳払いをしている。
「ハッ!た、大公様、お、お久しぶりでございます!」
慌ててドミニクから離れたイザベラは、取り繕う様に膝を折り、大公に向かってお辞儀をする。
「いや、イザベラ嬢、久しぶりだのう。遠い所をよくぞバルコスまで来てくれた。ご覧の通り女っ気がないから、大したもてなしも出来ないが、その分遠慮はいらない、自由に過ごしてくれ。ささ、こんな所で立ち話もなんだから、中へ入ってお茶にしようではないか」
大公はイザベラの手を取って、城の奥へとイザベラを連れて行く。
通された所は応接室で、ソファへ座る様促されると、程なくしてお茶が運ばれて来た。
「それでイザベラ嬢、レイリアの様子はどうだね?儂は孫の誕生を楽しみにしているんだが、安静にしているとは、どうも想像出来なくての」
「そこは大丈夫ですわ。毎日エドゥアルド殿下が、厳しく目を光らせていますから。レイリアは過保護過ぎると、愚痴をこぼしていますけど」
「フム、やはり心配していた通り、レイリアには母親になるという自覚が足りん。儂なんていつ"じいじ"と呼ばれてもいい様に、心構えもバッチリだぞ」
「ああ成る程。最近父上が"儂"なんて言い始めたのは、そういう事だったんですね。形から入るタイプですからね、父上は」
「形からでも良いではないか!儂と言えるのはじいじの特権だぞ!」
「いけないとは言っていません。めでたい事ですから、特に文句はありませんよ。浮かれ過ぎていないだけ、父上も大人になったと思っています」
「大人じゃない、じいじだ!」
「はいはい、そうですね。ジジイになるんですよね」
「じいじだ!そこは間違えるな。ジジイではただの年寄りではないか!」
プウっと頰を膨らませる大公の様子が、レイリアのスネ方によく似ていて、イザベラは思わず吹き出した。
それを見た大公は、バツが悪そうに軽く咳払いで誤魔化す。
そこでイザベラは最初に言うべきであったもう一つのめでたい話に、改めて祝いの言葉を伝える事にした。
「あの、お祝いを伝えるのが遅くなり、申し訳ございません。アマリアからドミニク様の縁談が纏まったと聞きました。オセアノ王家の使者として、改めてお祝い申し上げます」
祝いの言葉を口にすると、やはり胸の辺りがズキズキ痛む。
けれどもこれは自分の気持ちに対するけじめでもあり、幸せになって欲しいと願う心からの気持ちでもある。
言い終えていくらかスッキリした気持ちで前を向くと、何故かドミニクが見た事も無い程怖い顔で大公を睨んでいた。
「‥説明して貰えますか父上?縁談とはどういう事ですか?」
「説明する必要も無いだろ?もう決定事項なんだから」
「は?本人に何の相談も無く、決定事項とは納得がいきません!」
「オセアノ国王と儂が決めたのだ、お前に相談する必要など無い!いいか、お前は儂の跡継ぎなんだぞ?国の為を思い結んだ縁談なのだ、逆らう事が許されるとは思わない事だな」
大公も見た事の無い程厳しい顔をして、強い口調でピシャリと言い放つ。
睨み合う2人を前に、どうしたものかと思案していると、何故か話の矛先がイザベラへと向かった。
「そういえばイザベラ嬢、義息子‥エドゥアルド殿下からの手紙に書いてあったが、貴女も縁談が纏まったそうだね。こちらからもお祝いを言わせて貰うよ。めでたい事だ!」
「は、はい‥。ありがとうございます‥」
この雰囲気で自分の話題は避けて欲しい所だけど、それを大公に言える筈もなく、当たり障りの無い返事を返す。
するとドミニクは苛立たしげに立ち上がり、「イザベラ嬢、ちょっと来てくれ!」と言ってイザベラの腕を掴んだ。
「はい?」
と、よく分からない状況に、返事とも疑問とも取れる声を出すと、そのまま腕を引かれて部屋の外へと連れ出された。
慌しく出て行く2人を尻目に、応接室では大公が1人ニヤリと笑みを浮かべている。
「ホッホッホ‥!これは面白い物を見せて貰ったぞ!ドミニクのあんな顔は初めて見たわ!」
楽しそうに笑う大公は、さっきとは打って変わって上機嫌だ。
しかし、この後運ばれて来たレイリアからのお土産によって、物凄くガッカリしていたのは誰の目にも明らかだった。
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