ミゲルにつける薬は無し
ミゲルは深夜にこっそりと自宅へ戻っていた。
レイリアにやられた右頬は腫れ上がり、短剣を押し当てられた首は瘡蓋が出来て、チクチクと引きつった鈍い痛みが走る。
ミゲルは誰にも見つかる訳にはいかなかった。
最後にレイリアが投げた短剣が目の前の地面に刺さった時、年甲斐も無く失禁してしまったからだ。
馬も無くズボンに出来たシミを誰にも見られたくなかったミゲルは、どうにか森の出口まで来ると、暗くなるのを静かに待った。
もし万が一誰かに出会ってしまっては、自分の醜態を晒す事になる。
おまけに口の中が切れていて、言い訳しようにも上手く話す事は出来ない。
暗闇を目立たない様に自宅へと進み、家人に見つからない様に、塀を越えて窓から自室へ忍び込んだ。
くそっ!!
あの山猿め!!
自室で汚れたズボンを脱ぐと、改めて怒りと羞恥心が込み上げる。
この私があんな小娘にやられた事を、誰にも知られる訳にはいかない。
王太子に伝えろだって?
伝える気など毛頭ない。
伝えたらバレるじゃないか。
どうせあの姫はあの小屋から出られないんだ。
私は田舎者にルールを教えてやっただけだ。
ミゲルは物音を立てない様浴室に向かい、水で体を清めて布団に潜り込んだ。
お湯を使うには沸かさなければならない。
そうすると、家人に気付かれる恐れがあったからだ。
冷えた体をブルブル震わせ、瞼を閉じて眠りに就いた。
「坊っちゃま!!起きて下さい坊っちゃま!!」
乱暴に揺り起こされて目を開けると、家令のカルロが覗き込んでいる。
「ふるふぁい!ふぉうふこひへかへろ!(うるさい!もう少し寝かせろ!)」
「坊っちゃま!なんですその顔は!!それにフガフガと何を言っているんですか?いえ、そんな事より、坊っちゃま何をしでかしたのですか!?昨夜から近衛の方々が坊っちゃまを探して、何度も訪ねて来られたんですよ!!」
「ふぁに!!(何!!)」
「何を言っているのか分かりません。書いて下さい」
『何故近衛の連中が私を探すんだ?』
「存じ上げません。もし戻られたら至急王宮まで来る様にと、エンリケ様から言伝を預かっております。それにしてもその顔はどうしたんですか?まともに会話も出来ませんよ」
『聞くな』
「大方坊っちゃまの事ですから、余計な事を言って殴られでもしたんでしょうが。ああ、服まで脱ぎ散らかして!ん?何やら匂いますね?まさか坊っちゃま‥」
カルロは残念な物を見るような目でミゲルを見た。
『洗っておけ。余計な事は聞くな』
「‥嘆かわしい。名門マンソン一族の分家の嫡男が、20歳にもなってお漏らしをするとは。旦那様に何と報告すれば良いものか」
『せんでいい!いや、するな!』
「それで、何をしでかしたのですか?とにかく支度をして下さい。王宮からの呼び出しですよ!行かない訳には参らないでしょう?」
『行かない』
「は?何を言うんですか坊っちゃま!」
『こんな顔で行けるか!落馬して負傷したとでも言え。昨夜から意識不明で命からがら戻ったと』
「‥坊っちゃま‥お漏らしの次はズル休みですか?そんな嘘すぐバレますよ?」
『とにかく行かないったら行かないんだ!!さっさと伝えてこい!』
「やれやれ、お漏らしにズル休みに駄々っ子ですか。弟のシモン様は自力で財務部秘書官に合格したというのに、坊っちゃまはコネの上ズル休みですか。なんと嘆かわしい!」
『ツベコベ言わずにさっさと行け!それから頰を冷やす物を持って来い。見た目以上に痛いんだ』
「はいはい分かりましたよ。まったく世話の焼ける坊っちゃまだ。一つ言っておきますが、私は一切責任は取りませんよ。坊っちゃまの指示に従ったまでです」
『分かってる』
ミゲルが書き終わると、カルロはミゲルの書いた紙を全部回収して懐にしまった。
「これらは預かっておきます。念の為。私の責任にされたらたまりませんので」
カルロはミゲルという人間を誰よりも良く分かっている。
そして家令として名門マンソン一族の当主に、誰が一番相応しいのかも。
切り捨てるなら早い方がいい。
やはり旦那様に全て報告しよう。
カルロは一つの決断を下して、ミゲルの指示通り動いた。
自分が今どの様な状況に置かれているか、全く分からないミゲルは、一通り治療を終えると布団の中でスヤスヤと寝息を立てた。
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レイリアほど脚力はありませんが。