とんぼ返り
ポンバル邸の一室、向かい側で優雅にお茶を飲むドミニクを盗み見しながら、レイリアは背中に冷たい汗を掻いていた。
ドミニクはゆっくりとお茶を流し込み、全く何事も無かった様な顔をしているが、この沈黙が何を意味するのか、レイリアには分かっていた。
「お兄様‥本当にごめんなさい!本当に本当にごめんなさい!」
「何を謝っているんだいレイリア?自分で責任が取れるから、勝手な真似をしたんだろう?だったら謝る必要は無い。きちんと責任を取ればいい」
「うっ!‥‥はい。どんな罰でも受ける覚悟です‥」
「なら見せて貰おうか。レイリアは3日も経てば忘れてしまうからね、最低でも10日はかかる量のマナー教本と、地質学の本の写しを作ってくれるよね?」
「ヒェッ!と、10日!!」
「覚悟は出来ているんだろう?どちらも今後必要な知識だ」
「‥‥はい」
「それじゃあ早速取り掛かるんだね。僕は構わないけど、長引いて辛いのはレイリアだろう?」
「‥仰る通りです。何の反論もございません」
「そう?じゃあ頑張って。隣の部屋に全部用意してあるから、とりあえず夕食までやりなさい。ああ、進行状況を見に行くから、決してサボろうなんて思わない事だよ」
「はい、分かりましたお兄様」
レイリアは項垂れながら立ち上がると、扉に向かってスゴスゴと歩いて行った。
そして扉に手を掛けながらチラリとドミニクの顔色を伺い、胸騒ぎについての話を切り出すべきかどうか観察してみた。
優雅な仕草でお茶を口元へ運ぶドミニクは、相変わらず穏やかに微笑んでいる。
しかし、生まれてからずっと一緒に育って来た兄の、小さな変化は誰よりもよく分かってしまうのだ。
お兄様‥目が笑ってないわ‥!
うう‥怖いけど、やっぱり言わなきゃいけないわよね。
どうせ叱られているんだから、叱られついでにもう一つ、覚悟を決めなきゃだわ!
「あの、お兄様‥一つ相談したい事が‥」
「何だい?もっと増やして欲しいのかな?」
「ヒェッ!え、えーと、その話じゃなくて‥今夜の話なんだけど‥」
「今夜?エドゥアルド殿へ刺客が差し向けられる話の事?」
「そうです。エディは絶対大丈夫だって言うんだけど、私も計画を聞く限り大丈夫だとは思うんだけど、どういう訳か妙に‥胸騒ぎがするの‥」
「胸騒ぎだって?どんな風に?」
「何ていうか、胸がザワザワして体中の血が暴れているみたいな、落ち着かない気持ちというか‥」
「落ち着かない‥ね。前にもそんな事を言っていたのを憶えている。あれは確か、谷が崩落する前だ。結果金鉱脈が現れて、バルコスが危険に晒されたんだ‥。レイリア、それはエドゥアルド殿に感じるのか?」
「ええ。何故だかエディが大丈夫だと言う度に、胸騒ぎがしていたの」
レイリアがそう言うと、ドミニクは顔色を変えて立ち上がった。
「胸騒ぎで済まないかもしれない。お前は祝福を受けた者だ。印に関する事柄は、誰よりも敏感に呼応する。そして今、おかしなビジョンが見えた。僕は今すぐ王宮へ向かって、様子を見て来よう」
「待ってお兄様、行くなら私も一緒に行くわ!」
「ダメに決まってるだろ!今戻って来たばかりじゃないか!」
「万が一を考えて、戻る前に中庭の妖精に頼んで来たの。エディの側にいて、何かあったらすぐ報せてって。お兄様には妖精が見えないでしょ?だから私が行く必要があると思うわ」
「‥ハア‥悔しいが僕には妖精が見えない。仕方がない、連れて行くけど、僕の側から離れないと約束出来るかい?」
「絶対離れないわ!お兄様は世界一強いんですもの!」
「全く調子がいいんだから。でも僕も大概妹に弱いな。そして末っ子の妹は、甘えるのが上手ときてる。本当に困った妹だよ」
「エヘヘ。お兄様大好き!」
レイリアは久しぶりにドミニクに抱き着いた。
文句を言いながらも、ドミニクはそれを受け止めると、にっこり笑って一言呟く。
「でも、やる事はやって貰うからね。覚悟は出来ているんだろう?」
途端にレイリアはシュンとして、無言で何度も頷いた。
それを満足気に確認したドミニクは、急いで支度を整えて、レイリアと共に馬で王宮へ向かった。
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