悪口で乗り切る
ジョアン達が国境の門の前までやって来ると、予想通りミドラス兵に行く手を阻まれてしまった。
ミドラス兵はざっと数えて10人程で、この門の前で検問をしている様子だ。
ホアンの話では、普段この門は役人が二人いるだけだそうだが、今日に限っては随分と警戒されている。
「止まれ!検問だ。お前達はどこの商人だ?」
一番先頭にいたホセは、慣れた様子で笑顔を作ると、馬から降りてスラスラと話し始めた。
「俺達3人はイスペル出身ですが、こちらの旦那はダンハルクの出身です。旦那はクーデン商会の坊ちゃんでしてね、実は今回が初めての買い付けなもんで、イスペルに詳しい俺達がお供に選ばれたって訳なんですよ」
「ダンハルク?随分北からやって来たな。言われてみれば金髪だ。あそこは色白の金髪が多いと聞いたぞ。一年の半分が冬なんだろう?それに凍った海で採れる、魚ばっかり食ってるそうじゃないか。おい、お前ら魚臭いんじゃないか?」
嫌な笑いを浮かべて馬鹿にした口調で言う兵に、周りの兵達も笑い出す。
だがホセは動揺する事なく、笑顔を浮かべたまま続けた。
「勘弁して下さいよ。魚は加工して他国へ売っているんですから、俺達にとっちゃ貴重な収入源なんですよ。良かったら今度は魚の加工品を売りに来ましょうか?」
「魚なんぞいらん!お前らも知ってるだろ?ミドラスでは魚を殆ど食べないんだ。売りに来たって腐らせるだけだ。まあ、大損したけりゃ好きにしろ」
「ご忠告ありがとうございます。お礼と言っちゃあなんですが、これはほんの気持ちです。今夜の飲み代の足しにでもして下さい」
ホセは懐からジャラジャラと音を立てて、コインの入った袋をミドラス兵の手に握らせた。
ミドラス兵はニンマリと笑い、袋の中身を確認すると、腰の鞄にしまい込んだ。
「中々気が利いているじゃないか。だが一応身分証の確認はさせて貰うぞ。まあ、形だけだがな」
兵は軽く片目を瞑って、鞄をポンポンと叩いてみせる。
どうやらホセの渡した賄賂が、功を奏した様だ。
ジョアンは旅立つ時にダンハルクの偽の身分証を、エンリケから渡されていた。
それはジョアンがダンハルク語が得意だという事を、エンリケが知っていたからだ。
その偽の身分証をホセに渡すと、ホセは恭しくミドラス兵に見せて確認させた。
「よし!お前らはダンハルクの商人だと確認出来た。通っていいぞ」
「ありがとうございます。これで無事に商売が出来ますよ」
安堵の表情を浮かべるホセに、兵は頷きながらこっそりと
「実は俺はダンハルク語が読めないんだ。あくまでも形だけだ」
と教えてくれた。
ホセは頭を下げて馬に乗ると、後ろを向いてジョアン達に頷いた。
ジョアン達も頷き、逸る気持ちを抑えながら門へ向かって動き出す。
しかし、あと少しで門へ辿り着くという時に、一人の兵が荷馬車を止めた。
「おい!まだ荷物を確認していないじゃないか!中身を見せろ!」
ペドロは突然の事に少しだけピクリ!としたが、ゆっくりと腰を上げて荷台に移動した。
そして木箱を開け、見事な細工のイスペル刺繍が施された、数点の布地を取って兵に見せている。
「見て下さいよ、これなんかお貴族様だって中々手に入れられない品ですよ!兵隊さん、これは幾らだったと思います?」
「知らん!余計な事は喋るな!その箱全部が刺繍なんだろうな?」
「もちろんですよ!その為に来たんですから。兵隊さん、アンタも一つどうですか?お安くしますよ?」
「俺達の手が出る値段じゃない事位、分かりきった事だろう?もういい!仕舞え!」
兵にそう言われて、ペドロは丁寧に布地を仕舞い、蓋を持ち上げている。
すると兵は、突然腰に手をやり剣を抜いて、木箱に向かって突き刺した。
キン!
金属と金属のぶつかり合う音が響く。
空中には兵の持っていた剣が舞い、少し離れた地面に突き刺さった。
兵の前にはジョアンがいて、木箱の前で剣を構えている。
ジョアンは考えるより先に体が動いていた。
兵が剣を抜いた瞬間、素早く馬から飛び降り、鞍に隠してあった剣で弾き飛ばしたのだ。
「何をする!このっ!!逆らうのか?」
真っ赤になって怒り出す兵に、不思議とジョアンは冷静だった。
「ターヘルクシュツッテン!」
「何だ?何を言っているんだ?」
ペドロはハッとして間に入ると、兵に向かって頭を下げた。
「すいません、うちの旦那はダンハルク語しか喋れないんですよ。えーと、高価な品物を台無しにしないで欲しいって言ってます」
「確認の為だ!文句は無いだろう!」
「エスコンテアンデラウィーゴギービン」
「何だって?」
「品物を傷付けたら、損害賠償を請求するって言ってます。クーデン商会は皇帝陛下にも品物をお届けしていますので、それなりに覚えもめでたく、大旦那様はいくらか顔が利くんです。あまりうちの旦那を怒らせない方がいいと思いますよ?」
「馬鹿者!それを早く言え!もういい、さっさと通れ!」
「はい、それじゃ遠慮なく」
ペドロはジョアンに合図を送り、御者席に座り直して荷馬車を動かした。
ジョアン達も門を進み、今度こそ国境を越える事が出来た。
それから暫くは無言のまま進んで、国境の門やミドラス兵の姿がすっかり見えなくなった所で、ジョアン達はやっと荷馬車と馬を停めた。
「フー!旦那、肝が冷えましたぜ!一瞬戦わなきゃならないと思いましたよ」
「すまんなペドロ、体が勝手に動いたのだ。しかし他に方法が無かった。それよりも、エレナを出してやらねばな」
「そうでした!」
ペドロは慌てて木箱の蓋を開け、布地を退けてエレナに声をかけた。
「エレナ様、無事に‥とは言えませんが、なんとか国境を越えましたよ!」
エレナはゆっくりと体を起こすと、木箱から出てジョアン達の方を向き、深々と頭を下げた。
「すまない皆‥。私は足を引っ張っただけで、何も出来なかった。もしジョアンが助けてくれなかったら、私はこんな風に息をしていなかっただろう。本当に皆には感謝しているよ。ありがとう!」
「いや、当然の事をしたまでだ。貴女が気にする事はない。それに、ペドロが上手く言いくるめてくれたのだ。あれのお陰で助かったぞ」
「いえ、旦那こそダンハルク語なんて機転を利かせて、大したもんですよ。ところで、あれは何と言ったんです?」
「あれか?あれは悪口だ。最初のミドラス兵がダンハルク語を知らなかっただろう?だから他もそうだと思ったのだ。ダンハルクを馬鹿にしていたからな」
「成る程!旦那もよく見ていますね!で、どんな悪口を言ったんですか?」
「まあ、子供が一番最初に覚える、汚い言葉だとだけ言っておこう。さて、漸くオセアノに入れたのだ、美味い物でも食べようじゃないか!」
「「「おっ!いいですねぇ!」」」
「よし、ではエレナは私の前に乗ってくれ。ペドロは荷馬車を捨てて、その馬に乗って行こう」
「「はい!」」
ジョアン達は馬を飛ばして、一番近い町を目指した。
馬を操りながら、前に座るエレナの体温を感じると、ジョアンはやっと実感が湧いて来た。
エレナは生きている。
そしてやっと、オセアノに戻って来れたのだ‥‥
読んで頂いてありがとうございます。