戦闘準備
ポンバル家のお茶会から戻ったマルグリットは、酷く機嫌が悪かった。
ベッドの上の枕を壁にぶつけたり、クッションを殴ったりと物に当たっているが、辛うじて家具や装飾品を壊す事はしなかった。
部屋を与えられているとはいえ、この部屋の物は王家の物であるという事が、少しだけ残った理性に働きかけたのだろう。
ひとしきり当たり散らすと、肩で息をしながらドッサリとベッドに倒れ込み、手足をジタバタとしながらうつ伏せている。
その様子を呆れた顔で見ながら、ハメスに遣わされた侍女は冷静に声をかけた。
「マルグリット様、お手紙が届いております。至急目を通して下さい」
「手紙ですって?そんな物読む気分じゃないわ!後で読むから机の上にでも置いて!」
「この手紙の送り主が、侯爵様であってもですか?」
「侯爵様ですって!?それを早く言いなさい!全く、気が利かないんだから!」
ぶつくさと文句を言われても、侍女は顔色を変えずに手紙を差し出す。
マレグリットはそれを奪い取って、封を開けて読み始めた。
「な、何よこれ!明後日ですって!?何でこんな急なの!?まだ何も報告していないのに!!」
「報告なら私がしました。マルグリット様は、それ以外に気を取られておいでの様でしたので」
「何でアンタが出しゃばるのよ!これは私の仕事でしょ!」
「ええ。ですが私はハメス様から、分かった事を全て報せる様、命令を受けております。私の主人はあくまでもハメス様ですから、命令に従ったまでです」
「何よ!アンタまで私を無視するって言うの!誰も彼も皆、どうして私を無視するのよ!私は陛下の親戚になったというのに、生家からお金の無心をされるだけで、何もいい事がないじゃない!殿下だってちっともなびいてくれないわ!一体私の何がいけないっていうの!?」
「その考え方を改めない限り、どなたも相手にされないでしょう。今のお立場は無理矢理作られた物で、非常に危うい物だという事を、マルグリット様は分かっていらっしゃらない。ここに滞在を許された事も、陛下のお情けによる物です。ですから、あまり派手な行動をされない様にと、何度も申し上げておりますが?」
「お説教なんか聞きたくないわ!言われた通りやればいいんでしょ!もう出て行きなさい!一人にして!」
側にあったクッションを投げ付けられて、侍女は無言で部屋を出て行った。
そして使用人用の部屋へ戻ると、手早く自分の荷物を纏め始めた。
やれやれ、あんな方に付き合って、自分の身に火の粉が降りかかったら堪らない。
刺客がマルグリット様と合流したら、私はさっさと姿を消そう。
もとよりマルグリット様には、何の義理も恩も無いのだから。
もちろんそれは、ハメス様もフォンテ家も同じ事。
私は王宮勤めをしたという、箔が欲しかっただけなのだ。
これでもっといいお宅へ、勤める事が出来るでしょう。
侍女はさっきのマルグリットの様子を見て、成功する確率は低いと判断した様だ。
王宮から密かに姿を消す為の、準備に余念はない。
そんな事を知らないマルグリットは、やっと冷静になった頭で考え事をしていた。
こうなったらやるしかない様ね。
これに逆らったら、侯爵様の怒りに触れてしまうわ。
そうなったらせっかく手に入れた地位も、用意して貰った資金も、全部無くしてしまうのよ!
せっかくエドゥアルド殿下を誘惑して、王太子妃の座を手に入れようと思ったのに、殿下もそうしてくれたら助けてあげようと思っていたのに、全部殿下が悪いのよ。
まあいいわ、ジョアン殿下が戻ったら、今度こそ王太子妃の座を手に入れてみせるから!
マルグリットは気を取り直して、もう一度手紙の内容を確認する事にした。
侍女の言った言葉は、彼女には全く響いていなかったのだ。
その頃、国境付近に到着していたジョアンは、ブルっと体を震わせていた。
「旦那、どうしたんです?風邪でもひいたんですか?」
「いや、体は丈夫だ。何故か悪寒がしてな。多分武者震いだろう。あれを乗り切らなければならないからな」
そう言って指差した方向には、ミドラスの兵が数人国境を守っている。
「エレナ、君には窮屈だろうが暫くの辛抱だ。多分バレやしないとは思うが、万が一の場合は戦う事になる」
ジョアンはイスペル刺繍の施された布地の入った木箱に向かって話しかけた。
「もとより覚悟の上。その時はその時だ」
布地の下にはエレナが身を隠し、荷馬車でそれを運んでいる。
御者はペドロが務め、ジョアンと他の2人は馬に乗っていた。
「よし!行くぞ!ホセ、ホアン、ホドロ!」
「やっぱりホドロですか。別にいいんですけど。最早ニックネームになりつつあります」
「ハハハ‥緊張を解そうと思ってな。しかし、ニックネームか。私は意外と、ネーミングセンスがあるのかもしれんな」
「何ですか?ネーミングセンス?」
「無事乗り切ったら説明してやろう。手筈通りに行くぞ、お前達!!」
「「「はい!」」」
一行は最後の難関を潜り抜ける為、ミドラス兵のいる方向へ進んで行った。
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