覆水は盆に返りませんよ
陽が暮れてから暫く経つと、エンリケが戻りジョアンの執務室を訪れた。
他の側近達もそれぞれ報告を終えて、夕食を摂りにバラバラと部屋を出て行く。
執務室の中にジョアンとエンリケだけが残ると、エンリケは給仕係に二人分の食事を運ぶ様指示を出した。
「今日は急な仕事が入り、姫君の案内が出来なくて申し訳ない。で、姫君の様子を聞かせてくれないかジョアン?」
「‥私は君の言う通り、やり過ぎたようだ」
「どういう事だい?」
「姫君は私の条件を忠実に守って、発言はおろか顔すら見せなかった。そして、ミドラスとの問題を解決して、早く帰らせてくれと言っていた。私を煩わせる気は無いと」
エンリケは溜め息を吐いた。
「今更だよジョアン。君が出した条件は、相手を傷付けるだけでなく、自由まで奪う物だ。その結果、姫君はお怒りになったのだ。私は何度も忠告した筈だよ?聞く耳を持たなかった君の責任だ」
「返す言葉が無い‥」
「陛下の許可無く勝手な事をしたのは君だ。ミドラス軍は近距離でバルコスに圧力をかけ、姫君も狙っていた。大公は姫君を安全な場所へ避難させるのが最優先だった。本来なら君の出した婚約云々は通らない条件だ。それをいい事に我を通した君は、ミドラスとやっている事は同じなんだよ。君の言う誠実さとは、君の傲慢なワガママだ」
「‥‥愚かだな‥私は‥」
「そうだな。10年も前の初恋をこじらせた、愚か者だよ君は。相手の娘だって行方不明だというのに。もし万が一見つかったとしても、君の立場で庶民の娘を正妃に迎える事は出来ない。何も見えていなかったからあえて言わなかったが、私はその娘との結婚は賛成しない」
「エンリケ!」
「現実を見ろジョアン。いつまでも夢は見ていられない。君はもう22歳の立派な大人だ。そして王太子としての責任を果たさなければならない。今回の件は君を止められなかった私にも責任がある。まずは私が姫君と大公に謝罪して、陛下が戻られたら改めて取り決めを行おう。それまでは姫君を国賓として扱うが、君に異論はないだろう?勿論君の出した十項目とやらは全て撤回するが」
「‥異論はない。私も姫君に謝罪させてくれ」
「果たして君の謝罪が受け入れられるかどうか。なんといっても今更だからな。加えて姫君はお怒りの様だ。ところで姫君は誰が案内したんだい?」
「ミゲルだ」
「何っ!?ミゲル!!よりによってミゲルか?」
「他に誰もいなかったのだ。私としても不安ではあったが」
「いや、むしろ不安しかない!!それで肝心のミゲルはどうしたんだ?姿が見えないが?」
「どういう訳かまだ戻らぬ。余計な事をしでかさねば良いのだが」
「ミゲルに限って言うならば、既にしでかした後かもしれんぞ!おい!誰かおらんか!」
エンリケの呼びかけに数人の近衛兵が入って来た。
「どうされました?」
「殿下の従者のミゲルを知っているな?マンソン一族の。至急ミゲルを探し出して王宮へ連れて来てくれ!」
「はっ!直ちに!!」
近衛兵達は踵を返すと急いで出て行った。
その直後に給仕係が食事を運んで来たが、二人はもうそれどころでは無かった。
この夜ジョアンは自分の愚かさに激しく落ち込み、ミゲル以上に大きな失敗をしでかした事を痛感した。
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