アサードで
「フィリペ神官様、お世話になりました」
「いえいえ、またいつでもお越し下さい。ブラガンサ殿の様に熱心な方は大歓迎ですよ」
「ありがとうございます。また近々神殿に足を運びますので、その時に供物をお持ち致します。では良き日を!」
「貴方に光の恩恵を」
王都の中央神殿が管理する、巡礼者の宿泊施設に泊まったルイスは、神官と挨拶を交わして施設を後にした。
信心深いルイスは、以前から中央神殿に足しげく通っている。
その時親しくなったフィリペ神官に、昨夜はお世話になったのだ。
いやー久しぶりに無心で祈ったな。
祈った事は一つだけだけどさ。
これでドミニク兄さんの怒りが鎮まればいいんだけど‥‥
さてと、この後どうしようか?
まだ帰る訳にはいかないし、とりあえず空腹を満たすとするか。
丁度昼時だったので、ルイスは飲食店に向かう事にした。
この辺りは慣れた物で、一通り全ての飲食店を知り尽くしている。
今日の気分で決めるなら、やはり若者らしく肉だろう。
ルイスの頭の中には"アサード"という店の、ローストチキンが浮かんでいた。
行き先を決めたら後は向かうだけ。
右に曲がって路地裏に入り、アサードまでの近道を進む。
昼時で賑わう店内は、美味しそうな臭いが漂っている。
お目当ての品を注文し、運ばれて来るまで林檎酒を軽く飲む事にした。
「おい!追加したワインはまだか!早く持って来い!」
仕切りを一枚隔てた隣で、男の怒鳴り声が聞こえる。
仕切りから少しだけ覗いて見ると、真っ昼間から呑んだくれた20代半ば位の男が、クダを巻いている様だった。
男が怒鳴り散らす為か、男の周りだけ席は空いている。
全く迷惑な男だな。
営業妨害じゃないか!
よし、僕が文句を言ってやろう。
ルイスはそう思って腰を浮かせたが、その時入って来た人物を見て、もう一度座り直した。
えっ!?
何でマルグリット嬢が?
マルグリットは真っ直ぐ進むと、呑んだくれの男の向かい側に座った。
慌ててルイスは仕切りに隠れ、耳をくっつけ聞き耳を立てる。
すると少し遅れて入って来た客が、ルイスの向かいにストンと座った。
えっ!?
何で隊長?
労働者の服装に着替えて、くたびれた帽子を深く被った隊長が、口に人差し指を立て、ルイスに向かって首を振った。
そこはルイスも察しがいい。
黙って頷き指で合図を送る。
隊長も頷き、ルイスと同じ様に仕切りに耳をくっつけた。
「何なのよお兄様、また昼間から酔っ払って!緊急の用事だっていうから来たっていうのに、どうせお金の無心でしょ?」
「それもそうだがお前、侯爵様の言いつけを守らず、勝手に色々やっているそうだな?分かっているのか?お前を使って貰ったのは、私や父上が侯爵様に何度も頭を下げたお陰だ」
「言われなくてもきちんとやる事はやっています!大体お兄様やお父様の頭なんて、たいして価値のある物じゃないわ!頭を下げなくたって、実力で選ばれた筈よ!」
「お前、何か勘違いをしている様だな?落ちぶれた我が家には、私以外まともに教育を受けさせる金が無かった。だからお前は教養も無いし、礼儀も世間も知らない。そんなお前が実力で選ばれる訳がないだろう?」
「その分容姿でカバーしてるわ。今じゃ次期王太子妃候補と噂されているもの!」
「だから世間を知らないと言うんだ!お前などオセアノの赤い薔薇の足元にも及ばない。世の中にはお前など太刀打ち出来ない程、美しい人々はいるのだ。バルコスの姫君や兄殿下は、驚く程美しいと聞いたぞ。言っておくが噂は侯爵様の派閥が流した物だ。お前なら利用しても簡単に切り捨てられるからな」
「何ですって!私を利用?それに、オセアノの赤い薔薇‥イザベラ様より私が劣っているですって!?冗談じゃないわ!あんな嫌な人!」
「馬鹿者が!お前が礼儀を無視したと聞いたぞ!だから勝手な事をするなと言ったんだ。素直にやる事だけをやれ!いいか、我が家は危ない橋を渡っているんだ、それを条件にお前を使って貰ったんだからな!忘れるんじゃない!」
「わ、忘れてないわよ!殿下の行動パターンなら、把握しているわ。ただ、寝る時間が不定期なのと、何処で寝ているのかが分からないのよ。それさえ分かったら連絡するし、手引きもするわよ!」
「いいか、忘れるなよ?失敗したら罪は我が家が被る事になっているんだからな。それだけは肝に銘じておけ!」
「‥‥分かったわよ!もう帰っていいかしら?」
「待て!あー‥‥少し都合してくれないか?」
「やっぱりお金の無心じゃない!呆れたものね!」
マルグリットはブツブツと文句を言いながらも、ジャラジャラと音のする皮袋を渡した。
男は中身を確認した様で、チャリンチャリンとコインを数える音がする。
「よし!気を付けて帰れよ。くれぐれも‥忘れるなよ!」
「お兄様こそ呑んだくれてばかりいないで、きちんと働いたら?それはお母様の薬代に使ってよね!」
カタンと椅子を引く音が聞こえると、マルグリットは"お兄様"と呼んでいた男を残して去って行った。
男はすぐに店員を呼び、またワインを頼んでいる。
ルイスと隊長は顔を見合わせ、お互いに無言で頷いた。
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