裏切らずに済んだ
「答えによって判断させて貰おう」というエレナの言葉を受けて、ジョアンは考えを巡らせていた。
ここに辿り着くまでの間は、決して平穏無事に来れた訳ではない。
ミドラスの役人に袖の下を渡して、やっと通行許可を得た事もあったし、執拗に素性を取り調べられた事もあった。
それでもその都度乗り越えて来られたのは、偏に3人の機転があってこそだ。
ここでこの話が消えてしまったら、3人の苦労は水の泡になってしまう。
そして何より、3人を供に選んでくれた、兄上に顔向けが出来ない。
3人の為にも、兄上の期待を裏切る訳にはいかないのだ!
「貴女の質問に答える前に、私からも言いたい事がある。貴女は私の名を聞いて"第二王子"と、はっきり言った。つまり貴女は、兄上に関する我が国の情報を、掴んでいるという事なのだろう。そして私がやって来た事で、一つの疑問が浮かんだのではないか?何故なら貴女は‥私を王太子と呼ばなかった」
「ふむ」
組んだ腕を解いたエレナは、少し口の端を上げて、面白そうにジョアンを見ている。
ジョアンは怯まず真っ直ぐエレナを見つめ、その薔薇色の唇から、どの様な言葉が紡ぎ出されるのかをジッと待った。
「殿下の主張する疑問という物が仮にあったとして、それを聞かない事には話は先に進まんな。では聞かせて貰おう。疑問とは何だ?」
からかう様な、挑む様な目線を向けられたが、ジョアンは目線を外す事なく、逆に挑む様な目線を投げかけた。
「兄上の帰還により、オセアノ王太子の地位がどちらの物になるのか、貴女は分からなくなった。しかし私がここにいるという事実を目の当たりにして、兄上が王太子となる事を、貴女は確信したのだ。だが兄上は帰還したばかりで、オセアノの指導者として判断するにはまだ未知数だ。だから貴女は疑問に思ったのだ。このままオセアノを頼ったとして、果たして貴女方へ好意的な支援を行ってくれるのかどうかとな。そして私が貴女方の力になる存在かどうか、見定め様としているのだ。貴女の質問の意図は、そういう事だろう?」
ジョアンがそう言い終わると、目線がフッと柔らかい物に変わった。
「クク‥ハハハハ!面白い!流石の洞察力だな殿下。今の話を聞かなかったら、私は背を向けて出て行くつもりだったぞ。だてに王太子であった訳ではないな」
「王太子であったという表現は正しくない。一応まだ王太子だ」
「何だと!!まだ王太子だと言ったのか!?」
「一応な。陛下はまだ私を王太子に据えている。今後は分からないがな‥。オセアノでも貴女と同じ様に、兄上に不安を抱いている者は多い。その為にまだ私が、王太子でいる必要があるのだ。誤解の無い様言っておくが、兄上は私など比べ物にならない程、誰よりも優れた素晴らしい人物だぞ。兄上ならば、貴女の立場を理解して、力になってくれるだろう」
「‥‥今私の目の前にいるのは、現王太子殿下であって、突然現れた第一王子ではない。従って、私の判断出来る相手は、王太子殿下、貴方という事になる。第一王子ではなく、貴方はどうなのだ?貴方は我々の力になるつもりはあるのか?」
またもや挑む様な目線を向けられたが、ジョアンの心は決まっていた。
「兄上に全てを丸投げするつもりは無い!私は全ての立場を使って、貴女方の力になる事を誓おう。オセアノ王太子、ジョアン・オセアノスの名にかけて!」
ジョアンはきっぱりとそう宣言すると、強い眼差しでエレナを見つめた。
するとエレナはフッと柔らかな笑みを浮かべて、ジョアンの前に跪いた。
「試す様な物言いと、無礼な態度を取った事を謝罪致します。今迄協力を仰いだ国々からは、騙される事が多かったのです。いずれもイスペル刺繍の利益のみが目当てで、我々の望む答は得られなかった‥。けれど殿下は、自分の名にかけ誓って下さった。私は殿下の誠意を、信じようと思います」
先程までとは打って変わって、しおらしい態度を見せる。
多分これが本来のエレナという人物なのだろう。
「貴女が警戒しているのは、最初から分かっていた。その様な経験をしてきたのならば、それも無理はない‥。だから謝罪など必要ないのだ。立ち上がって頷いてくれるか?私達と一緒に、オセアノへ行こう!」
ジョアンはエレナの手を引いて、跪いた姿勢から立ち上がらせた。
立ち上がったエレナは頷いて、初めてにっこりと笑顔を見せた。
銀色の月の光を思わせる、どこか惹きつけられる笑顔だ。
最初に感じた青年の姿はどこにも無く、強く美しい女性の姿が確かに目の前にある。
ペドロが言っていた通り、かなりの美女という言葉が相応しい。
しかしエレナはそれに封をして、貫き通そうとする理想があるのだ。
彼女は私を信じると言ってくれた。
ならば私も誠意を以て、それに応えよう。
まずは私の事情を説明するべきであろうな‥
そう考えていると、後ろからパチパチと拍手が聞こえた。
「旦那!かっこよかったです!初めて旦那が頼もしく思えましたよ!」
ホセが拍手をしながら賛辞を送っている。
ホアンもうんうんと頷いて、同じく拍手を送った。
「いや、俺は旦那ならやれると思ってたぜ。旦那はやれば出来る子だからな!」
ペドロはしみじみ頷いて、交渉の成功を喜んでいる。
ジョアンはそんな3人の様子を見て、苦難を乗り越えた仲間の期待を、裏切らずに済んだ事に、心から安堵していた。
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