したたかな相手
ドミニクはイザベラの後ろを歩きながら、履き慣れない靴と、歩きにくさに顔をしかめていた。
イザベラは時折チラチラと、ドミニクを覗き見ては楽しそうにしているが、ドミニクの胸中は複雑だった。
イザベラ嬢が楽しそうなのは良いが、この格好は屈辱以外の何者でもない。
全くレイリアのお陰で、とんだ恥を晒している。これはお礼の意味を込めて、とっておきのお仕置きを考えなければならないな!
ドミニクは沸々と湧き上がる怒りを、お仕置きのメニュー作りに置き換えた。
「案内はここまでで結構よ。王宮の事はよく分かっていますから。ご苦労でした」
案内係の若い武官は、イザベラにそう言われて頭を下げた。
イザベラが武官に微笑んだので、ドミニクも同じ様に微笑むと、武官は頰を赤らめドミニクを見つめている。
「コホン!」
武官を諌める様に、イザベラがワザと咳払いをしてみせると、武官はハッと我に返って、そそくさと立ち去って行った。
「せっかく大きめのヘッドドレスで、お顔を目立たなくしましたのに、あまり効果は無かったみたいですわ」
困ったものだわ‥と呟きながらも、イザベラはやはり楽しそうだ。
「言わないでくれ‥くれませんか?この先の扉を開けた時の、殿下の反応が‥怖い‥です」
「ホホホ‥大丈夫!貴方はとても美しいわ!少々体型はがっしりしていますけど、そんなの気にならない程の美女ですもの。さ、執務室へ急ぎましょう!」
イザベラに促され先を進むと、しっかりした作りの扉が見えて来た。
コンコン!
ドミニクは扉を叩いて、返事が来るのを静かに待つ。
すると返事の代わりに、勢いよく扉が開いて、思いも寄らない人物が顔を出した。
「お待ちしておりましたわ!貴女がイザベラ様ですのね!?」
扉を開けたのは、ブルネットの女性だった。
後ろから慌ててエンリケが走り寄り、その女性をキッと睨み付ける。
「マルグリット嬢、先程から私は忠告しておりますよ!直ちにここから立ち去るべきですと!」
「あら?貴方に言われても、陛下に言われた訳では無いわ。それに私、一度お目にかかりたかったんですもの!オセアノの赤い薔薇と呼ばれる、イザベラ様がどれ程の美女なのか、この目で確かめてみたかったのよ」
ウフフと笑いながら、マルグリットと呼ばれた女性は、値踏みする様な不躾な視線をイザベラに送る。
だがイザベラは気にする風でもなく、女性の横をすうっと通り過ぎた。
「エドゥアルド殿下!無事に戻られましたのね。会えるのを楽しみにしておりましたわ!」
「イザベラ、久しぶりだね。元気だったかい?私も会えて嬉しいよ」
2人が儀礼的な挨拶を交わすと、女性は無理矢理割って入った。
「イザベラ様、私はマルグリット・ファブレガスと申します。お会い出来て光栄ですわ!」
その無作法な様子に、エンリケは顔をしかめたが、イザベラは表情を変えずに切り返した。
「貴女‥家庭教師は付いていらして?」
「ええ、私の様な良家の子女には当然ですわ!それが何か?」
「だったらその家庭教師は、今すぐクビにするべきね。貴女に必要なのは、正しい礼儀を教えてくれる家庭教師ですもの」
「な、何ですって!!私を礼儀知らずだと仰るの?初対面の私に、随分と失礼な物言いですわね!」
「あら?初対面だという自覚はあるのね。初対面なら初対面らしく、紹介されてから口を開くのが、礼儀という物よ。それに、私は殿下に面会に来たのです。他の方の同席は、ご遠慮頂く様、事前に申し上げておりましたわ。なのになぜ、貴女はここにいらっしゃるのかしら?」
ピシャリと言うイザベラに、マルグリットはワナワナと震えながら言い返した。
「私は陛下の親戚に当たります!ですから私がここにいても、問題無い筈ですわ!」
「ホホホ‥何を言い出すのかと思えば、思ったより頭の悪い方ね。貴女は親戚といっても、前世代の王妃の遠縁、しかも養女で血の繋がりもないというのに、勘違いも甚だしいわ。私がエドゥアルド殿下の従兄妹で、陛下の姪だという事はご存知なのかしら?貴女の理屈で言うと、私は何をしても許されるという事になるわね。尤もそんなつもりは無いけれど。まあ、お陰で勉強になったわ。身の丈に合わない権力を、手に入れた者の愚かさとは、こういう状態を言うのね」
「なっ!!なんて人!何が赤薔薇よ!!棘だらけの毒薔薇だわ!!」
「まあ!礼儀もなっていない上に、面と向かって毒突くとは、本当、お育ちが知れるわねぇ。それに貴女、まだここに居座るつもり?」
「言われなくとも、失礼するわ!」
「そう。お帰りはあちらよ。ごきげんよう!」
顔を真っ赤にしてプリプリ怒りながら、マルグリットはバン!と大きな音を立て、扉を閉めて出て行った。
エンリケは満面の笑みで拍手をしながら、イザベラに賛辞を送った。
「いやいやイザベラ嬢、助かりましたよ!あの方には手を焼いていた所です。私共ではあそこまで言えませんからね」
「エドゥアルドがいけないのよ。何か考えがあって野放しにしているのでしょうけれど、ああいう人はつけあがるだけ!どうやらお育ちも悪いみたいで、わざわざ自分の事を"良家の子女"と誇示していたわね。それに、噂が立つのも放っておくから、大変な事になったのですからね!」
「悪かったよ。彼女が何の目的でやって来たのか、見極めようと思ってね。しかし、思った以上に手を焼いた。私も少々ウンザリしていた所だよ。悪役をやらせて、悪かったね。ところで大変な事とは‥ドミニク殿が女装している事と、関係あるのかい?」
エディの言葉にエンリケは、イザベラの後ろのドミニクを見た。
「なんと!ドミニク殿ではないですか!!ほ〜!素晴らしい美女ぶりですな!」
「‥言わないでくれるかな?激しく落ち込みそうだよ」
「うん。そういう格好をすると、やはりリアに似ているね。リアは‥元気に過ごしているだろうか?」
「ハァ‥!そんな呑気な事を言っている場合では無いのよ!貴方が噂を放っておくから、聞き付けたレイリアが姿を消したんですからね!」
「何だって!!リアが姿を消した!?どうしてそれを早く言わないんだ!」
「言おうと思ったけど、あの人に邪魔されたんですもの!エドゥアルド、貴方がレイリアを大事に思う気持ちは分かるわ。でも、やり方が良くないわね。守ると言って閉じ込めて、何も知らせず知らない女性と、仲良くしているなどと聞かされたら、レイリアはどう思うかしら?」
「‥リアに知らせなかったのは、余計な心配をかけたくなかったからだ。マルグリット嬢の事は、いずれ必ず何かしらの行動を起こすと踏んでいて、それを押さえてマンソンに対抗する為に、利用するつもりだった。しかし、リアの気持ちまで気が回らなかったのは、私の落ち度だ‥‥」
「まあ、レイリアもいけない所はあるけれど、エドゥアルドも1人で突っ走らない事ね。それと、女性心理をもう少し学ぶべきだわ。あのマルグリットって方、意外としたたかよ。ほら、そこにハンカチが置いてあるわ」
イザベラに言われて、全員が入り口の脇にあるチゥストの上を見ると、置いてある花瓶の横にハンカチが置かれていた。
「またあの方は!本当に良く忘れ物をする方だ!いつも何かしら忘れては、取りに来るから困ったものだ!」
ウンザリしながらエンリケが言うと、イザベラは呆れたように首を振る。
「エンリケ、貴方も女性心理を学ぶべきね。忘れ物な訳ないじゃない!これは、もう一度ここへ来る為の口実として、ワザと置いていったのよ」
「ええっ!ワザと!?ワザとですと!?」
「こういう行為は社交界でよく見かけるわ。女性が‥というか、特に持参金も用意出来ない下級貴族の令嬢が、格上の裕福な殿方と、お近付きになる口実によく使う手口よ。怒っていてもちゃっかりしているわね。エドゥアルド、貴方が考えるより、遥かに扱いにくい相手の様ね。でもこのハンカチは、利用させて貰うわよ」
「利用?何をする気なんだい?」
エディは訳が分からないといった顔をしている。
でもイザベラはしたり顔をして笑った。
「ウフフ‥貴方にばかりかまけていられない様、他の気になる存在を作るの。ドミニク様、このハンカチを届けて頂けないかしら?その格好でも十分効果はある筈ですもの」
「僕が?一体何の効果があると言うのかな?」
「そうね、届けるついでに微笑んで下さる?その時どんな反応を示したか、教えて下さいな。それによって、どんな効果があったか分かりますわ」
「成る程!そうですね、ドミニク殿下なら間違いありません!この私も、暫くはポエム以外作れませんでした。私からネーミング作りを奪うとは、全く罪作りなお人だ」
エンリケはうんうんとかなり納得した様子で頷いている。
「‥さっぱり意味が分からないのだが?」
ドミニクは1人困惑していたが、期待を込めた目で見られてはどうしようもない。
仕方なく、言われた通りにハンカチを持って、マルグリットの後を追った。
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