特別な茶葉
ジョアンの執務室の外から、複数の人々が言い争う声が聞こえる。
その声は当然、中にいる3人にも聞こえて来た。
3人は顔を見合わせて頷くと、ラウールはエディの後ろに立ち、エンリケは入り口に向かった。
エディが手を上げてエンリケに合図を送ると、エンリケは少しだけ扉を開けて、外にいる警備兵へ不愉快そうに口を開く。
「やかましい!一体何の騒ぎだ?お仕事中の殿下に迷惑ではないか!!」
「エンリケ様、あ、あの、実は‥」
エンリケの登場にホッとした様子の警備兵は、言い争いの相手をチラリと見た。
「その殿下に急用で参ったのだ。身内の私をこの者が通さぬ故、いささか騒がしくしてしまったが」
隠してはいるがいかにも気に入らないといった態度で、マンソン侯爵が顔を出した。
侯爵は護衛を2人連れていて、その2人と警備兵が押し問答をしていた様だ。
「おかしいですね?お身内と仰いましたが、殿下のお身内は侯爵、貴方ではなかった筈ですよ?急用でしたらまずは私を通して頂かなければ困ります。一体何の用事なのでしょう?」
「なぜこの私が側近などに話さなければならないのだ?それに身内ではないなどと、よくもそんな事を!早くそこをどけ!私が話があるのは、ジョアン殿下だ!」
マンソンは言うが早いか、エンリケを押し退けて無理矢理扉の中に入って行く。
エンリケは大袈裟によろめきながらそれを確認すると、口元の笑みを隠しながら護衛を止めて扉を閉めた。
「エンリケの言う通り、貴方は私の身内でも何でもない筈ですが?マンソン侯爵、無理矢理押し入ったからには、それ相応の理由がお有りなのでしょうね?」
にっこり笑ってそう言うエディの姿を見て、マンソンは大きく目を見開いた。
「あ、貴方は‥まさかエドゥアルド殿下!?どうして貴方がここに?それに、カスカイル公まで‥」
「ほう?私がエドゥアルドだと知っているとは、侯爵は随分とお耳が早い様だ。ですが今日からここが私の執務室であるという事は、ご存知無かった様ですね。さて、お急ぎと言いましたが、用件を伺いましょうか?」
マンソンは一瞬たじろいだが、すぐ気を取り直して頭を下げた。
「まずは殿下のご帰還をお祝い申し上げます。知らなかったとはいえ、無礼を働きました。ですが身内として、ジョアン殿下を心配するあまりの行動でございます。何といいましても、こちらは"ジョアン殿下の"執務室ですから。私はジョアン殿下にお話があって参りました」
「‥つまり私には話す気は無いと、そう言うのだね?」
「いえ、殿下には伺いたい事がございます。ジョアン殿下はどちらにいらっしゃるのでしょう?」
「それを知ってどうするつもりなのかな?貴方は身内と言うが、ジョアンの母君は亡くなって久しい。いつまでも貴方が亡き王妃の縁でジョアンに近付くのを、私は好ましいとは思えないのだがね」
「血の繋がりという物は、切っても切れない物でございます。私が身内であり、ジョアン殿下の後見であるという事実は変わりません。ですから私にはジョアン殿下の所在を知る権利があるのです」
動じないマンソンの様子にラウールは苛立ち始めたが、エディは後ろ手に合図を送ってそれを収めた。
「ああ、貴方の身内を思う強い気持ちには、大変感心致しました。つまり貴方はジョアンと運命共同体という訳だ。いいでしょう!お望み通り貴方には、特別にジョアンと同じ待遇を与えましょう!エンリケ、今の言葉を聞いたな?」
「はい、急ぎ陛下より書状を頂いて参ります!」
エンリケはそう言って執務室を出ると、一目散に駆けて行った。
「エンリケが戻るまでには少し時間がかかるだろう。マンソン侯爵、立ちっぱなしもなんだから、座ってお茶でも飲んで待っていてくれ」
マンソンは訝しげな表情をしたが、エディに言われて仕方なく腰を下ろした。
「ちょうどお茶を飲もうと思って用意させていたのだよ。侯爵、貴方は運がいい。特別な茶葉を手に入れてね、中々貴重な代物だそうだ」
エディは自らポットに茶葉とお湯を入れ、マンソンの分だけカップに注いだ。
「まずは貴方の感想が聞きたい。さあ、遠慮なく飲んでくれ」
勧められるままに一口お茶を飲むと、マンソンはソーサーの上にカップを置いた。
「随分と香りの強いお茶ですね。ご婦人方が好みそうな香りだ。特別な茶葉と仰いましたが、これはどこ産の茶葉なのでしょう?」
「多分私より貴方の方が詳しいだろう。亡き王妃が勧めた茶葉だそうだから」
「王妃様‥‥ですと?」
マンソンが王妃の勧めと聞いて首を捻っていると、エンリケが勢いよく扉を開けた。
「陛下より書状を頂いて参りました。これはその正式な命令文です!」
「そうか!ご苦労であった。では侯爵に読み上げて差し上げろ」
エンリケは頷くと、呼吸を整え命令文を開いた。
「では、読み上げます。王太子ジョアン・オセアノス並びに、その後見の者に無期限の謹慎を命ずる。許可が下りるまでは王宮への出入りを禁止とし、これを破った者には地位の剥奪と国外追放処分を下す事とする。オセアノ国王エルナン・オセアノス‥」
「なんだと!?そんなバカな!無期限の謹慎など出来る筈がない!!」
真っ赤になって怒るマンソンは、机の上を拳で殴った。
さっき置いたカップが、ソーサーの上でカチャンと鳴って、お茶には水紋が浮かんでいる。
「侯爵、そう興奮せずに、もう一口お茶はどうだ?」
「お茶など飲んでいる場合ではありません!こんな事到底通る筈が無い!!ジョアン殿下は王太子ですぞ!!」
「王太子として相応しく無いと、陛下が判断なされたのだ!」
突然、黙っていたラウールの怒鳴り声が響いた。
流石のマンソンもラウールの怒鳴り声にはビクッと肩を震わせ、何か言おうとした事を飲み込んで押し黙る。
「見苦しいぞマンソン侯爵!先程から黙って聞いていれば不敬の数々、更に陛下の命令までも聞けぬと申すか!!謹慎など生温い!儂自らが成敗してくれよう!」
ラウールはツカツカとマンソンの前へ進み、腰に下げた剣に手を伸ばした。
マンソンが益々真っ赤になって狼狽えると、エディは立ち上がってそれを制する。
「大叔父上、物騒な物は収めて下さい。大叔父上が手を下す事など無いのですから」
「しかしだなエドゥアルド、儂にはこの無礼者の態度が気に食わん!この手で成敗せねば気がすまんのだ!!」
「大叔父上は一流の武人です。丸腰の相手に剣を振り下ろすのは、騎士道に反するのでは?」
「くっ!そう言われては致し方あるまい。おいマンソン!命拾いしたな!エドゥアルドに感謝しろよ!!」
マンソンの真っ赤な顔からは大量の汗が吹き出している。
体は小刻みに震えながら、無言で何度も頷いた。
「マンソン侯爵、貴方が認めずとも、陛下が下した命令に逆らう事は許されませんよ。今の地位が惜しければ、邸に帰って大人しくしている事だ」
エディの言葉にマンソンは、ゆるゆると立ち上がり扉へ向かって歩き出す。
扉を出る直前に、エディはもう一言マンソンに声をかけた。
「お茶は気に入ったかな?あの茶葉は亡き王妃が私の母に届けた物だそうだ。侯爵ならば出所を知っているかと思ったのだがね」
それを聞いたマンソンは、挨拶もせずに執務室を出ると、護衛を置き去りにする速さで走り去って行く。
エンリケはそれを確認して静かに扉を閉めると、堪えきれずに勢いよく吹き出した。
「ブフフッ!!まるでお尻に火をつけられたみたいに走って行きましたよ!もういいお歳だというのに、あんなに早く走れる物なのですね。ブクク‥」
「あの脅しは必要だったのだよ。でも今回の処分はジョアンが戻るまでの一時的な足止めに過ぎない。暫くはマンソンの出方を伺おう」
「しかし、あの男があれ程慌てた様子は初めて見たわい。何も入っていないお茶とは知らずに、まんまと騙されおったな」
「薬を匂わせればああいう反応を示す事は分かっていました。誰よりも良く薬の事を知っているのは、他の誰でもないマンソン自身ですからね。それに大叔父上、何も入っていないとは一言も言っておりませんよ」
「何だと!?ではやはり毒が‥?」
「いいえ、アントニオ博士の調合した、強力な下剤がたっぷりと入っています。ですからエンリケの言う通り、暫くはお尻に火がついた状態になるでしょう」
これを聞いた2人は、想像したのか腹を抱えて笑っている。
エディも笑ってはいたが、同時に他の事も考えていた。
邸に着いて早々、例の薬の入った箱を持ち上げたマンソンは、箱の置いてあった場所の板を持ち上げ白い包みを取り出した。
その中身を一気に飲み干して一息つくと、今度は腹を押さえて部屋を出て行く。
「ふぅん。あんな所に解毒剤を隠してやがったのか。そんじゃあちょっと頂いて、主人に報告しネェとな!」
木の上からヒラリと舞い降り音も無く動くと、ルイはマンソンの隠した解毒剤を取り出し懐に閉まった。
そして素早く元通りに戻すと、驚くべき跳躍力で木に飛び移り塀を越える。
「あの男もマヌケだが案外役に立つナァ。言われた通り木の上からは丸見えだ。仕方ネェ、今度農場へ酒でも持って行ってやるか」
ルイはしっかりと懐のボタンを閉めて、地下通路を目指して走り出した。
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