陽炎
大公は驚きのあまり思わず立ち上がって、陽炎の様な妻に近付いた。
「ブランカ‥なのか?本当に‥‥?」
『ええ、私よエルネスト。信じられないでしょうけど』
「いや、君だ。私が君を見間違う筈などないのだから。しかし‥何故?君は本物の妖精になってしまったのか?」
『まあ!フフフ‥私を妖精と呼ぶなんて、相変わらずロマンチストね。でも、妖精ではないわ。私が何なのか説明するのは難しいの』
「君は"やっと来てくれた"と言ったね。まさか、ずっとここにいたのか?」
『いいえ。私はレイリアの中にいたのよ。でも今はレイリアから離れたの。いえ、放出されたと言った方がいいかしら。だから貴方に会えると信じて、ここで待っていたのよ。やっと貴方と話す事が出来るのだもの』
「放出?どういう事なんだ?ブランカ、分かる様に話してくれ」
『そうね。私にも良く分からないわ。崖から落ちた後、気付いたら私はレイリアを抱きしめる自分を見ていたの。驚いて戻ろうとしたけれど、それは出来なかった。多分私は霊魂という物になっていたのでしょうね』
「霊魂!?霊魂だと!?」
『あら、私が怖いのエルネスト?』
「いや、君を怖がる訳がない!霊魂でも何でもいいから、私の前に現れて欲しいと何度願った事か。それで、君はどうしてレイリアの中にいたのだい?」
『どうしてかという説明は難しいわね。レイリアが酷いショックを受けていたから、私は慌てて抱きしめたの。大丈夫だと言ってあげたかったから。でも触れるどころか私は、レイリアの目にも映らない、ただの意識だけの存在だった。何度も声をかけて頭を撫でてあげようとしたけれど、レイリアは気付かず意識を失くしたわ。その時私は、吸い込まれる様にレイリアの意識の底へ入って行ったの。そしてそのままそこへ留まり、レイリアの記憶を抑えていた‥。私を蘇らす事が出来ない理由は、その記憶の中にあったから。もし覚えていたら、きっとレイリアは罪悪感から立ち直れないと教えて貰ったのよ』
「教えて貰った?一体誰に?」
『バルコスの神、偉大なる妖精王よ』
「なんだって!!君は‥その姿は、妖精王の力なのか?」
『確かに私をここへ留まらせてくれたのは妖精王だわ。でも私がこの姿を留めていられるのは、この地に眠る始祖の力と私の中の執着心のせいね。私はまだ貴方や子供達を置いて、別の世界へ旅立ちたくはなかったの。ドミニクやレイリアの子供達を、貴方だけが見られるなんてズルいじゃない?』
「子供達?孫という事か。しかしそれはまだ当分先になりそうだぞ。ドミニクには女っ気が無いし、レイリアは初恋もまだときている。加えてオセアノとの縁組は纏まりそうもないしな」
『フフフ‥きっと近々ステキなお話が聞けるわよ。でもエルネスト、貴方は少し太り過ぎだわ。そんなにお腹が出ていては、孫の世話など出来ないわよ?覚えている?レイリアは子供の頃、やんちゃ過ぎて目が離せなかった事を』
「うっ!やっぱり体型を言われたか。覚えているよ。ドミニクは手のかからない子だったが、レイリアは大変だった。外に出れば必ず泥だらけになって帰って来たものだ。一度沼にはまって大騒ぎになったっけ。全くお転婆な所は君に良く似ている。木登りも得意だからなレイリアは」
『私にはステキな妖精がいて、肩に担いで降ろしてくれたわ。少なくともあの妖精は、そんなにお腹が出ていなかったわね。クールで無口な妖精に一瞬で恋に落ちたもの。それがいつの間にかダジャレや親父ギャグを言う様になって、クールとは程遠いキャラクターに変わったけど』
「分かった、分かったから、久しぶりだというのに、夫婦喧嘩はやめよう。明日からダイエットをして、ギャグは控えめにするよ。しかしステキな話って、君は何か知っているんだね?教えてくれ、君だけ知っているのはズルい!」
『楽しみは後に取っておくべきよエルネスト。私もあまり長くこうやって話していられないの。また明日会いに来てくれる?貴方にもいい運動になるでしょう?』
「うっ!運動不足までお見通しとは、やっぱり君には敵わない。私にはまだまだ君が必要だと、改めて気付かされるよ。明日という事は、まだここにいてくれるんだね?それなら毎日君に会いに来よう。歳をとってから君と2人で過ごすのは、私の夢でもあったのだ。尤も君は私と違って、美しいままだけどな」
『貴方が私を必要とする限り、私はここで貴方を待つわ。いつか貴方が旅立つ時、一緒に手を繋いで行きましょう。エルネスト、私の妖精。ずっとそう言いたかった』
「ブランカ‥‥」
陽炎の様に透けるブランカは、大公の頰にそっと手を伸ばした。
触れている感覚は無くとも、大公にはこれ以上ない温もりに感じて、溢れ出す涙を止める事は出来なかった。
読んで頂いてありがとうございます。