露顕
「うん、やっぱりだ。招かれないとダメな場所だろうね、目的の御堂は」
山中を見下ろしながら、そう三世は断定する。
しかし、その服装は珍妙なものだった。
いわゆる迷彩柄の戦闘用ポンチョ――被って着る外套だ。さらに丈が短めなので、編み上げブーツへ裾を入れ込んだパンツ姿とも判る。
「というと玉置神社みたいな? なら、ありえる……かな。でも、よく分かったわね」
双眼鏡片手に米兵達を監視する介子も着替えていた。
解いた三つ編みも目を惹きつけるけれど、一番に驚かさせられるのは、なんと袴姿なことだろう。
いや、日本人であれば数舜の後、ただの袴姿ではないと思い直す。
よくよく見てみれば巫女服だ。ただし、紅白を基調としたものではなく、灰色と黒へ色調が変えられている。
やはり三世と同じくブーツだが手甲や脚絆はもちろん、あちこちにホルスターなども吊るされていて……魔改造のような趣を感じさせた。
「知っていたのでありますか、三世先輩?」
そう訊ねる門は、敷物の上へ行儀よく正座し弁当を――サンドイッチを頬張っていた。……まるで遠足の一風景だ。
そして逆に場違い間を否めないセーラー服のまま、その長い髪をポニーテールに結わっている。
……髪留めが小さな天狗面なのは、何かの意図を持ってのことだろうか?
「小さい頃、親父に似たような山へ放り込まれたんだ。一人で辿り着けって」
「分かるであります! 分かるでありますよ、三世先輩! どーして世の父親どもは、修行という名の児童虐待が好きなのでありましょうか!」
仏頂面で答える三世に、なぜか門は非常な共感を得たようだった。
少数派らしい介子は「理解できないなぁ」とばかりに首を何度も振るばかりだ。
「それで玉置神社みたいなとは、どういうことでありますか?」
「御神格によっては、用のない者の参拝をお禁じになられるのよ。だから招かれなければ辿り着けないの」
介子の説明に門は納得がいかない様子だったが、しかし――
本当に招かれねば辿り着けない神域は、実のところ世俗で噂にもならない。
その存在を知ることすら叶わないからだ。玉置神社の御神格は、心安らかであられる方といえよう。
「というわけでGI達には無理! 辿り着けない! ボク達は彼らが諦めてから、のんびりと捜索すれば良いね」
にこやかな三世の宣言に介子と門の二人は、そっと安堵の溜息を漏らす。
進駐軍といったらバカンス気分で駐留した、かなりに無軌道でやりたい放題な法外者というイメージだが――
もちろん、そんなのは嘘八百だ。意図的に欺瞞されている。
戦後すぐにソビエトや中国共産党は日本での調略を開始していたし、それらは労使紛争や学生運動へ多大なる影響力を持った。
例えば戦後初にして唯一の非常事態宣言がでた阪神教育事件は、左翼勢力が海外勢力と結託したテロだ(※作者注 民族闘争としての見方もあるので、単純な評価は厳禁です)
これは一九四八年に起きていて、三世たちには昨年のこととなる。
どころか一九五一年からは正式に武装闘争と称し、日本各地で左翼勢力はテロ工作を開始した。
しかも一九五五年まで方針転換をしていない。事件と名前がついただけでも数十件は存在する。
そして時の大蔵大臣の発言が捏造されたりもし、この時点でマスコミにも支持者は潜伏していた。
これらの工作活動によって、与党やアメリカの実像は歪んだ。
今日の我々にとって、通説を額面通りに受け取ることは非常な危険といえる。ありとあらゆることで、でだ。
何もかもを疑わねばない。なぜなら事実ではなく、誰かにとっての真実に過ぎないかもしれないからだ。
しかし、だからといって進駐軍が品行方正だったという担保にもならない。
なにより実際に不愉快な体験をした被害者がいる。第三者による客観的な証言もだ。
よって進駐軍には屑がいた。それも紛れのない事実である。
だが、歴史を俯瞰して考える場合、それらがどれだけの比率で存在し、どれだけの不愉快を引き起こしたのかも重要な観点だ。
仮に進駐軍の十人に一人が悪党の屑であり、その屑が十人を不幸にしたとする。
終戦直後の進駐軍はざっと四十万名、日本の総人口が七千万人というから……百七十五人に一人が、敗戦国として以上の不愉快を被った計算となってしまう。
これは今日の交通事故で死ぬ確率の倍にも近い。
どう考えようと異常な数値だし、下手をしなくても暴動へと発展する数字だろう。
そして別に屑が集団だった場合の悲劇も記録されており……いまだに触れるのが難しい大事件となっていた。
またGHQや時の与党が隠蔽しようとしても、それが可能な範疇では収まらない。
つまり、逆説的に「進駐軍には屑もいたが、そいつらで集団を形成はしていなかった」とも証明できてしまう。……なんとも皮肉なことにだ。
結論として進駐軍による犯罪は確かに許しがたいものの、印象操作されているほど頻繁でもなかったといえる。
だが、修羅場に立つこともある三世たちにすれば「屑は多くとも十人に一人」と許す余裕はなかった。
けれど逆にいえば「十人に九人は普通のアメリカ人」だ。
誰かの想像したような都合の良い悪党ではないし、邪魔になったら片っ端から対処ともいかなかった。
今回だって実力行使となれば、眼下のアメリカ兵たち十四人全員を始末せねばならなくなる。
それでは単なる虐殺だ。
仲間の命や安全、そして尊厳の為に手を汚す覚悟はできている。
だが、金銭の為では無理だ。そこまで血を冷たくはできない。
事態の進展に彼女達が心弛びても、それを以て弱さの表れと見做せはしないだろう。
「よし、ボクもお弁当にしようっと。電気パンのサンドイッチ? 具は何があるの? ……稲藁粉は混ざってないよね?」
電気パンとは戦中から戦後にかけて流行った調理法であり、パン生地へ直接電流を流し、それで発生する電熱抵抗を利用して焼くというものだ。風変わりなホームベーカリーともいえる。
稲藁粉は文字通りに稲藁を粉にしたもので、ありとあらゆる粉物へのつなぎに使ったという。……戦中の食糧難は極まり過ぎだろう。
「稲藁の代わりにドングリが混ぜてあるのであります。具は鰹節とチーズで……上出来なのであります」
もちろんドングリの類はすべて食用された。
さらに驚くべきことに戦中に開発された鰹節サンドは、後年に定番となるツナサンドの祖先という説もある。
そしてチーズは当然に代用品だが、牛乳や卵、酒糟などから作る方法が研鑽された。……門の評価も、その意味でだろう。
「おお! 贅沢だ! ところで、門? それで大丈夫なの?」
「……? 平気でありますよ? これは一族伝来の品で、かなり強力な代物なのであります」
よく分からない説明と共に門は、軽く髪留めの天狗面を触った。
「いや、そっちじゃなくて! 上着なしで寒くないの?」
「ああ! この調子なら、しばらくは寒くないのであります。それより三世先輩こそ、その上着はどうしたのでありますか?」
「峰子ちゃんがくれたんだ。これでもフランスの最新鋭なんだって」
しかし、そう説明する三世自身、それほど確信は持っていない様子だ。
「迷彩柄?だっけ? でも、それ逆に悪目立ちするんじゃない? 私は企画倒れだと思うのよねぇ」
双眼鏡から目も離さず介子は批判するけれど、それほど辛口な感想でもない。
なぜなら大戦末期に各国の落下傘部隊などへ配備された程度で、まだ迷彩服は一般的といえなかった。
一般兵へ正式採用されたのも一九四七年にフランス軍からで、この時点では最先端にも等しい。
「峰子先輩は悪い女ではありませんが……少し新しいものに目が無さ過ぎであります」
「それは言えてるかも。これなんて日本光学工業の新品よ? ……全く同じ旧日本軍のもあるのに」
それは手に持った双眼鏡のことだったが、確かに物がないと嘆かれる終戦直後というのに新品だ。
しかし、珍し過ぎもしない。
後年に『ニコン』と社名を変える日本光学工業は、なんと終戦の年には業務を再開し、翌々年には輸出の許可すらGHQからもぎ取っている。
トヨタも終戦直後にトヨペット計画を開始しているし……生きる為であったとしても、戦後の復興を担った男達は逞し過ぎだろう。
「いや、ほら! 峰子ちゃんは『買って応援』な女だから! 贅沢が身についてるとかじゃなくて!」
妙な忠誠心を三世は発揮させるけれど、しどろもどろではあった。……高嶺で高値な女との認識はあるのだろう。
なおも三世は言葉をつなごうとした。しかし――
介子の驚愕の言葉で遮られる!
「ちょっと待って!? GI達が辿り着いたわよ!? どうして? あんなところに御堂があったなんて!?」
「そ、そんな馬鹿な、なのであります! いつの間にか御堂が生えているのであります!」
釣られて眼下を見やった門も、支離滅裂なことを口走るけれど……そんな不思議なことが起こり得るはずもない。
忽然と建築物が出現するはずもないのだから、その場に最初からあったのだ。これが唯一の論理的帰結だろう。
さらに三世たちを含めて全員が、御堂の存在を見落とした。起きた出来事から考えれば、それ以外の見解もあり得ない。
しかし、そんな説明など受け入れられそうもない表情で――
ただ三世は唇を噛みしめていた。