理事長の依頼
「そろそろ仕事の話へ移りましょう」
にべもなく介子は切り出した。
情が薄いと感じさせるもしれない。それぐらいドライな印象を与える。
だが、軽佻浮薄な言動を好む癖に、これで意外に三世はセンチメンタルな気質があった。
情に負けまいと、流されまいと痩せ我慢をしても介子にはお見通しだ。
門にしたところで度胸こそ立派だが、ある意味で無邪気すぎる。
冷徹な計算や損得勘定とは縁遠い娘であるし、そもそも一つ下の後輩だ。先輩の矜持というものもある。
内心、そんな同僚たちを好ましく思わなくもないけれど……それだけでは立ち行かない。誰か一人だけでも、可能な限り冷静でいる必要がある。
そんな理由で彼女は、憎まれ口役を買って出ているようだった。
しかし、誰に言われるでもなく気遣える介子こそ、実は最も情に厚いといえたが……おそらく本人は認めやしないだろう。
「今回はGHQ案件だよ! ……それも埋蔵金」
作為的なまでに三世はサラッと言いのけたが……とたんに介子と門の顔は曇る。あからさまにヤル気も失っていた。
「GHQとやりあうのはともかく、埋蔵金はダメであります! また穴掘り損のくたびれ儲けで終わるに決まっているのであります!」
「あのね、三世? どれだけ日本に埋蔵金伝説があると思ってるのよ! どうせ『朝日長者』の類でしょう!」
ちなみに『朝日長者』とは「朝日さす大木の根元に――」などと口伝や童謡の形で受け継がれた埋蔵金伝説の総称であり、一括りで分類可能なほど全国各地に存在する証拠でもある。……御伽噺も同然と言い換えてもよいだろう。
「ま、埋蔵金はありまーす! あるんもん! 絶対に!」
あたかも吊し上げられて引くに引けなくなった学者だが……それは悔し紛れの出まかせでもなかった。
計算方法や専門家によって幅はあるものの、少なくとも今日の貨幣価値にして百兆円分は埋蔵が予想されている。念の為に補強するが「最低でも」だ。
事実として建築現場などで、偶然に埋蔵金が発掘されることも珍しくはない。
が、狙って掘り当てるとなると、話は変わってくる。
もはや山師の類というべき領域であり、公表された成功例など指折りで数えられるほどだ。
しかし、どうにも三世は、この手の与太話に弱かった。わずかでも信憑性を感じられようものなら、どうにも挑まずにいられない。
「こ、今回は学内に縁者がいて、なんと跡継ぎにだけ口伝されるという、とびきりの内部情報もあるのよ! そして三浦氏といえば、平安から続く由緒正しい武家! 埋蔵金の一つや二つ埋めていても――」
鼻息も荒く三世は喧伝するが、介子と門が首を捻りだしたのには気付けなかった。
「学内の三浦? 三年の――新制でいう中学三年の三浦百合子でありますか?」
「知ってるの、門?」
「初等科の頃、何度か同級となったのであります。よく『ストごっこ』へ誘ってもらったものであります!」
ちなみに『ストごっこ』とは、終戦直後に子供たちの間で流行った遊びで、ストライキを真似っこする……らしい。
もちろん良家の子女に相応しい遊びと思われないらしく、半分は教員側な峰子は困り顔だ。
「内部情報が入手できるなら、少し調べるぐらい――」
「しかし、『S』への憧れが強くて閉口だったのであります。なにかと誘ってきて……こちらとて好きで猫を被っている訳ではないのであります!」
日本では戦前から戦中に花開いた『S』文化は、女性の同性愛と思われがちだが、実のところ微妙に違う。
女学生同士での疑似恋愛とでもいうべき側面が強く、同性愛者をも内包できるだけだ。
よく言い表した言葉に『ロマンチックな友情』がある。また現代人で一番に分かりやすいのは『マリア様に見ていただきたい女の子』だろうか。
……どちらかというR15指定だったりもするけれど。なぜならマリア様は、女の子同士のキスシーンを見たがりはしない。
逸脱して成人指定を受けるペアも珍しくなかったし、昼ドラへジャンル転向も起きたという。……もちろん長じてガチ勢となることも。
「……ねえ? おかしくない、三世? どうして貴女が跡継ぎにだけ口伝される秘密を知っているのよ? それも……つい最近に知り合ったはずな下級生の!」
そう問い詰める介子の視線は冷たかった。
お互いに一人や二人は、特に親しい学友がいることも知っている。また、それについて友人といえど口をはさむべきではないだろう。
しかし、ある日に突然、聞き覚えのない人物の名前が挙がるのは、腑に落ちることではなかった。
そして追撃を加速するとばかりに門が核心をえぐる。
「あーっ! また『赤頭巾』を増やしたのでありますな! どーして来るもの拒まずなんですか、三世先輩は!」
いわれた三世の瞳はザバザバと泳ぎだし、顔中も冷や汗にまみれだす。
「チ、チガウヨ! そ、ソウイウンジャナイヨ! あと、一番かわいい妹分は門だから――」
意外! この期に及んで三世は、まるで見当はずれなフォローを試みていた! ちょっと凄いぞ! 尊敬はできないけど!
「そんな気遣い不要なのであります! そもそも三世先輩は、年上がタイプではありませんか!」
「って、今回は三世が新しい子猫のご機嫌取りしたいだけ? それなら私は降りるからね!」
なぜか次元は「降りる」とヘソを曲げだすと拗れた。……どうしてだろう? とても不思議だ。
しかし、あわや内輪揉めという名の三世吊し上げが開始される寸前――
「ちょっと待って! 落ち着いて、次元さん! 順番が違うの。最初に私が大神さんに相談してて、それから大神さんは三浦さんと接触したのよ――」
と峰子から助け船が出されかけたようで――
「でも、『赤頭巾』って何のこと? どういう意味?」
「古来より狼に食べられるのは『赤頭巾』と決まっているのであります、峰子先輩。あと、どうしてか『赤頭巾』の奴らは、少し自分に意地悪なのであります。だから誰が『赤頭巾』なのか、すぐに分かってしまうのであります」
と磔台は建て続けられた。……哀れ。
「な、なんだって!? よし、ファンの子達には厳しく――」
「いいから! それは後! というか、三世が話したら逆効果じゃない。何か対策は考えてあげるから。それより! いまは藤先輩の相談?の内容が先!」
介子による安定した仕切り直しで、ようやくに話は本題へと戻った。
「きっかけはソビエトからの照会だったのよ」
ソビエトと聞いたとたんに介子と門の顔は曇った。
日本降伏の引き金は間違いなくソビエトの参戦であり、それは中立条約の一方的な破棄でもある。控えめにいっても裏切り行為だ。
そして満州からの撤退は、太平洋戦争でも指折りに過酷な地獄となった。
ほんの三年数か月しか経っていない傷口も生々しい出来事どころか、いまだに大陸から帰国できない者も多い。
そんな理由で下手をしたら敵国だったアメリカよりも憎まれたのだが……なぜか三世だけは皮肉そうな表情のまま、無言を貫いていた。
「そう邪険にしないで。藤家はロシアの旧貴族と誼があったのよ」
大日本帝国の有力者たちは、それ以前の名称であるロシア帝国とのパイプを持っていたし、ソビエトとなってからも維持していた。
ある意味で当然だ。敵であろうと味方であろうと、誰かが交渉のチャンネルを持っていなくては困る。
「続けるわよ? その照会は――CIAが三浦という家を調べている。何か知らないか――という内容だったんだけど……何を聞きたいのか理解できなかったのよね、正直」
「CIAとは何のことでありますか?」
「まったく分からないわ。なんでもアメリカが去年設立させた部署らしいのだけど……ちんぷんかんぷんね」
「ボクが思うに、前身から考えて……日本の東部第三十三部隊みたいなもんじゃないかな? ちょっと規模は違って大きそうだけど」
かの有名な陸軍中野学校のコードネームであるが、一般人に知れ渡るのは六〇年代に入ってからだ。
よって三世の知識は、かなり異常と断定できる。その証拠に介子は首を捻るばかりだ。
「スパイの養成機関および監督部門のことだよ。いつだか中野にあった変な学校のこと話しただろ?」
「ああ、アレね! じゃあ、アメリカのスパイが動いているってこと?」
「その結論は単純すぎるように思えるのであります。スパイとかの人達は考え方が複雑すぎて、なんともかんともなのであります」
「まあ、尤もな感想だね。下手したら『CIAと大声で叫んだら誰が振り向くのか調べている』だけかもしれないし、それを彼ら自身――CIAがやっている可能性すらある。ここは何も反応しないで、無視しちゃうのが一番だよ」
門の感想へ三世は苦笑いをしつつ、それでいて同感でもあるようだった。
「じゃあ、今回は……これからはCIAに気を付けよう、でおしまい?」
「それでも念の為に三浦氏を調べたら本校に一人、縁の子が在籍してたんだ。まさかと思いつつも、軽く接触してみたら……なぜか彼女の家がGHQに接収を受けるんだって。三浦さんの家は山奥だし、純然たる本家筋でもないのにね」
介子と門は真剣な表情で黙り込み、峰子は心配そうな表情を隠しきれていなかった。
正直、危険信号しかない。
謎のCIAという組織を巡って誰かが動いている。
それは三世たちを狙ったものではなさそうだが、剣呑な人物であることには変わりないだろう。
さらにGHQだ。
邸宅や刀、文書の接収は日常茶飯事とはいえ……あまりにイレギュラー色が強過ぎるように思える。
しかし、生徒が関係するのであれば安全策――傍観を選ぶわけにもいかない。
想像しうる最悪を避けるためには、嫌々ながらでもリスクをとる他なかった。
「出動をお願いします! 情報収集を第一義に! 収益の確保は二の次とします! ――いえ、違うわ。貴女達の生命が最優先よ。とにかく死なないこと。急な話となってしまったけど……できて?」
心配そうな峰子へ、三世たちは軽く微笑む。
……ミッションが開始された。