そこにあったもの
「なんだ、文箱じゃない。えーと……昔の書類入れだよ」
「……つまり中身は紙?」
「失敬な! 御宝として紙を隠す風習はないよ! いっとくけど日本人は、貴女たち西洋人より先に紙文化を開始してたからね?」
やや二人がピリピリしているのは扉を開ける為に緊張し、さらには弛緩した結果だろう。
……状況が次のステージへ移行したのも、無関係ではないかもしれない。
「そんな意味で言ってないわよ! でも……紙。ここまで厳重に隠さなきゃならない紙……どんなものなのかしら。例えば……そうね……宝の地図とか?」
「うーん? それって缶詰の缶詰にならない? 素直に、ここへ隠した方が良いような? とにかく一万両がはした金扱いされる情報だよ、中身が紙なら!」
「ああ、そうよね……書類入れだからって書類が――紙が入っていると決まってはいないのか。まあ考えるのは、もっと安全な場所でも良いわね。さあ――」
そこでゼニヤッタは微笑む三世に肩を押さえられた。
「ボクは、この場での確認を要求する。まだアメリカの接収品と決まった訳ではないんだよ?」
「『弾より疾くはなれない』と言ってなかった、自分で?」
「こんな狭いところで、そんな風に凄んだら駄目じゃない?」
二人の眼付は、どんどんと剣呑なものへ変化していく!
しかし、あわやという寸前、ゼニヤッタは降参とばかりに溜息を洩らした。
「ねえ、ミツヨ? 繰り返しになるけど……仲間にならない? どこの機関に所属していて、どんな目的があるのか知らないけれど……受け入れには万全を尽くすわ。私の祖父の名に懸けて」
しかし、三世は悲し気に首を横へと振う。
「残念だけど……皆、色々とあるよ。ボクにも……ゼニヤッタにも」
物悲しく沈黙が下りる。
「よし、色々と諦めた! いえ、貴女のリクルートは諦めてないわよ? でも、今日のところは後回し! そして一つだけ警告させて! もし、このFUBAKO?を開けて、そこへ望ましくない情報があったら……貴女自身が『望ましくない人物』となるのよ?」
「そんなことはないと思うけど……言ってることは理解できる。でも、この文箱の中身を分からずじまいで帰るくらいなら、死んだ方がマシだよ!」
紅潮させて昂る三世は、美しかった。
その在り様が見る者の魂を震わせ……同時に危うさを悟らせるだろう。
「……ねえ? 貴女、本当に狼なの? 猫じゃなくて?」
「どういう意味だい!? なんか失礼な感じするよ!?」
再びコイントスで争い、逆に三世が開け役となった。
……勝ったのは三世なのだから、前回とは逆であっている。
まずは文箱を結わいている紐を外すのだが……まるで危険物でも扱うかのようだ。
「……警戒しすぎじゃない?」
「そう? 正直、少しボクは怖いよ。だって、この紐……絹なんだ!」
「……絹? そんな馬鹿な! 絹なんて百年も持たないわよ!?」
「確かに脆くなっているみたいだけど、まだギリギリで紐としての用を――残念、千切れちゃった」
そのまま手元に残った切れ端を懐へ入れかけ……微笑むゼニヤッタに押さえられていた。
三世も無言なまま、大人しく机の上へ戻す。
「ますます興味深くなってきたね! どうする? 開けた途端に煙が噴き出して来たら!?」
「煙? またジョーク?」
「あー……ごめん。えっと……日本の定番御伽噺。じゃ、開けるよ!」
おそらく三世は集中しすぎていて、脳のリミッターなどが外れてしまっていた。
その反動なのか思ったことが直通で、そのまま口から出てしまっている。
……ただ蓋を開けるという単純な動作に、全精力を注ぎ込んでいる証拠だろう。
しかし、それだけの覚悟で開けられた文箱は、なにも特別なことを起こさなかった。
ただ一枚の和紙が蔵い込まれているきりだ。
「なに……これ? 少なくとも……宝の地図では無さそうね?」
「うわー……達筆だなぁ……こんなの、ほとんど読めないぞ。それに透かし見えてるのは――」
親指と人差し指だけで摘まむように三世は、少しだけ隅を捲る。
「これは確か……牛王宝印とかいう……えーと……誓紙だっけかな?」
「なによ、それ? 自分だけ分かってないで、私にも教えなさいよ!」
「ボクだって専門じゃないから、けっこう適当だよ。うーんと……血判状を書く時の作法なんだけど……あー……血判状って英語圏の何に当たるんだろ!?」
あまりの難題に三世は頭を抱えてしまうが、それでもゼニヤッタは大人しく待っていた。
「昔、誓約書を書き留める時、サインのところへ血で拇印を押す習慣があったんだ。これは凄く本気だよって証の意味でね。そして正式には熊野神社さんから牛王宝印という紙を貰ってきて、その裏へ書くんだよ」
ちなみに三世は知らぬが、牛王宝印へ書いた約束事を破ったら、血を吐いて死ぬ上に地獄行きだ。……かなり本気度の高めな呪いといえよう。
「この右側は、おそらく本文。ちょっと読み解けないけど……まあ、なにか約束の内容を記しているんだと思う。で、左側は見たまんま署名。二人だけだから一対一で交わされたんだね」
「ここの……薄っすら赤いところは血?」
ゼニヤッタの指さしたのは花押――戦国武将などが名前の下へ付けていたトレードマーク文字だが、確かに赤い拇印が押されている。
「そうなるね。……うん? この最初の人、ボクでも署名が読める! 家康だ! 間違いない!」
驚くべきことに、今日の我々でも家康の署名は判別可能だ。
文字といったら草書が当たり前な時代であり、どちらかというと連想ゲームにも近くなるが、それでも簡単な部類といえる。
「もう一人は……うーん……下の字は……もしかしたら『義』かな? いやもっとシンプルな感じで……『秀』?」
考えながらも三世は、指先で中空へ書くようにして何度も署名を真似る。
「一文字目も『志』じゃないよなぁ……『芝』だと書き順が変だし……うん? ああ、もしかして『光』!? つまり、光秀だ!」
ゴリ押し気味に三世は連想ゲームを突破したが、その意味にはまるで気付いていない。
「IEYASUは分かるわ。江戸キングよね? でも、MITUHIDEは誰?」
「え、江戸キング!? いや、間違いでも……ないのかな? 光秀は信長を討った人で、西洋でいうところのブルータス? その場合、殺したのはカエサルじゃなくてマリウスになるけど」
「IEYASUの方を準えたら、誰になるの?」
「カエサルかアウグストゥス。初代将軍だからアウグストゥスよりかな」
しかし、その奇妙な例え話でゼニヤッタは理解の色を示した。
実はローマ初代皇帝まで、日本の三英傑と同じように大英雄が連続している。
つまり、マリウスが信長、スッラが秀吉、カエサルが家康と置き換えられなくもなかった。
各自で面識があったり、部下となっていたり、ライバルとして殺しあったりで……掘り下げていったら限がないくらいだ。
「じゃあ……ブルータスとアウグストゥスの密約書ってこと?」
ゼニヤッタはガッカリしている様子だが、そんなものがあったら大事だ!
アウグストゥスは大叔父のカエサルから後継者として指名され、その地盤と権勢を引き継いで初代ローマ皇帝となった。
だが、ブルータスとの密約書なんて存在したら――カエサル暗殺にアウグストゥスが関わっていたら、歴史の解釈は大きく変わる!
「密約書じゃなくて血判状ね。まあ、秘密でもあったのだろうけど」
「どっちでも良いわよ、そんなの! アーク・ウィザードTENKAIの秘宝が密約書一枚だったなんて!」
「アーク? 大魔術師? 『てんかい』? ……誰?」
噛みつかれた三世は面食らいつつも、なぜか艶々とほっこりしていた!
心の奥底から満足気で……文箱の内容が何であろうと、開けれた時点で嬉しかったようだ。
もしかしたら手段と目的がひっくり返っていて、すでに末期状態なのかもしれない。冒険中毒とか……その類のだ。
なおもゼニヤッタが言い募ろうとしたところで――
微かな銃声が聞こえた!