合従連衡
三世はボロボロとなった迷彩ポンチョを脱ぎ捨て、ついでに包帯代わりとして引き裂いた。
……左腕を負傷していたのだ。
もちろん襲撃者の使った重機関銃は命中していない。
掠ったどころか付近を通過しただけでも裂傷を受ける。当たっていれば手足が千切れ跳んでもおかしくないし、重傷どころか普通はショック死してしまう。対物レベルの兵器は、それほどに強力なのだ。
しかし、けっこうな負傷をした割に三世は生気に満ちていた。
彼女の魂を突き動かす何かが騒ぎ出し、冒険の予感に心は打ち震える。爛々と輝く瞳は、まるで熱病に浮かされているかのようだ。
そして霧が充満する中、慎重に床下へ――銃撃によって破壊しつくされ露わとなった床下へと降りる。
御堂の中心にあった井戸へ向けて!
それは石造りの井桁で木蓋を乗せられていたが、いまや割れてボロボロとなってしまっていた。
……奇跡的に大部分が落ちずに済んでいる、が正しい表現かもしれない。
まるで爆発物でも扱うかのような手付きで、蓋だったものから何かの御札――やはり銃撃で引き千切られた紙を剥がす。
何だか解らないけれど、何だか凄かったらしい御札だ。回収する価値はあるだろう。丁寧にハンケチで包んで懐へと仕舞い込む。
なぜなら三世は目撃していた。
この御札が破壊されると同時に、爆発でもしたかのように井戸から霧が噴出したのを!
最初に噴出して広がった霧は驚くほどに大量で、御堂全体を覆うほどだった。
もう外からは視認できなくなっているだろうし、そうでなければ逆におかしい。……この霧が彼女の予想通りのものならば!
知れず彼女は独り言ちる。
「おそらく、あの小判――甲州金は囮! 本命は、ここを降りた先? でも、この霧の感じは――」
「降りるの? なら私も案内してね?」
愕然とした三世が横を向けば、そこには満面の笑顔なゼニヤッタが!
さらには思わず額へ手を当てかけて……その手首が『藤蔓』で括られていたのに初めて気づく。
当然、逆の端はゼニヤッタが確りと握っている。まるで手錠だ。
「……束縛されるのは好きじゃないんだけど?」
「すぐに慣れるわよ。それに良い子にしてれば、解いてあげる」
ゼニヤッタの返答が楽しげだった分だけ、三世の方は胡散臭げな眼付となっていく。
「大体、畏れ多いと思わないの? 便利道具扱いしちゃって。これは『タケミナカタ様の藤蔓』だよ?」
「え? タケ――ミナカッタ? 誰? でも、その名前には、聞き覚えがあるような?」
「神様だよ! か・み・さ・ま! 古事記にも書いてあるじゃない! 国譲りの件で!」
「Oh,KOJIKI! あれなら読んだわ! 貴女達の――日本人の旧約聖書ね!」
どちらも天地開闢から語られる、旧約聖書ではアダムとイブ、古事記ではイザナギとイザナミを始祖とする人類起源の伝説であり……まあ類似点がなくもない。
しかし、さすがの三世も納得しとくか悩むレベルだ。
「……うーん。いや、かなーり似通ってはいるんだけど……でも、うーん――」
「確か……あー……そうだ! 雷神に負けた人!」
「違う! そうじゃない! 確かにタケミカヅチ様は雷神だけど、北欧神話は関係ないよ! どうして西洋人は、同じ神格だったら同じ神にしちゃうの!? そしてタケミカヅチ様にタケミナカタ様はお負けになったけど、人じゃないから! 神様だから!」
驚いてゼニヤッタは、まじまじと手元の蔦を見直す。
なぜか三世も三世で、その様子を具に観察していたが――
「ゼニヤッタ様! どこに居られるのですか!」
とガラッハの呼び声で、その話は一時中断となった。
「ここよ! まだテンプルの中にいるわ!」
「どちらに? もう一度、大きな声でお願いします! 突然、霧が深くなって!」
すぐさま対応したというのに奇妙な返事だ。心なしか距離も遠くなった印象を受ける。
「やっぱり。ちょっと仔狼君じゃ難しそうだね。いや……ボクでも微妙かな?」
「……どういう意味?」
「先に仔狼君へ指示を。声が届くうちに! あとで説明はしてあげるから! 急いで!」
「まず説明を……あー……もーっ! ――ガラッハ! 軍曹と合流しなさい! そして軍曹には、隊の安全を最優先するようにと! 私を待たずに行動を!」
しかし、その早口気味となった指示が届いたか微妙だ。
なぜならガラッハからの返事が、よく聞き取れない。どうしたことか彼は、さらに御堂から遠ざかっていた。
強張った表情で振り返るゼニヤッタへ、意地悪そうな笑いを浮かべた三世が教える。
「これは『霧吹きの井戸』だよ。霧隠城のと同じものなら……もう誰も何処へも行けない。少なくとも御堂へは、絶対に辿り着けれないだろうね。まあ運が良ければ、霧の外へ迷い出れるよ」
「ちょっと! それじゃあガラッハは軍曹と合流できないじゃない! 探しに行かなきゃ――」
「御堂の外でなら、仔狼君でも人を探すくらいはできると思う。……まだね。正直、外で何が起きているのか判らないけど……仔狼君が一番に安全じゃないかな。慣れられれば霧の外へも出られるだろうし」
何もかもが嫌になったと言わんばかりにゼニヤッタは乱暴に頭を振う。……その表情からは正気を捨て去る覚悟が伺えた。
「詳しいのね?」
「先祖代々の専門家なんだ。お姉さんは幸運だったね」
「ゼニヤッタ――ICPOのゼニヤッタよ。専門家って……霧の専門家なの?」
それは混ぜっ返しの冗談で違いなかったのに、なぜか三世はクスクスと笑いだした。
「大正解! 信じられないことにボクの家は先祖代々、霧の専門家なんだ! それも名門のね! あと、ボクの名前は三世だよ」
「そう……ありがとうね、ミツヨ」
「へ? なにが?」
「ガラッハを助けてくれて、よ。ちょっとタフなぐらいじゃ、ヘビーマシンガンには勝てなかったでしょうし」
「あ、あの坊やには教えとくべきだよ! 近い存在の『もの』には礼儀正しく接しろって。せめて相手の名前を訊ねる時は、先に名乗らなきゃ。……気性が荒いのも多いし」
もにょもにょと微妙そうにしつつ、三世は微かに赤面していた。。……照れたのかもしれない。
「まだ引き取ったばかりだったし……あの子もあの子で、学ぶことが多すぎるのよ。でも、やっぱり、ガラッハと似たような人間なのね?」
「そっちこそICPO?なんだ? CIAじゃなくて?」
対立の構図は明確となりつつあった。
掛け代は互いの秘密と情報だ。架空の手札でレイズを誘い、コールを匂わせ、相手をフォールドへと追い込む。……形を変えた対決の続きでしかない。
「|不可能犯罪検察署《Impossible Crime Prosecutor's Office》でICPO。CIAはスポンサーで、いうなれば外郭団体ってとこね」
後年ならば一般人ですら知っているCIAの基本メソッドだが……その知識は三世にない。なるほどねと肯くふりでもしておく他なかった。
「西洋の親戚に詳しい訳じゃないけどないけど……『いる』とは聞いてたよ」
それはガラッハの後見を続ける上でも、そしてゼニヤッタに命じられた任務の上でも、喉から手が出るほどに欲しい情報だった。
しかし、足元を見られたら、そこで終わる。秘匿された情報を、重視していると悟らせずに漏らさせねばならない。
……静かにチップの積み上げ合いは続く。
「それで降りるの? ……この井戸を?」
「うん。この霧を何とかしなきゃ、どうにも動きようがないよ。いつかは晴れると断定できないし……蓋も壊されちゃった。だから降りて行った先に、何かあるのを期待だね」
そこで三世は「邪魔なんだよね」とばかりに『藤蔓』で結わわれた左手を持ち上げてみせた。
「……一緒に行くわ。これで意外と動けるのよ? それに蔦はいくらでも伸びるから、邪魔にはならないでしょう。でも、降りてみて何も無かったら?」
「神器を道具扱いして、きっと罰が当たるよ!」
「これでも礼拝と祈りは欠かしてないから! ……不可知論者の福音派だけど」
さすがに罰という言葉に怯んだのか、ゼニヤッタは妙な理屈を振りかざす。
ちなみに不可知論とは「神がいるかいないかは判らない」な立場であり、さらに福音派なので「存在と無関係に神を信じることはできる」とした宗教観だ。……アメリカの最大勢力だったりもする。
だが、ゼニヤッタの返答より反応へ、三世は注目しているようだった。
それは毒の効き目を推し量る暗殺者のようだが、しかし?
また、おそらくタケミナカタ様に縁はありそうだけれど、神器と断定は早計だろう。奇妙な違和感も残る。
「降りてみて何も無かった時は、この井桁を壊す。確実って訳じゃないけど、井桁な意味があるはずなんだ」
「……いま壊してしまったら?」
「一生霧の中は嫌だな、ボクは。何かのからくりというのは、壊したからって必ず止まる保証はないよ。むしろ止まらなくなる可能性がある」
「完璧に辻褄が合っているわ。でも、この国の井戸って、梯子を付けとくのが普通なの?」
「もちろん一般的じゃないよ。だから降りようって思ったのさ」