赤色の美学
人を8人殺してみた。
8人だったか。
9人だったか。将又7人だったか。
詳しいことは忘れた。人数なぞどうだっていい。
求めているものは、「ヒト」で創る美学。
殺される時の表情というのは、なかなか記憶に張り付くものだ。
1人は眼球が飛び出してきそうなくらい目を見開き、唾液が口端から溢れ、荒い息で自分を見つめていた。口をもごもごと動かし、何かを言っているようだったが、何一つ理解出来なかった。
非常に見苦しかったので、まずは舌を抜いた。口から溢れ出るものは唾液から、赤々とした血に変わった。
美しい。
血とは美しい。血ほど美しいものはない。
それは我々の頭からつま先まで滞ることなく常に流れる、言うなれば「体内のナイル」であろう。
口から溢れ出る血はまるでベンガル・ストライプのように顎を伝い、白色の服へ零れ落ちた。
…今度はシャワー・ドットのようだ。
白い服は既に汗にまみれていたせいか、少し湿っているようだった──特に襟元は。
そのせいあってか、赤色のシャワー・ドットはすぐに滲み、水加減の知らない素人のパレットの如く汚いものになってしまった。
美しくない。
興じていたのも一瞬だった。
つまらなくなり、そいつを捨てた。
近代まで行なわれていた中国の処刑方法に、「凌遅刑」というものがある。
ゆっくりの「遅」、辱めるの「凌」。
囚人の肉体に刃を入れ、少しずつ肉片を削ぎ落とし激しい苦痛を味わわせながら殺してゆくものだ。実に興味深いことに、この削ぎ落とされた肉片はこの後粉末にされ、漢方薬として売られたそうなのだ。
事に中国というのは、ここ日本国と全く異なる価値観を持つ国であるから、中国の半分しか歴史のない我が国の人間が茶々入れることは出来ない。
中国の価値観を示す文献として、日本でも有名な物語がある。
「三国志演義」だ。
七割真、三割偽と言われるように、虚構も多いが、蜀漢の劉備を正義として描くこの物語は、羅漢中がこれを記してから五百年以上たった今でも、世界中で広く愛されている。
さてこの「三国志演義」、和訳された段階で、日本では割愛されているところがある。
それは劉備が呂布と戦って負け、命からがら劉安という猟師の家に逃げ込んだ時の話だ。
立派な将軍である劉備を泊める以上、御馳走しないといけないが、家は肉を切らしており、御馳走が作れない状況だった。劉安は迷いに迷った挙句、自分の妻を殺してその肉を提供した。だがその事を劉備には告げず、狼の肉と言った。
上手い、と言って食らった劉備だったが、翌日厨房に腕の肉のない女の死体があり、劉備は全てを知ることになる。
後に劉備がこのことを曹操に告げると、曹操はこう言った──なんて立派な行いなのだ。褒美を取らせよ。
訳が分からないのが、価値観の違いというものだ。これと似た話は史書を追えばいくつもある。自分の息子を蒸し焼きにして王に提供して、非難されたがそれは残酷な殺し方をしたことではなく、親子の仲が悪いことであった、等。
先程日本の三国志演義では割愛されていると述べたが、吉川英治の三国志では、注釈と共に、この話が載せられている。吉川が注釈の際用いたのは「植木」の話だ。雪の降り積もる頃、かの北条時頼が僧に扮して貧しい御家人の家を訪れたところ、御家人は自らが大切に育てていた植木を焚き木として燃やし、彼を歓迎したというもの。
何度も言うようだが、理解できないのが普通であろう。
理解できないことがあると人間は戦争をする。
価値観の違いが戦いを生むというのは、まさにその通りだろう。
話を戻そう。
嘗て死刑というものは見せしめのために行うという色が強かった。特に君主制や一党独裁制の国家において、主君に歯向かえばどうなるか……ということを国民に示すためにこの手はよく取られた。
何処の国であったか忘れたが、五段階くらいの過程を踏んでから絶命させる処刑方法があった。
もはや人を殺すためのレシピを披露しているかのようだ。
観衆を湧かせるための、一つの劇に過ぎない。
そしてどれも美しいものであった。
凌遅刑に処すれば、削ぎ落とされた部分から生まれるアートがある。ベンガル・ストライプだけでない。ハーリキン・チェック、オンブレ・チェック、描けるものは無数だ。
皮を剥げば、水彩絵の具が水に溶けるように、少しずつ、水分を増して、軈て全身を覆う赤色のタイツが生まれる。
首を斬り落とせば、刃の入れ方次第で、生首の軌跡は変わり、飛び散る血が描く模様も変わってこよう。
だが、
倦んでいた。
今は、倦むことしかできない。
最後の人間を殺した時に、捕まり、それから2年かかって死刑が決まった。
それはわかりきっていたことだ。むしろそれを待っていた。死刑は自らやることは出来ない。そのために、最期は美しく死にたいと思っていた。
だが、過ぎ去った時代は二度とは帰ってこない。
絞首刑。
自ら追い求めた美学の終焉は自らが描くと、そう思っていた。だが、19年かけて追い求めた美学は、自らの一瞬の死で幕を閉じることになるのだ。
首を絞めて、終わり。
それも意識があるのは一瞬。
首が20センチほど伸びるだけ。
血は出ない。
あれほどまでに愛していた血が、出ない。
殺してきた人間共は皆眼球を抉り出したり舌を抜いたり、爪を1枚ずつ剥がしていったり指をバラバラに切断してみたり、と様々な工夫を凝らして来たつもりだ。それがどうだ。
己の身はいとも簡単に首をくくって終わりだ。
やはり、「命の重さ」に違いはあるのだ。
これほどつまらないものは無い。
これほど憎たらしいことは無い。
獄の中で布団をしくことも、飯を食べることも、歯を磨くことも、ましてや動くことも、息をすることも、もはや全てに倦んでいた。
何か、言い残すことはないかと、言ってきた。
だから、一言言った。
「興じさせろ」
と。
美学の終焉は絶望であった。
絶望に美学を見出すことは、出来なかった。
最後の現実の描写を極端に減らしました。
「現実」と「理想」に明確な線引きを文字で行うためです。
さて、ここまで読んであなたは、語り手がどんなやつだと思いましたか?
男?女?
それとも……人類以外?
〈補足〉
途中から価値観の話を入れましたが、この話、元々はレイシストの弟へ送るために編んだものであり、その一部でした。それを展開の都合を考慮してここに投入しました。
人種や文化を否定するレイシストが私は大嫌いです。どんなに国が変なことをしていても、その国の国民全てを否定するような卑劣な人間は許せません。
しかしながら何故か弟がレイシストになり、彼の発言を聞く度に心苦しく、何とかならぬものかと思っていました。彼は俗に言うネトウヨですが、完全に私の地雷のタイプです。(そのくせにTWICEが好きなのは謎ですが)
平昌五輪の時の日本のYouTube急上昇が愚劣な事になっているのはTwitterでも結構問題になっていましたが、これは日本の闇の部分だと思うのです。
弟だけはそうあって欲しくないと思って、自分の持つ知識を色々と融合させて「価値観について」をまとめました。
レイシストだけは許せません。それは自分の家族であろうと、友達であろうと、関係なくです。
友達なば、容赦なく切り捨てますが。いや、もはや友達とはいえませんね…
価値観についてはこのくらいで。
さて、凌遅刑について。
これは日本では行われていませんでしたが、記録によれば日本人が2名、この刑に処されています。それは秀吉の朝鮮出兵の頃、朝鮮に捕えられた日本人捕虜です。なかなか残酷ですね。
では日本ではどのような方法で死刑が行われていたか?
調べるのが億劫ですが、信長が自分を殺そうとした杉谷善住坊に対して行った処刑はなかなか残酷ですね。
首から下を地中に埋めて、ゆっくりと時間をかけて鋸で首を斬ってゆく。ゆっくりというのは数時間ではなく、数日です(確か)
それから車輪刑、車裂きの刑、磔、斬首、切腹……色々あります。
しかしやはり中国のそれは、本当に、残酷です。
かの白起が投降兵40万を生き埋めにした話は有名ですね。嫪毐は車裂き。明の頃の宦官劉瑾は凌遅刑。
調べても切りがないくらい、中国は残酷です。
でもそれがあって、あの広大な国土を統治し、あの莫大な人口を統治することができた、と考えることもできます。
しかし間違いないのは、血の歴史の上に我々が生きているということですね。