コンピューターゲームには夢があった
初めての体験や経験というものは、良くも悪くも自身に大きな影響を与える。
それがある種の絶頂期であったのは幸福か、不幸か。
まだ専門機関などで最先端技術としてコンピューターが研究されていた時代。
研究の一環としてそれは生まれ、コンピューターの一般的普及が遠かった時代にも、ゆっくりと、しかし確実に発展を続けていた。
初めは好事家や知る人ぞ知るというだけの物でしかなかったそれは、驚異的な技術の発展と共にその可能性に注目され始め、更に多種多様な発展をして行く事となった。
初めにその輝きに触れたのがアーケードゲームだったという方も多いのではないだろうか。
ゲームセンターが不良の溜まり場と言われた時代。しかし最先端に触れる事の出来る場所であったのもまた事実だった。
ゲームセンターに入った途端に耳に入ってくる様々な音の奔流。普段目にする事の無い映像。
イ○ベーダーやギャラ○シアンなど今の基準で思い浮かべると地味に感じてしまうBGMや映像ですら、当時そこには確かに宇宙が、冒険が、幻想が、夢があった。
そんな世界を自分が操作するキャラクターや存在が動きまわる。自分自身が物語に介入できる。
小説や漫画やアニメなどそれまで主流であった物などとはまた違うその娯楽性に、大人も子供も、社会全体が魅せられた。
そんな中家庭用ゲーム機が一般販売される。
家電3種の神器……とは行かぬまでもハードもソフトも爆発的に売れ、コンピューターゲームは一気に一般家庭へと浸透して行った。
家庭用ではバリエーションに富んだラインナップを。アーケードでは家庭用では出来ないような大型の物や最先端を取り入れた物を。
時に分かれ時に交わり、お互い発展を続けて行った。
この頃の「世の中全てがゲームに便乗していた」感は説明が難しい。
今でも何かしら流行れば追従・便乗するのが常ではあるものだが、この時代・このジャンルに関してはその規模が違った。
夢というのは利用者側の楽しみに関わる事だけでは無い。
利益という夢を求めて、新たなゲームメーカーとしての参入はもちろん様々な企業や創作者もまたその潮流に乗っていた。
ゲーム雑誌や攻略本の刊行。
ゲームの小説化やコミカライズやアニメ化。
ゲーム関連のテレビやラジオ番組。
今でこそ珍しくも無い事だが、黎明期とは思えぬ勢いですさまじい数が展開されていった。
そしてそれに伴うゲームショップやゲームセンターの乱立。
様々な媒体にゲームが取り上げられていた事と相まって、気がつくとゲームに日常が浸食されていたような感覚があった。
そのあまりに急激な発展にゲームにさほど興味の無い人達は戸惑ったかも知れない。
しかしゲームに魅せられハマってしまった人達にとっては好ましい環境であり状況であった。
据え置き・携帯機共にハード戦争とも表現される複数の他社ハードが並び立っていた時代。
格ゲーの興隆。
ドットや2DCGからポリゴン主体へ。2Dから3Dへの変遷。
音ゲーやカードを使用したゲームの興隆。
アーケードゲームとほとんど変わらぬクオリティとなった家庭用ゲーム。
次は何を見せてくれるのか。どう魅せてくれるか。そんな風に期待をし続けた。
そしてコンピューターゲームはその始まりを遥か昔に感じる程に数十年で一気に発達を遂げた。