限られたキラメキ (4)
ゴリラはさておき、気になる話ではある。これからクラスのみんながプールサイドで作業をする訳だし、ヒナは事故防止の管理責任者だ。きっちりと役職はこなしておく必要がある。
その日の水泳部部活中、ヒナは左掌の中にある銀の鍵に意識を集中した。さて、なんかいるんですかね。まさかゴリラですかね。
ヒナの左掌には、銀の鍵が同化している。銀の鍵は神々の住まう夢の地球へと通じる道標で、それ自体が強力な力を持つマジックアイテムだ。人の心を読み、記憶を書き換え、単体でありとあらゆる魔術の触媒となり得る。ヒナにも良く解っていないが、とにかく物凄く強いらしい。
本来、ヒナはこの力を放棄したつもりだった。お父さんの海外土産でもらった、ちょっと怪しい曰くつきのアクセサリ。その程度の認識でいたら、実際はガチで危険な魔術具だった。神の世界への試練へと誘う銀の鍵に憑いた神官ナシュトに対して、ヒナはあっけらかんとノーを突きつけた。いらん、帰れ。
銀の鍵は契約の拒絶を前提にしていなかった。とんでもない欠陥品だ、仕様ミスだ。何処に文句を言えば良いのかは未だに解らない。責任の所在すら不明確とか、企業なら訴えられている。言いたいことは沢山あったが、残念ながら全ては後の祭りだ。
結果として、ヒナの左掌には不完全な契約状態での銀の鍵が残された。オマケとして、自身も神である銀の鍵の神官ナシュトが、ヒナの存在と半同化というカタチで付いてきた。銀髪で真紅の瞳、浅黒い肌を持つエジプト神官を思わせるイケメン。でもハルじゃないので、ヒナとしてはお断り。今日びイケメンなら誰にでもちやほやされるとか思ってんジャネーゾ。
この力のせいで、ヒナは面倒な目に沢山あってきた。今ではなるべく使わないように、と気を付けている。少し前にこの辺りを収めている土地神様とお話しをして、ヒナもようやく自分の中である程度は折り合いが付けられそうになってきた感じだ。まったく困ったもんだね。
銀の鍵のことは誰にも話していない。話したところで信じてもらえるはずもない。万が一信じてもらえたとして、心を読めるなんておっかないだけだろう。一人で抱えるには大きすぎる秘密だったが、これも土地神様に話したらちょっぴりだけどスッキリした。神様を信じる人たちって、こんな気持ちなんだろうな。懺悔とか、正にそれだよね。
さて、その銀の鍵を使って、プールを一通り調べてみる。五十メートルの競泳用プールだ。全部で8コース。学校のプールとしてはかなり立派だけど、プールとして見ればまあ何処にでもある感じかな。
怪しげな何かがあるのなら、銀の鍵はその存在を見逃さない。というか、意識していなくても余計なものまで見える時すらある。あれは勘弁してほしい。そのせいで妙なことに手を出して、ハルに心配されたりする。そういえば今日はハンドボール部やってるんだっけ。ああ、こんなことさっさと終わらせたい。ハルの部活中の姿を見てうっとりしていたい。
果たして、うっすらと何かの気配があった。良く注意していないと見逃す程度のものだ。何と言えばいいのか、残り香、だろうか。今現在はここにいないが、かつては存在していたのだろうか。
ナシュト、これどういうこと?
頭の中で問いかけてみる。ナシュトはヒナと一体化しているので、全ての情報はヒナと共有化出来ているハズ。それでも基本的には人間のすることには興味が無いらしく、こうやって呼びかけても返事をしてこないことの方が多い。神様とのコミュニケーションは難しい。
ヒナの隣に、銀髪の長身の男が立った。豹の毛皮をまとった、浅黒い肌の半裸の男。プールに毛皮って似合わないね。色モノ度が五割増しって感じだ。ナシュトの姿はヒナ以外には見えていないので、この違和感はヒナだけのもの。大迷惑。
「常に顕在化しているわけではないのだろう。条件が揃った時のみ姿を見せる類だ」
あ、そ。やっぱりか。その条件ってのははっきりしないけど、何かあるってことだけは確実か。
それ、ゴリラ?
「顕現した際に、それを見た者がどのような視覚的な印象を持つのかまでは判らぬ」
すっごい真面目に答えてくれた。ごめん、ありがとうナシュト。今日はよく働いてくれてるよ。なんかあった?
「無いことも無い」
あれ?珍しい。ヒナに何か言いたいことでもあるの?いつもならもったいつけて託宣とかしてくるのに。ナシュトが雑談みたいな会話に乗ってくるなんて初めてじゃない?
「ヒナ、お前はあの土着神の言う通り、もう少し自分の在り様を素直に示していい」
ふあ?
「銀の鍵は力だ。純然たる力であって、意思ではない。その向きは使う者次第。銀の鍵の真の価値はヒナ、お前が決めるものだ」
は、ははは。
何を言い出すのかと思ったら、そんなことか。ビックリした。ナシュト、本当にどうかしたの?熱でもあるの?ひょっとして、ヒナのこと慰めてくれてる?
「そういう訳ではない。ただ、必要ならばためらわず鍵の力を使えと、以前にも言ったはずだ」
言ってましたね。そうね、銀の鍵も嫌われっぱなしじゃ困るもんね。うまく使うって難しくてさ。
銀の鍵は力でしかない。それはニュートラルであって、善でも悪でもない。そりゃそうだ。使う人間に悪意があれば酷い道具になるだろうし、善意があればきっと素敵な道具になるんだろう。ヒナは自分が善意だけの人間だなんて思えない。そもそも、自分で自分のことを善意だなんて断言出来る人間なんているのかしらね。
ああ、だから神の園への試練なのか。神様は意地悪だなぁ。こんなチートツールを渡しておいて、意思を見せてみろだなんて。こんなの欲望丸出しになるに決まってるじゃん。するとあれか、ヒナはひょっとして合格だったりするのか。はは、なんだかね。神様に用事なんて何にもないのに。ヒナが欲しいのはハルだけ。ズルしない、そのままのハルの気持ちだけ。
「お前のあり方は鍵の正当な所有者としての資質を十分に満たしている」
本人はいらない、って言ってるのに。世の中うまくいかないものだ。どうしてもこの鍵が欲しいって人にしてみれば、それは欲にまみれてるってことで、やっぱりダメダメだよね。神様って一体何がしたいの?馬鹿なの?
ん?ひょっとしてナシュト、ヒナのことまだ諦めて無い?
「我の存在意義は銀の鍵の所有者への試練だ。ヒナ、お前といる限り、我はお前を試練を受ける者としてみなさざるを得ない」
マジか。融通が効かないな。長い休みだとでも思えば良いのに。ヒナといる時間なんて、神様からしてみればほんの一瞬のことでしょう?眠っててくれても構わないよ。
「我が眠れば、今のように便利に使うことがかなわなくなるぞ」
ふふ、ホントに何かあったの?この前の土地神様とのお話に触発されちゃった?ヒナとしては、こうやってちゃんと会話が出来るのは嬉しいんだけどさ。
「変わったとすれば、それはヒナ、お前の心の持ち方だ」
そうなのかな。まあ確かに、銀の鍵やナシュトに対して、以前ほど否定的な感情は持っていない。銀の鍵だけでなく、ナシュト自身もニュートラルだということなんだろうか。へぇ。
じろじろとナシュトの姿を眺めまわす。まあハルじゃないけどイケメンだしな。ちゃんと言うことを聞いてくれるならそれはそれで利用価値がありそうだし。うーん、もうちょっと素直なら、邪険にはしなくなるかなぁ。ああ、でもそれにはヒナが素直にならないといけないのか。うわぁ、すっげぇシャク。
ふむ。じゃあナシュト、これからもヒナに力を貸してください。鍵の力はなるべく使わないようにするつもりではいるし、神の園カダスなんてこれっぽっちも興味が無いけどね。
「まあいいだろう。存在が根底から否定されるよりはマシだと受け取っておこう」
そう言い残して、ナシュトは姿を消した。なんだ、結構気にしてたんだ。言ってくれれば少しは配慮したかもしれないのに。神様ってのは難しいな。崇めてほしいってのは、基本が構ってちゃんなんだな。
窓の方に歩いていく。外ではハンドボール部が練習している。練習っていうか、まああれは遊んでいるんだな。ハルがいる。うん、青春している感じですごくいい。こうやってハルの姿が見られれば、それだけで幸せな気分になってくる。
ハル、ヒナは今、どうしたいのかな。
とりあえずは学園祭だ。クラスの出し物、ペットボトルボートの企画をうまくやり遂げたい。サユリに担ぎ出された感じはするけど、ヒナが始めたことなら、最後までヒナの手で何とかしたい。それを妨げるものがあるなら、銀の鍵でも何でも便利に使って進めて行こう。まあ、悪に染まらない程度にね。何事もほどほどが一番だ。
「ヒナ、いつまで朝倉見てるんだい」
サユリ、そういうこと言わないでよ。水泳部員がどっと笑う。サユリのせいで、ヒナのことを全然知らない先輩たちにまで二人の関係について知られている。別に隠しているつもりは無いけど、言いふらしてるつもりも無いんだから。
とりあえず泳ごう。後はまた明日、大好きなハルと一緒に学校に来てから考えよう。
学園祭の準備はすぐに開始された。学校中がそわそわとした空気に包まれていて、いよいよ授業なんてそっちのけだ。ヒナの周りも、もう学園祭の話題でもちきり。
陸上部は毎年恒例の焼きそば屋台ということで、サキが鉄板の修行に入ったという。修行?なんか秘伝のソースとか、焼き加減とかあるの?サキは毎日疲れ切っていて、ほとんど何も話してくれない。「見えた、焼きそばは、ソバージュなんだ」もう何言ってるのか良く解らない。無茶しやがって。
でもサキが焼きそば焼いてるのは良いかもしれないな。王子様焼きそば。なんかプレミアム感がありそう?今の燃え尽きた顔じゃなくって、いつもの爽やかな王子様スマイルでやってくれると、意味も無くギャラリーが集まって良く売れそうだ。サキの汗が隠し味だな。ひょっとして、陸上部はそれを解っててやろうとしてるんじゃないの?
吹奏楽部のチサトは、それに輪をかけて忙しそうだ。体育館ステージでの演奏は選抜メンバーのみでおこなわれるという話だが、チサトは一年生ながらしっかりと選ばれている。夏休みに聞かせてもらったフルート、かなり上手だったし、ヒナとしては納得だ。
選抜から漏れたメンバーは、演奏喫茶というそれはそれでなかなか面白そうな出し物に参加することになるのだが、一年生のチサトはそちらにも顔を出さなければならないらしい。あっちに行ったりこっちに行ったり、両方の練習をこなしたりで、チサトの小さな身体がくるくると回っている。最近は落ち着いて一緒にお弁当も食べられない。
水泳部の正門ゲートの方も、早い段階から制作が開始されていた。何代も前から水泳部が任されていて、その上常に「前年度を超える」って息巻いているものだから、年々スケールが右肩上がりなんだそうだ。メイコさんもノリノリで「今年は来年すら超えるよ」とか恐ろしいことを言っている。サユリは一年生で雑用だからそこまでではないみたいだけど、忙しくしている先輩たちを見ていると、こっちまでじっとしていられなくなりそう。
そんな状況なので、水泳部の部活自体は開店休業状態だ。ヒナのクラスにとってはありがたいけどね。ペットボトルボートが大きくなると、屋内プールに運び込む手段が問題になりそうだったから、もう作業自体をプールサイドでやらせてもらうことになっている。部活中にそれをやるのは流石に心苦しかったから、好きに使えるのはむしろ大助かりだ。
ヒナは水泳部の責任者として、プールサイドでの作業監督にあたっている。プールの開錠、施錠が基本、プールサイドでの飲食禁止の徹底、プールに飛び込もうとするアホ男子ィへの注意、うへぇ、みんな真面目にやってくれよぅ。妙なことするとゴリラが出るかもしれないんだよ?そんな馬鹿馬鹿しいもの、ヒナは見たくもないよ。
まあ、みんな作業自体は自主的にばんばん進めてくれてるんだけどね。部活が学園祭に参加しないハルとか、あとハルの友達のいもたち、えーっと、宮下君、和田君、高橋君なんかは率先してみんなを引っ張ってくれてる。みんな元々やる気自体はあったので、やることさえ決まってしまえば後は驚くほど精力的だ。
ボートの設計は、そういうのが好きな男子が設計図を作って来てくれた。どんな種類、どんなサイズのペットボトルが何本必要かまで計算してある。すごいな。模型とかが趣味なんだって。パソコンでシミュレートして検証したとか。ほへー、それって一晩でなんとかなるようなものなの?ヒナのお父さんもそういうのやってるみたいだけど、ヒナにはこれっぽっちも理解出来そうに無い。
考えていたよりもかなり大きなものが出来そうだっていう、そこだけがちょっと心配だった。数人が乗れるようなものを作ろうとすると、どうしてもそうなってしまうとか。いや、無理に何人も乗らなくて良いと思うんだけど。なんならイカダでも良いよ。そう言ったら男子全員からブーイングされた。ハルまで不満そうな顔してる。なんだ、男のロマンだとでも言うつもりなのか?
ペットボトル集めの方も順調。そんなに重いものでもないし、男子でも女子でも出来る作業だ。あんまり柔らかいヤツだと強度の問題があるので、なるべくちょっと硬めのヤツ。とりあえずは何でも良いから持ってくるって感じで。使えないものや余りが出たとしても、それは後でまとめてリサイクルに出せば良い。
集めたペットボトルは、外側のビニールを剥いで綺麗に洗う。並べておくと、キラキラ光って壮観だ。プールサイドはあっという間にペットボトルで埋め尽くされた。猫が見たら嫌がるのかな。今度トラジに聞いてみるか。
ペットボトルの口同士をテープで留めて、棒状にする。それをまた組み合わせて、テープで留める。人が乗る部分は、その上にバスマットを貼り付ける。着々とボートのカタチが出来上がりつつある。おお、良いじゃない。仮でも形が見えてくると、みんなの気分が高揚して来る。出来そう、って気になってくる。
ハルと二人でペットボトルを組み合わせてたら、写真部の人にパシャリ、と一枚撮られた。「二人の初めての共同作業です」うるさいな。それ、学園祭のパネル展示に出すつもり?だったらせめてジャージじゃない方が良かった。プールサイドで作業する時は、基本的にジャージ。下には水着着用だ。一応何があるか判らないからね。
ちょっと油断すると、男子ィがプールを挟んでペットボトルでキャッチボールとか始める。「こらー、ふざけるなー」ヒナが怒る。ヒナの言うことなんかほとんど聞いてくれないけど、こういう時はハルとその友達が助けてくれる。ヒナの代わりに注意して、「大丈夫だから」って言って笑ってくれる。うわぁ、なんか青春だ。ほら男子ィ、お前らもちゃんと株上げとけよ。学園祭は確変だぞ?
ヒナがプールサイドで頑張っていると、いつもハルがそばにいてくれる。二人の共同作業っていうのはあながち間違いでは無いかな。ヒナが監督、ハルが助手って感じ。優秀な助手のお陰で、ヒナも何とか回ってる。「ハル、ありがとう」って言ったら、「あいつらも頑張ってるよ」だって。はいはい、いもたちもね。ありがとう。三人とも思ったよりも頼り甲斐がある。いも卒業かな。ハルのこと、これからもよろしくね。