限られたキラメキ (1)
暦の上ではもう秋だけど、まだまだ暑さが残っている。朝早く起きてキッチンに向かう日々が始まって、もう毎日が寝不足、グロッキー状態。監督のお母さんがしっかりとヒナの手元を睨んでいる。大丈夫ですよー、ハルに変なものは食べさせられないからね。
曙川ヒナ、十五才、高校一年生、いよいよ若奥様に片足突っ込みました。
事の始まりはこの前の回転寿司だ。ヒナの家族と、ハルの家族全員揃って回転寿司に外食に出かけた。なんかヒナとハルのお付き合いのお祝いとか、とんでもない名目が付いていたけど、それはもう忘れたい。
朝倉ハルはヒナの幼馴染。十五才、高校一年生。ヒナの彼氏、そしてヒナの恋人。ふふ、ヒナの大好きな人。
高校に入って一ヶ月くらいして、ハルはヒナに告白してくれた。イメチェンって程でもないんだけど、中学よりは校則が緩くなったので、ヒナは縛っていた髪をほどいて昔みたいにふわふわにして、スカートをちょっと短くしてたんだよね。そしたら、ハルは女子高生のヒナにときめいてしまったわけだ。ヒナ、可愛いよって。そんなので良かったの?簡単だなぁ、とか思っちゃうけど、きっとそれはハルがヒナのことを好きだったからだよね。
ヒナは昔からハルのことが好き。ハルはヒナのことを探して、見つけて、大切にしてくれる。ハルもヒナのことが好き。ちゃんと両想い。お互いの気持ちはもう確かめて、夏休みには沢山思い出を作っちゃった。ん?まあ、肉体関係的にはキスどまりだけどね。心は繋がってるの。二人は恋人同士なんだから。
で、なんだっけ?ああ、そうそう、お寿司屋さん。
シンジゲートも真っ青な情報網によって、すっかり家族公認になってしまったヒナとハルの男女交際を祝う会が、回転寿司屋で開催された。緊張とパニックでヒナはお寿司どころじゃ無かったんだけど、その横で激しいバトルが勃発していた。ハルと、ハルのお母さんだ。
ハルのお母さんは元々はっきりと物を言う性格で、決断力と行動力の人だ。この交際記念会とか、謎のイベントをぐいぐいと実行しちゃうのも大体ハルのお母さん。そのハルのお母さんは、お酒が入ると更に凄いことになる。大虎っていうのかな。一言で言えば豪快って感じか。
その時は、どういう流れでそうなったのかは判らないが、ハルのお弁当についての話になっていた。ハルが言うには、まあ、あまり好みではないと。男子高校生だし、いっぱい食べる時期だし、もっと量が欲しいと。それに対してハルのお母さん、てめぇ作ってやってんだからそれだけでありがたく思え、と。ファイッ。
以前にも似たような喧嘩をしたことがあって、その時はハルの弁当箱の中に五百円玉が一枚入っていたそうな。作ってねーじゃねーかと喧嘩は更にヒートアップ。ああ、それ覚えてる覚えてる。ハルが昼休みの間中すっごい不機嫌だった。
で、これがどうもプロレスだったみたいなんだよね。知らなかったのはヒナとハルだけ。ホントにウチの母親どもはセットアップが大好きだよ。そのうち気が付いたらヒナはハルと籍を入れられてるかもしれないね。別にいいけど、ちゃんと本人の意志確認ぐらいは取ってからにしてほしい。
混沌とした状況にも慣れきて、ヒナがようやく最初の一貫目、美味しそうなエンガワを口に入れたところで、その言葉が飛び出した。
「じゃあ、ヒナちゃんに弁当作ってもらいな」
マジで吐き出すかと思った。ちょ、ハルのお母様、何を言い出すんですか急に。
意味も無くキョロキョロしちゃった。ハルの弟のカイがぽかーんと口を開けていて、ヒナの弟のシュウが好物のイクラに囲まれて放心していて、ヒナのお父さんがゲラゲラと笑っている。このA級戦犯め。ハルのお父さんはなんか、うんうん、ってうなずいていた。いや、あの、当の本人を置いて勝手に話を進めないでいただけますか。
そしてヒナのお母さんが、バチコーンて片目をつぶってみせたので理解した。ああ、これ仕込みだ。計画通りって奴だ。早く何とかしないと。
しかしここまで来ちゃうと、もう全てはお母さんたちのシナリオ通りだった。運命にあらがうことなど出来ない。母親同士が結託してるんだから、どんなにあがいたって無駄だ。ヒナだってやりたいでしょ?とか言われて怒りと恥ずかしさでブチ切れそうになった。ああはいはい、やりたいですよ。実は昔、こっそりと一ヶ月分の献立表作ったりしてましたよ。まさかそのことを知ってるんじゃないだろうな。
怒涛の急展開についていけなくなって、ハルは言葉を失っていた。ハル、気を確かに。ハルのお母さんがしたり顔で語った。「まずは胃袋を掴め」へい、左様ですか。まずはも何も、もう既に恋人同士なんですがそれは。
さて、この悪夢のような事情により、ヒナが朝早いハルと一緒に登校する際には、その日のお弁当が準備出来ていなければならない、ということになった。すなわち、ヒナには更なる早起きが必要。ぎぃやぁー。
ハルのお弁当を作るのは、別に嫌じゃない。むしろ楽しい。ヒナは料理は得意だ。ハルの好みだって良く知ってる。その辺は幼馴染としての知識と経験をフルに使わせてもらっている。鼻歌の一つでも飛び出す勢いだ。
ただ、朝早いのだけはね。こればっかりはどうしようもない。眠い。一度、砂糖と塩を間違えて狂気的に塩辛い肉じゃがを作り上げて、味見したお母さんが目を回していた。それ以来、お母さんに毎朝監視されるようになってしまった。そうだね、旦那様になる人を塩分過多で殺すわけにはいかないもんね。でも、それ一回だけで後はちゃんとやってるじゃん。このことは生涯に渡ってネタにされそうだよ。とほほ。
弁当箱に詰め込んだら、携帯で写真をぱしゃり。ハルのお母さんに送信する。毎朝何を作ったのかを報告している。栄養バランスとか、分量とか、ヒナなりに考えてはいるけど、一応よそのお宅のお子さんが口にするモノですので。ハルのお母さんは毎回返事がスタンプだけなので、そのリアクションを推しはかるのが難しい。うーん、今回も大丈夫、なんだよな?
お弁当が出来たらようやく行ってきます、だ。朝ご飯は最近は味見とつまみ食いで済ますようになってしまった。時間節約出来ていいんだけど、お行儀は良くない。あと、朝と昼で食べるものが同じっていうのは地味につまらない。お弁当作る立場としては、これは諦めるしかないか。
中学時代に朝のランニングをしていた習慣から、ハルの朝は早い。今はそれだけが理由じゃないけどね。朝の人の少ない静かな時間帯に、ヒナと並んで二人でいられる時間を作るため。ハルと二人っきりでいられる時間って、実はあんまり無くって貴重なんだ。ヒナの甘い蜂蜜タイム。高校に入ってからずっと続けている。
ハルとヒナの通学路が重なるコンビニの前で待ち合わせ。最初はヒナが待ち伏せするみたいにしてたんだけど、ハルにはあっさりバレていた。今では普通にお互いが来るまで待っている。二人とも、一緒にいる時間が欲しいからそうなる。えへへ。
「おはよう、ハル」
「おはよう、ヒナ」
二学期になって気が付いた。ハル、またちょっと背が伸びた。ヒナが一五五センチで変わってないのに、ずるい。いいな、まだ伸びるんだ。ヒナももう少しだけ身長ほしいな。
寝癖みたいな短髪は相変わらず。やや垂れ目。日焼けしにくいんだけど、今の時期は流石に少し褐色が入ってる肌。ムッキムキでは無い、とりあえずなスポーツマン。ヒナの恋人フィルタを通しているからか、ハルは今日もカッコいい。でもクラスメイトのサキも、サユリも、ハルのことをちょっといいな、とは言ってくれてる。ハルは素敵な彼氏だよ。
「はい、今日のお弁当」
「サンキュ。なんかゴメンな」
いやいや、これはもう逃れられない運命だったんだよ。イットイズユアデステニー、マイサン。ハルのお母さんが黒マスクでそう言ってる画が浮かぶ。コー、ホー。
「結構楽しんでやってるから、気にしないで」
ハルの世話をするのは嫌じゃないって、前に言わなかったっけ。ハルのお弁当を作ってると、なんだかハルの奥さんになったみたいで楽しい。何でも、って訳にはいかないけど、好きな人のことに関われるっていうのは、それだけで嬉しいものだよ。それがその人の生活に密着していることであれば、なおさら。ヒナはハルの奥さんになりたいからさ。
「今日は部活はあるの?」
「あー、なんかやるみたいだな」
ハルはハンドボール部に所属している。中学まではバスケットボール部だったんだけど、色々と挫折があって高校からはやめてしまった。友達に誘われて、人数も少ないしあまり本気の活動をしていないハンドボール部に二学期から入部した。何もしてないよりはずっと良いと思うし、実際部活を始めてからハルは楽しそうだ。友達とわいわいやっている姿は、ヒナも見ていて気分が良い。
「ヒナも今日は部活か?」
「うん、まあ、ね」
プールバッグを肩にかけ直す。ハルはまだ言いたいことがあるのかな。ヒナが勝手に決めちゃったこと、怒ってる訳じゃないんだろうけど、複雑なんだろうなぁ。ごめんね、ハル。一応、ヒナも考えた上での行動だったんだよ。
実はハルがハンドボール部に入った後、ヒナも部活に入った。それまではハルに合わせて帰宅部だったが、ハルも部活を始めたし、ちょっと自分でも何かしてみようかな、って気になっていた。
クラスメイトで友人のサユリが入っていることもあり、ヒナは水泳部に入部した。サユリとは夏休みの間にちょっとあって、その経過をみたいって事情もある。後は、人数が多くてあんまりガチじゃない感じでも大丈夫ってトコロと、ダイエットになるかなって、そんな程度の理由だ。
ヒナが水泳部に入ったと知って、ハルは最初本気でショックを受けたみたいだった。いや、だって教室の床にへたり込んだんだよ?こっちがビックリだよ。ハル涙目。なんでやねん。
「水泳部って、水着だよな」
まあ、そりゃあね。着衣泳部なんて聞いたことないや。
「ヒナ、水着になるんだよな」
そういう言い方されるとやらしいな。部活の間は水着になるしかないでしょ。
「男も水着だよな。ヒナが、あんな水着来て、水着の男の集団の中にいるって」
待って、待って。ハル、妄想力逞しすぎ。
まず、あんな水着って、競泳水着のことか。あれは確かにヒナにも厳しい。っていうか、ヒナは着ないです。水泳部はガチ勢とエンジョイ勢がいて、ヒナはもちろんエンジョイ側です。なので、水着は学校指定のもの。半ズボンみたいなセパレート。夏休みに行ったプールで着てたヤツなんかよりも、遥かに色気が無い代物だから。
あと、水着の男ね。ブーメランパンツは、確かにヒナもキッツイよ。でも女子だってそこそこの人数いるから。男女でべったりしてる訳でもないから。それくらいは認めようよ。ハルもヒナのこと信じて。ね?
教室でうなだれてるハルをなだめてたら、「あ、曙川が朝倉フッてる」とか言われるし。ふってねぇーよ。ラブラブだよ。ハルがこんなにショックを受けるとは想像もしていなかった。うーん、少し妬いてくれるだけで良かったのになぁ。
ハルはその後、サユリの所に行って頭を下げていた。「ヒナのことをよろしく頼む」ってちょっと、何やってんの。後でサユリが爆笑していた。「いやもう、あなたたち面白過ぎ」すいませんね。
納得出来たのかなんなのか、とりあえずハルはその後は何も言ってきていない。水泳部をやめろとも言われていない。ハルがそんなに嫌なら、ヒナとしても考えなおさないこともないんだけど。ヒナが水泳部に入るの、そんなに心配?サユリに訊いてみたら、「いい刺激になってるみたいじゃない」とのこと。刺激、ねぇ。
水泳部に入った理由は、実はもう一つある。学校のプールは屋内にある温水プールだ。一年中使えてとても便利。格技棟の上にあって、プールサイドの大きなガラス窓から校庭が見下ろせる。ハンドボール部が活動している所も、しっかりと見える。
黙っていようと思ってたけど、ハルにそのことを話したら少し機嫌がなおった。現金だな。こんなに好きだって言ってるのに、まだ足りないんだ。
ヒナは、ハルのことが好き。今までも、これからも。ずっとね。