六話、やっぱり、首つりが一番
某月某日、十三年間、ずっと優しく暖かい天気が続いている。
今日も長い講義を半分聞き流しながらやり過ごし、帰りにスーパーへ寄って二人分のカレーの材料を買って、駅の側のボロアパートに入った。
キチンと整頓された靴やお兄ちゃんの鞄を見て、私は微笑んだ。うん、キレイキレイ。
「ただいまー」
お兄ちゃんの家はとても狭くて小さい。だから、私よりも先に帰って来てる……いや、主に自宅警備がお仕事のお兄ちゃんにも聞こえてる筈だが、お兄ちゃんからのお帰り、の言葉がない。
何故だろう? と不思議に思うことはなく、お兄ちゃんが今度はどんな死に方を試しているのか確認するために鞄と買い物袋を降ろして居間に入った。
すると、一番に入ってきたのは、コート掛けに紐を括り付けて、自殺しようとしているお兄ちゃんの姿。
ワンパターンだよ、お兄ちゃん。
「お兄ちゃん、そんな所で首吊ったら私が泣いちゃうよ」
私の言葉に、私の暖かい気持ちを察したのか、お兄ちゃんは苦笑いを浮かべて首元を括っていた縄を下ろした。
「ああ、そっか」
また、死ねなかった。なんて、心にも思ってないことを呟きながらお兄ちゃんはテーブルの前に座った。お兄ちゃんの定位置である。
「今日の晩御飯はカレーにしようと思うけど、良い?」
「ああ。美奈さんのカレーは好きだ」
「そう言えばね、今日、久し振りに山田くんに会ったの。そしたら、美人になったなって褒められちゃった」
小学三年生の時、バッサリ振ってから転校したので今日が十三年ぶりの再開だった。
今考えると、私は幼心に山田くんになんて酷い事をしたのだろうか。それなのに、話しかけてくれる山田くんはやっぱり優しい。
「……そうか」
可愛い、可愛い、私のお兄ちゃん。私の言葉に反応して、自室に戻ってカッターを持ってきてから、手首に当て始めた。
何度も何度も死のうとする理由はあの十三年前の山田くん事件で分かったんだけど、あえて気付いてないフリをしながら、お兄ちゃんを止める。
じんわりとお兄ちゃんの手首の皮膚から覗く暗赤色の血液に唇を這わせたい衝動を押さえながら、私は眉を下げた。
「お兄ちゃん、痛いよ」
すると、決まってお兄ちゃんは苦笑しながら手首のうっすらとした傷跡を見せるから、私は絆創膏を取り出し、貼った。
お兄ちゃんは満足そうな表情で、「カレーはまだか?」と話をずらした。
丸分かりだよ、自分以外のヒトの話をされるのが嫌だったんでしょ? それが山田くんなら尚更。
「うん、まだだよ」
十三年前、山田くんの告白を聞いて逃げ帰ったお兄ちゃんは、自室に閉じ籠もった。何しているのか、と耳を壁に押し当てて私は驚愕した。
なんと、私の名前を泣きながら呼び続けていたのだ。大好きだ、なのにどうして僕を好きにならないんだ……とか、恥ずかしくなる様な言葉に包んで。
その瞬間、お兄ちゃんの自殺願望の理由とか今までの言動がすとんと胸の中で落ちた。お兄ちゃんの今までの言動が線として繋がったのだ。
勉強とか、学校とか何も関係ない。私の勘違いだった……と、全てが理解出来て、私はお兄ちゃんの部屋の前で笑っていた。
ああ、もう。こんなにも馬鹿くさくて可愛いお兄ちゃんは、絶対、この世に一人だけだ。
だって、妹に構われたいからって死のうとして、妹でも好きな私と話すだけで緊張して固くなって、私と出来るだけ長くいたいからって嘘ついて早退して、意識して名前を呼ぶだけで緊張するからってあえて[さん]を付けて呼んで、私の物に触れる口実が思い浮かばなかったからって自殺道具に使うお兄ちゃんなんて、聞いたことがない。
嬉しかった。あの頃の私の『お兄ちゃん大好き』は、唯一私を可愛がってくれる人としての『好き』だったけど、大学生となって全てを理解した今は、違う。
一人の男の人としてお兄ちゃんが『大好き』だ。
私のことを泣く程、好きだと思ってくれるお兄ちゃんが相手なら、障害なく上手くいくと勝手に思っている位にお兄ちゃんの事が好きなんだから早く気付いてよ。
お兄ちゃんの運命の相手はここよ。赤い糸の先にいるのは私よ。
「ねえ、お兄ちゃん。近親相姦ってどう思う?」
「かはっ!!?」
「お兄ちゃん、今度は窒息自殺!?」
「いや、違う……これは、他殺だ」
――いや、恋愛経験ゼロのお兄ちゃん(ずっと私だけを好きだったんだから、当たり前だよね)が相手だから、前途多難かも。
チラシの裏のノリでネタバレとか諸々。苦手な方はお避け下さい。
これを一文にすると「妹に構われたいが為に自殺未遂する兄と、困った兄に振り回されている内に母性を愛情と勘違いした妹の前途多難な近親相姦の前フリ」です。
今までの流れを読まずにここを読んだ方。良かったですね、この文章を読んだだけで八千文字超えの文章内容が入ってきましたよ。お得ですね。