二話、リストカット
某月某日、今日は曇っていた。
「お兄ちゃん、勉強教えて」
机に向かうお兄ちゃんに後ろから声を掛けると、お兄ちゃんは虚ろな目で振り返った。
手にはカッターが握られてる。あ、隠したのに何で持ってるのよ。また切っちゃったの?
「その前に絆創膏だね」
お兄ちゃんのもしもの為にと、常備しているばんそうこうを取り出して、お兄ちゃんの手首に貼り付けた。
お兄ちゃんは死にたがり。だから応急措置を自分ではしないし、したがらない。けれど、何故かわたしの貼ったばんそうこうは取らない。
わたしがお兄ちゃんに死んで欲しくないのが分かってるのか、面倒なのか、答えは知らないけど、助かる。
「痛くない?」
「痛みなんて感じない」
「凄いね、お兄ちゃんは。だから、ここの問題の答え教えて」
「関係ないし、大体答え教えちゃダメだろ。解き方じゃないと自分の身にならない」
「いいよ。算数なんて社会に出て使わないしぃ」
はあ、とお兄ちゃんはため息をついた。
「社会に出て使わなくても、中学高校、はたまた大学と必要になるから今覚えた方が良い」
精気のないお兄ちゃんの目が、いつになく鋭くて、わたしは咄嗟に頷いていた。
お兄ちゃんの絶対に触れちゃいけないところは色んな点に散りばめられてる。今もそう。何が悪かったのか分からないけど、お兄ちゃんには嫌な言葉があったみたい。
……きっと、お兄ちゃんが死にたがる理由のもの?
今までの経験からいくと、お兄ちゃんが死にたがりな理由として、学校、勉強、友達。が当てはまると思う。
これらのことを話す度にきっと、にらむんだもん。バカでも気付くよ。
小学生のわたしが、中学生の大変さや普通を分かれなんて無理な話だって分かってる。だから、お兄ちゃんが学校でどんなことをしてるかも分からない。
だって今も六年生のお兄ちゃんお姉ちゃんが何しているのか、分かってないもん。
でも、知りたい。お兄ちゃんの死にたがりの理由を知って、わたしがどうこう出来るものじゃなくても、頑張って、生きたがりのお兄ちゃんに変えるの。
それが、大好きなお兄ちゃんに出来る、わたしの精一杯のありがとうの形。
「ん。分かった。一人で頑張るから、お兄ちゃん側にいて」
「何でだよ」
お兄ちゃんは眉間にシワを寄せて、苦笑いを浮かべた。あ、嬉しい時のお兄ちゃんの癖だ。嬉しい時は決まって嫌な顔と苦笑いをする。
ふうん、嬉しいんだ。お兄ちゃんの昔みたいなキラキラな笑顔じゃなくても、わたしも嬉しいよ。
「お兄ちゃんが側にいたら、出来る気がするの」
「へえ、頑張れば」
お兄ちゃんの机の横にわたしの椅子を持ってきて、お兄ちゃんの勉強道具とか関係なしにわたしの宿題を広げた。
お兄ちゃんはカッターという自殺道具をなくしてどうしようもなくなったのか、絆創膏をしてない方の手首を鉛筆で削ろうとしていた。
――もう、何でどうしても死のうとするのさ。わたしが隣にいる時くらいはやめてよ。悲しくなるじゃん。
お兄ちゃんが深く削ろうとする瞬間に、わたしはわざとらしく「うーんと、えーっと?」と声をあげた。
すると、お兄ちゃんは一旦手を止めてチラチラわたしを見る。
けれど、わたしが何も質問しないとまた鉛筆に力を込めて深く削ろうとする。だから、わたしも慌てて「分かんなーい」と声を出す。そして、お兄ちゃんは手を止める。
――教えてくれるならすなおに教えてくれれば良いのにさ。何で、「どれ、僕が教えてやろう」の一言も言えないの?
わたしの宿題が終わるまで、ずっと、お兄ちゃんの手首をかけた密かな攻防を繰り返していた。