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わたしのお兄ちゃんは死にたがり  作者: 太郎
僕は死にたがり
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三話、葛藤

 

「なにこれ」


 目の前に広がる光景に絶句した。仕事終わりの体に鞭を打つような行為だこれは。右肩に持つ鞄がやけに重い。肩がヒリヒリする。


「あのこれは、求人誌、です」

「見たら分かるよ。私が言いたいのはどうして求人誌がうちにあるのかってこと」


 ついつい語尾が強くなってしまう。

 お兄ちゃんはただでさえひょろひょろの肩を小さく萎ませている。威圧に負けたのか敬語になっているし。敬語のお兄ちゃんもお兄ちゃんで可愛いけどさ! じゃ、なくて。

 テーブルの上に置いた求人誌を一つ手に持ち透かしてみる。

 なにかが浮き出てみえる訳でもない。普通の求人誌、それ以外の何者でもない。


「私の稼ぎが少ないから、お兄ちゃんが好きなこと出来なくてつらいの?それで働きたいの?それなら私が働くから」


 私が働くから、お兄ちゃんは家にいて。どこにも行かないで。お父さんみたいに私を置いて行かないで。言いかけた言葉を飲み込んだ。胃もたれを起こしてしまいそう。

 お兄ちゃんは落ち着かず視線を動かす。


「違う。美奈さんの稼ぎは十分あるし、感謝してる」

「じゃあなんで」

「それは、その」

「私はお兄ちゃんが働くの不安。お兄ちゃん優しいからいっぱい傷ついちゃうかもしれないじゃん」

「そんなことないよ、僕はただ」


 私はこんなにお兄ちゃんのことを心配しているのにどうしてお兄ちゃんは私の気持ちを分かってくれないの?

 お兄ちゃんはただ家にいて生きてそばにいてくれるだけで十分なのに。外に出て楽しみを見出してしまったらいなくなっちゃうかもしれない。

 そうなる前に芽は握り潰さなきゃダメよね。


「大体1ヶ月で仕事辞めたお兄ちゃんが再就職できるはずないよ。どこも雇ってくれないから時間の無駄だよ」


 誰もお兄ちゃんを必要としなくても、私だけはお兄ちゃんを必要とするんだから。それだけで十分じゃない。だから、お家にいてね。

 ねえ、お兄ちゃん。と、目線をやるとまんまる目玉のお兄ちゃん。

 

「美奈さんは、僕が働くと、嫌?」

「嫌」

「そっか、そっか」


 理解するためにか言葉を反芻させている。どんどんお兄ちゃんは小さくなって。なんかこれって私がいじめてるみたいじゃん。そんなんじゃないのに。


「ごめんね」


 発したのは私か、お兄ちゃんか分からない。

 萎むお兄ちゃんの手を握った。温かい手がある。それだけで十分。これを守るためならどんな事でもする。

 今の生活で何不自由ないというのに、家を出て社会を知ったお兄ちゃんが現実に打ちのめされて自殺しようとする姿が目に浮かぶ。

 可愛い可愛い私のお兄ちゃん。

 守ってあげるからね。


「じゃあ晩ご飯にしようか。約束してたカレーだよ」

「ああ、いいな」

「机、片付けてね」


 私が与えていない求人誌。家には勿論ストックしているはずもない訳で、お兄ちゃんが一人取りに行ったのだろう。

 ビクビクしながらコンビニで買ったのか、駅の無料配布を取ってきたのか。はじめてのおつかいの様な緊張感と感動がある。

 みたかったなあ。

 知り合いに会うのを恐れて深い帽子を被ったり、人の目を避けるために黒い服を着たり、慣れない人混みに挙動不審になっている姿が想像できる。可愛い。

 

「分かった」


 お兄ちゃんはのそのそと求人誌を集めて束ねて端に寄せた。紙ゴミは来週か。それまであるのは不愉快だけどしょうがない。諦める。

 これにて私とお兄ちゃんのハッピーライフは守られたのだ! ちゃんちゃん。映画ならお涙頂戴ソングが流れてエンドロールを迎えるだろう。

 生憎主人公ではないので綱渡りの様な幸せをなんとか繋ぎ止めて、日々を生きて行かなければいけないのだけど。


 なんてね。 

 

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