六話、社会的な死
近親相姦ってダメなこと。認めてられていないこと。
具体的に何でかと言われれば説明できないけど、世間は社会は近親で愛情を育むことを容認してくれないんだって、分かってた。
分かってたけど、私とお兄ちゃんの気持ちさえ通じあっていれば、社会なんて関係ないんだって。周りの目なんて気にしなくって良いんだって。盲信してた。
お兄ちゃんの気持ちも確かめずに。
白いベッドに横たわるお兄ちゃんの顔は、点滴のお陰か桃色に染まってきている。大事に至らなくて良かった。お兄ちゃんが生きててくれて良かった。
一番大事なのはお兄ちゃんの命なのに、素直に喜べない自分がいる事に胸が痛くなる。
パソコンの画面に映っていた言葉、インセストタブーという言葉を思い出した。近親相姦をタブー視する考え方。
普通、そんな言葉調べない。お兄ちゃんもインセストタブーの考えを持っているから、私の事を女として愛せないから調べたんだ。
私は子供の頃からお兄ちゃんだけを愛して生きてきたのに、お兄ちゃんはあっさり私を捨てちゃうのね。
お兄ちゃんの頬を撫でると、生えかけの髭がチクリと刺さった。そう、そこまで私を嫌うの。
私はあんなにも尽くしたのに。私の人生は全てお兄ちゃんに捧げたのに。裏切るお兄ちゃんなんて、……いなくなっちゃえば良いのに。
抑圧してきた黒い感情が弾けとんだ。
鞄の下に隠していた鈍器を手に取る。冷たい。これから私にどう扱われるか分かっているのか、やけに手に馴染む。
幸い一人部屋で、他の患者に邪魔される事はない。カーテンさえ閉めれば、私とお兄ちゃんだけの空間。最期に、楽しもうか。なんて。
ぶうん、鈍器を振り上げる。単純作業。ごおん、鈍器を振り下ろす。単純作業。その単純作業すらも出来ないなんて、私の腕はどうなってしまったのか。
震えて、まともに使えやしない。その上視界すらもボヤけてきて、その場に崩れ落ちた。
「うひぃ……やっぱ、無理い。お兄ちゃんが大好きだよおぉおー」
お兄ちゃんを殺して、自分も。なんて簡単に諦められる程、私のお兄ちゃん愛は簡単なモノじゃなくて、見返りがなくても、仇で返されても私はお兄ちゃんが好きだ。
気付いてしまった。この気持ちはねじ曲げられない。
「……美奈さん?」
「お兄ちゃ……? お兄ちゃん!!」
飛び起きると、目を擦るお兄ちゃんが。お兄ちゃんが、お兄ちゃんが笑って、私を見てる。まるで、何も、なかったみたいに。
「どうしたの。そんなぐちゃぐちゃの顔して……」
「お兄ちゃんの馬鹿……。私、私、凄く心配したんだからあぁあ!」
ごめんね、と小さく笑うお兄ちゃんは、ゆっくりと真実を話してくれた。
私の携帯を見たこと。山田くんからのメール見たこと。内容にショックを受けて飴を喉につまらせたこと。思わず吹き出してしまった。
「なあんだ、そんなことで。山田くんからのメールはどんな内容だったの?」
「……言うもんか。僕にとってはそんなことじゃないんだよ」
そう、と頷いた。鈍器を強く握りしめると、私がここに存在してるのを強く証明しているかのように感じられた。
お兄ちゃんの事は一人の男性として好き。だけども、お兄ちゃんが私をただの妹としか見なくても良いの。お兄ちゃんが私の側にいてくれさえすれば、良い。
「お兄ちゃん。帰ったらお兄ちゃんの好きなご飯沢山作ってあげる。ゲームも沢山買うし。そうだ、ねえ。週末には一緒にゲームしようね」
「…………僕は」
お兄ちゃんは深く息を吐くと、流れるように呟いた。
「……僕は気付いたんだ。美奈さんへの想いが何かって。美奈さんが山田と連絡とると吐きそうになるし、山田を殺したくなる。美奈さんは可愛いし、愛らしいし外の世界で虫が付かないか考えて胸が張り裂けそうになる」
苦しい。もどかしい。お兄ちゃんの顔は、切なく変化する。
「……僕なんか、ただのクズのニートで、美奈さんには不釣り合いで。お荷物で。いつかは捨てられるかと思うと、怖くて死にたくなる」
ああ、いとおしい。お兄ちゃんの頬を撫でると、指先が濡れた。お兄ちゃんの体液だ。舐めとりたい。
「インセストタブーなんてどうでも良い。僕は美奈さんがいないと駄目なんだ。永遠に僕の側にいて。山田なんかに渡さない」
「お兄ちゃん……」
ずっと、待ち望んでいた言葉。私の愛が、お兄ちゃんからの愛として返ってきた。
「私はいつだってお兄ちゃん一人のモノだよ。どこにもいかない。側にいるから。お兄ちゃんも私だけを見てね」
細くて頼りないお兄ちゃんの胸に飛び込んだ。ぐしゃぐしゃの頭を撫でてくれるのは、お兄ちゃんからの愛の証。愛って、なんて素敵なの。
お兄ちゃんの最後の死にたがり。
私にも伝染しちゃった死にたがり。
兄と妹の間の、肉親を超えた愛情を世間は認めない。ならば、一緒に死にましょう。社会的に、死にましょう。
お兄ちゃんがいれば、私はどこへでも、いけるから。ね。




