6話 あのコとの距離をもっと縮めたい俺(後編)
…………………。
…………………。
えーと……。うん。とりあえず冷静になれ、俺。
今、俺の目の前で起こったことを整理するんだ。
そう、ありのままに、端的に起こったことを並べるんだ。
惚れ薬入りのお茶を飲んだティアラの頭から、ネコ耳が生えてきた。
…………………。
意味わっかんねええええぇぇッ!?
おかしい。どこで何をどう間違えたらこんな事態になるというんだ!?
俺は目だけをタニヤに動かして、これはどういうことなのだと視線で問い掛ける。
が、タニヤはさっきの俺みたいに目を点にした状態で放心していた。
どうやらあいつにとっても、この事態は予想外のものらしい。
「あの……。マティウス……」
「な、何だ?」
気付いたら、ティアラは俺のすぐ横にいた。
小柄な彼女は俺を見上げながら、頭を少し右に傾けつつ口を開く。
「私の頭に、その、何か生えてにゃい?」
「――――!」
何だこのくっっっっそ可愛い生き物!
今語尾が超ネコってた! 「にゃい?」だって! 小首を傾げながら「にゃい?」って言った!
ふおおぉぉっっ! かわいいいいぃぃッッッッ!
まさに地上に舞い降りた妖精のネコ! いや、ネコの妖精か!?
どっちでもええわ! 結論、超可愛い俺の天使が今ここに、爆・誕!
「うん。生えてる。茶色の可愛いお耳が二つ生えてるよー」
「えっ!? あ、あの、マティウス……? にゃんだかいつもと口調が――」
「でもそれが本物かどうかよくわかんないから、俺が確かめてやるからねー。そうだな、まずはその耳を触ってあげよう。いっぱいなでなでしてあげるからねー?」
「えっ!? えっ!? ちょっ――。ほ、本当にどうしたの!? 何だか突然、あぶにゃい人に――」
「よーしよしよしよしよし。あぁ、いい子だねー。おとなしいねー。べっぴんさんだねー。うん。このビロードのような手触り、間違いなくネコの耳だな。要するにネコだな! 可愛いネコちゃん以外の何者でもないな!」
俺は存分にこの極上の手触りを堪能する。
あぁ、地上の楽園はこんなに身近にあったのだ。何というユートピア。俺はこのネコ耳の中で人生の最後を迎えたいッ!
彼女の頭を撫でていた俺の手は、首元へ移動する。
やはりネコちゃんなのだから、ごろごろと喉を鳴らしてもらいたい。
「ここはどう? 喉。気持ちいい? 首周りどこか痒いところない?」
「あんっ――。えっと、く、くすぐったいにゃ……」
「そう? それじゃあ背中は?」
「わひゃ!? あぅ……。そ、そこはにゃんだか気持ちいいかも……」
「よしよし。そうかそうか。本当におとなしくていいコだねー。でもこんなに大きくて可愛い喋るネコちゃん、他の奴らに見つかったら大変だ。今日から俺の部屋で一緒に暮ら――」
「落ち着かんかアホ!」
突然、後頭部を襲う激しい衝撃。
痛さを実感する間も無く俺は部屋の壁まで吹っ飛び、顔面を強打する。そしてそのまま、ズルズルとうつぶせ状態で床に倒れ込んだ。
………………。
………………。
――――ハッ!
いかん、好きな子と好きな動物という究極の掛け合わせに、思わず理性がぶっ飛んでしまった。
何か俺、ティアラにすげーことを言ってしまったような……。
とりあえず、今のデタラメな威力の攻撃は間違いなくアレクだ。脳みそ飛び出るかと思った。
俺はどつかれた後頭部と強打した鼻を押さえながらゆっくりと立ち上がり、振り返る。
そこには予想通り、アレクが拳を振りぬいたポーズのまま俺を睨んでいたのだが――。
「姫様ににゃれにゃれしく触れるにゃ!」
クールな声で紡がれたお茶目なセリフに、思わず俺は脱力しながらずっこけてしまった。
お前、どう見てもティアラと同じネコ耳が生えてんじゃん! 勝手にお茶を飲みやがったな!? っつーか王族用に作ったお茶をこっそり飲むとか、大胆なことをするなこいつ!?
「あっ、アレクも生えてきたの? にゃんだろうね、コレ? それにしてもアレク、いつものカッコイイ雰囲気と違って、にゃんだか可愛いにゃ」
「いえ、姫様も凄く可愛らしいですにゃ。不覚にも少しときめいてしまいましたですにゃ」
「そ、そうかにゃ……?」
「どうやら尻尾も生えてきたみたいですにゃ」
「あ、本当だ。ちょ……ちょっと服が押し上げられてるにゃ。下着が見えそうで恥ずかしいにゃ……」
ええっ!? 何だよこの二人の間に流れる空気!? 割り込みたいのに割り込めねぇ!
……いや、これってもしかして俺もお茶を飲んだ方がいいパターンなんじゃね!? 俺もネコ耳生やして三人でにゃんにゃんじゃれ合うのが正しい選択なんじゃね!? うん、それでいこう!
俺がそう決心してお茶を飲もうとカップを手にした瞬間、しかしそれは横から伸びたタニヤの手によって阻止された。
いつもより、その顔が青く見えるのは気のせいだろうか。
「……止めるなタニヤ。俺は今からティアラとのにゃんにゃん生活を満喫する。そして彼女の尻尾の付け根がどうなっているのか、じっくりと観察しないといけない気がするんだ。それにネコ耳が生えたら、今までと違う自分になれると思うんだ、俺!」
「うん、まず落ち着こうかマティウス君。確かに見た目と喋り方は変わるわね。でもやめて。君がいないとツッコミ役が不在になるの。私には荷が重すぎるの」
「そんなこと知るか。っつーか誰がツッコミ役だコラ」
俺の職業は、王女の護衛という清く正しく凛々しいものだ。勝手に芸人にすんな。
「よく考えてマティウス君。身長百八十超えの体格の良いネコ耳男とか、一部のお姉さま方を除いて需要なんてないから。しかも語尾が『にゃ』なのよ? お願いだからやめて。むしろ見目秀麗な二人がじゃれ合っている所に、君が混じるのが何か許せない」
「お前、さらりと酷いこと言うよな!?」
今ので俺の心はかなり抉られたぞおい!
まぁ、おかげで冷静さも取り戻せたけどさ……。
でも確かにタニヤの言う通り、俺もネコ耳の生えた自分の姿を鏡では見たくない。
っつーかよくよく考えたらこの状況、ティアラに惚れ薬を飲ませて気を引く、という当初の計画から大幅に逸脱しているじゃねーか。
俺とタニヤはにゃんにゃん言い合っているティアラとアレクにばれないように、こっそりと部屋の隅に移動する。
「で、どうするんだこの事態? お前が入手したのは惚れ薬じゃなくて、ネコ耳が生える薬だったわけだが?」
「うう……。どうやら今回は失敗みたい。可哀相な私」
「可哀相なのはお前に大金を毟り取られた俺だっつーの。後で返せ。で、本当にどうするんだ?」
「こういうのは、放置していたらそのうち効果が切れる、と昔から相場が決まっているわ」
「つまりしばらくは、にゃんにゃん言い合う二人を生温かい目で見守るしかないってことか」
俺の口からは、勝手に長い溜め息が漏れた。
俺もあの中に混ざりたかった。そしてあの尻尾の付け根がどうなっているのかを確認してみたかった。
…………じゃなくて!
やはり、惚れ薬なんて都合の良い物が存在しているはずがなかったんだ。薬でティアラの気を引こうとしたのが、そもそもの間違いだったんだよな……。
俺は心の中で反省しつつ、改めて彼女を見つめる。
それにしてもやっぱ可愛いよな、ティアラ……。
せめて今のうちに、ネコ化したティアラの姿を目に焼き付けておこう。
桃色の頭から生える、大きな茶色の耳。しかし彼女の純潔で純粋な雰囲気は、どんな姿になっても失われないらしい。
何というか、あの姿に神々しさまで感じ始めてきたぞ。
「タニヤ。俺、ティアラが元の姿に戻る前に、どうしてもやっておきたいことがあるんだ」
「何よ? 突然真面目な顔になっちゃって」
タニヤはいつの間に持ってきたのか、茶菓子のスコーンをモリモリと口に含みながら答える。
だからお前ら、王族に出す食い物をつまむのはやめろ!?
……っていかんいかん。だから俺はツッコミ役じゃないんだって。
「もう一度、ティアラのあの耳をなでなでしたい」
ぶふっ、とタニヤの口からスコーンだった粉末が飛び出てくる。
おい、こっちに飛ばすなよ汚ねーな。
「珍しく真剣な声と表情をしたかと思ったら、吐く言葉がそれ? てかマティウス君、さっきから目が据わっているわよ」
「うるせー。俺の天使様のネコ耳姿を目に焼き付けてんだ。ほっとけ」
「もう、仕方がないわね。さすがに私もちょっと罪悪感はあるし、君のそのささやかな願いを叶えるために協力してあげるわよ」
タニヤはスコーンを飲み込むと、今だににゃんにゃんとじゃれ合っている二人に向かって軽く手を上げた。
「アレクー。ちょっといい?」
「にゃんだ?」
「その耳、少しでいいから私にも触らせてくれない? 気持ち良さそうだし」
「まぁ、別にかまわにゃいが……」
アレクの頭に手を伸ばしつつ、タニヤが俺に目配せをする。
……なるほど、そういうことか。
「ティアラ。その、俺ももう一度いいか?」
「ふにゃ!? え、えっと、その。す、少しだけ、なら……」
なぜかティアラは、少し後退りながら俺に答える。
え、もしかして俺、さっきのアレで警戒されてしまってる? まぁ確かに、アレはちょっとやり過ぎたと自分でも思うけどさ……。別の誰かが憑依していたみたいというか。
でも、ティアラのこの怯えた様子も可愛いな。ちょっと苛めたくなるな……。
――って、こんなところでSに目覚めんなって俺。
とにかく落ち着け。平常心、平常心だ。
ここは無を意識しろ。そう、万物を創生せし神の如く、無を――。
俺が変な悟りを開きそうになっていると、ティアラが少し顎を引いた。どうやら撫でやすくしてくれているらしい。
俺とティアラの身長差はかなりあるので、そんなことをしなくても俺は余裕で彼女の頭に手を置けるのだが。
でも、こういう気遣いが彼女らしいよな。
フッと自然に笑みを洩らしつつ、俺が彼女の頭に手を伸ばした瞬間――。
突然、ネコ耳がひゅるんっ! と音を立て、跡形もなく消えてしまった!
「ああああぁぁっ!?」
何という無常で無慈悲な仕打ち!?
悟りなんて開こうとせず、さっさと触っとけば良かったぁ!
がっくりと床に膝をつく俺に、ティアラが申し訳なさそうな顔をしながら俺の顔を覗き込んできた。
「マティウスって、そんなにネコが好きだったんだね……」
「あぁ? えっと、まぁ……」
何かティアラは、盛大な勘違いをしている気がする。
確かにネコも好きだが、理性が吹っ飛ぶほどでもない。
っつーか俺は、それ以上にお前のことが好きなんだよ!
――というセリフはさすがに口に出す勇気がないので心の中に留めておく。
「あ、あの……。マティウスっていつもあんな風にネコと……その、じゃれ合うの?」
「えっ!? いや、いつもってわけでもねーけど……。た、たまに、かな?」
もちろん今のは嘘だ。
むしろアレは、ティアラだから俺も壊れてしまったんだ。
お願いだから、少しだけでもいいからそれを察してくれ……。
自分に向けられる恋の矢印に無自覚すぎると、俺もいつか暴走するぞ?
「そうなんだ……。マティウスの意外な一面が見れて、ちょっとカワイイなって思ったの」
直後、背後からぶほっ、という噴き出す音が二つ聞こえた気がするが、とりあえず今は無視。
後で覚えてろよ、お前ら……。
「か、カワイイって、俺が?」
「うん。あの、マティウスって私から見ると凄く大きいの。だからちょっと威圧感があって怖いなって、正直思っていたの……。それにお仕事のせいか、いつも怖い顔をしているように見えて。でも、本当はあんな声や顔もできるんだと思って……」
ティアラは言っている内にさっきの出来事を思い出して恥ずかしくなってきたのか、語尾が次第に小さくなる。
だがそれとは対照的に、俺の瞳は大きくなっていた。
俺って、そんなに怖い顔になっていたのか。ティアラに熱い視線を送っていただけなんだが……。
彼女にそう言われてしまうとちょっとへこむ。これからは表情に気をつけよう。
まぁ、経過はどうであれ、ティアラとの距離を縮めることに一応成功したってことだよな、これ?
「あと、頭を撫でられるのって、結構気持ちいいんだね……」
ネコの気持ちがちょっとわかっちゃった、とはにかむティアラ。その顔に俺の心臓が大きく跳ねた。
思わず彼女を抱き締めたくなる衝動を、俺は小さな自制心で必死に押さえることになるのだった。
「――で。どうするんだ? それ」
今日の護衛の仕事を終え部屋へと戻るさなか、俺は隣を歩くタニヤに問い掛けた。
それ、とは残ってしまった惚れ薬――じゃなくて、ネコ化する薬のことだ。
「うーん。捨てるのも勿体無いし。サンプルとしてもうしばらくは取っておこうかなーと」
「ふーん……」
「あ、もしかしてマティウス君、飲んでみたいの?」
「なわけあるか!?」
「冗談よ。君がまた姫様のネコ耳姿を見たくなった時のために保管しておくわ」
「マジで?」
こいつのことだから、自室に帰ってこっそり自分でも楽しむものだとばかり思っていたんだが――。
まさか俺のためにとって置いてくれるとは。
でも定期的にティアラのネコ耳姿を見て、癒されるのも悪くないかもしれないな。
と考えていた俺に向かって、タニヤが親指と人差し指の先をくっ付けて作った輪を見せてきた。
「当然、その時はまたお金頂くからねー?」
「…………」
含みのある笑いを洩らす侍女を冷めた目で見つめたあと、俺は早足に自室へと戻るのだった。
再びティアラのネコ耳姿を見るのは、俺の給料が上がるまで無理そうだな……。