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40話 彼女の決意と見守る俺(後編)

 大聖堂の中は、先ほどと打って変わって閑散としていた。至るところに崩落した壁の物であろう瓦礫が散乱し、木製の長椅子も元の姿がわからないほどに、無惨な姿へと変貌を遂げている。どうやらあの後、アレクはかなり派手に暴れたようだ。

 そして大聖堂の中央、白い三人の女神像の真下に、まるで俺達を待っていたかのように一人の人物が佇んでいた。荘厳な雰囲気を(まと)うその人物は、改めて確認するまでもなく――。


「お父様……」


 陛下の銀色の頭からは、もうネコ耳は消えていた。真っ直ぐと俺達を見据えるその目は、鋭さの中にもどこか寂しさも漂っているように見える。ティアラは小さく深呼吸をすると、一歩一歩確実に陛下の元へと向かう。俺の手を握ったまま……。そして陛下の目前でティアラは俺から手を離し、さらに一歩前に進み出た。

 沈黙――。

 二人は向かい合ったまま、しばらくの間言葉を発することはなかった。

 空気が、痛い。

 異様な圧迫感が俺の全身を襲う。だが、ここで逃げてはいけない。俺も、そしてティアラも。

 ティアラは一度視線を陛下から床へと落とす。だがすぐにまた陛下を見据えると、ゆっくりと口を開いた。


「先ほどは、申し訳ございませんでした。でも私、自分の伴侶となる人は、自分で選びたいのです」


 ティアラのその声は少しだけ震えていた。陛下は彼女の言葉を聞き届けると、静かに瞼を閉じる。はたして彼女の決意の言葉に、どんな叱責が飛んでくるのか――。


「いいよ」

「軽っ!?」


 思わず声を上げてしまった俺。いやいやいや、だって軽すぎるでしょ!? 荘厳な雰囲気どこいった!? ていうか一国の姫の将来ですよ!? そんな簡単に答えちゃっていいもんなの!?

 ティアラも陛下のお茶目な返答に、ただ目を点にして呆けているばかりだ。

 陛下は俺達のそんな態度に気付いているのかいないのか、顎に手をやり少し眉を寄せながら言った。


「お前達がそういう仲だと知っていれば、今回の件も受けなかったのだが……」

「ご、ごめんなさい……」


 何とか声を搾り出すようにしてティアラは謝罪する。

 それにしても予想外の好意的な返事。しかも陛下は特に怒っている様子も見られない。もしかして父と娘のコミュニケーションが上手く行っていたら、そして俺達が公衆の面前でいちゃいちゃしていたら、最初から今回の騒動はなかったのでは……。

 俺が脱力しそうになっていると、陛下はティアラとの距離を詰め、彼女の頭にそっと手を乗せて続けた。


「お前の母も、朗らかで優しい町娘だった」


 その瞬間、ティアラが息を呑む。彼女の琥珀色の目はその真実に驚愕で見開かれていた。どうやら知らなかったらしい。そして俺も知らなかった。陛下も身分を越えた婚姻だったのか……。

 俺は陛下が頑なに後妻を迎えなかった理由が、はっきりとわかってしまった。心から愛していたんだ。他の人間のことなど、考えられないくらいに――。

 そして、陛下がティアラに母親のことを言えなかった理由。これはあくまで俺の想像でしかないのだが――言葉に出してしまうと、口に出してしまうと、失った時の深い悲しみが甦ってしまうから――ではなかろうか。


「鮮やかな赤毛は、そこに存在するだけで目を惹かれた。天真爛漫な笑顔は、瞬時に周りの人間の心から棘を抜いた」


 陛下はティアラの頭を慈しむように撫でながら、静かに呟く。灰掛かったその瞳は、慈愛に満ち溢れていた。それは無条件の愛。親の目。そして、俺には決して向けられることのなかった、優しい目――。少しだけ、ティアラが羨ましいと思ってしまった。

 ティアラの頭に手を置く陛下の瞳は、僅かに揺れているように見える。


「本当に、太陽みたいな娘だった」


 陛下の口の端がそこで僅かに上がった。


「その彼女の忘れ形見であるお前を見て、心詰まる時もあったことは否定しない。だが――私は子の幸せを願わない親では、ない」


 そこでティアラが鼻を啜る。泣いているのだろう。俺もちょっと泣きそうだ。


「今まで黙っていて、本当にすまなかった。既に察しているかもしれぬが、お前の母親――サルアのことについては、城の者に箝口(かんこう)令を出していたのだ」

「どうして、そのようなことを……」

「私は、王だ。この国を動かし、常に民を導かねばならぬ。悲しみに暮れて止まっている時間など、許されない立場だ。だから心が悲しみに沈む時を、排除しなければならなかった」

「…………」

「私の心が弱かった。それだけだ。言い訳など何もできぬ。酷い父親よな……。本当にすまなかった……」


 ティアラは自分の頭に置かれた陛下の手を握り、彼女の胸元まで下ろす。小さな手で陛下の手を強く握り締め、彼女はその謝罪の言葉を黙ったまま聞き入れる。


「ティアラだけではない。私が下した命令は、サルアにとっても酷い仕打ちだと、今さらながらに気付いたよ。娘に存在を知られぬままでいることが、どんなに彼女の魂を傷付けていたのか……。気付くのが遅すぎたかもしれぬがな」


 陛下の言葉に、ティアラは無言のまま首を横に振る。まだ遅くはないと、彼女が言っているように見えた。


「今日この瞬間から、(めい)を解こう。お前には随分と寂しい思いをさせてしまったな……」

「いいえ。確かにお母様のことは知りたいと思ったことはあるけれど、寂しくなかったと言えば嘘になってしまうけれど――。それでも私の心に、穴が空くようなことはありませんでした」


 ティアラはそこで一呼吸置き、そして小さく微笑んだ。


「お城のみんなが、いてくれたから」

「そうか……」


 陛下は静かに瞼を閉じる。娘に(ゆる)された父親は、今何を想うのか。陛下は再び灰色の瞳をティアラへと向けると、今度は「王」としての顔つきに戻り、告げた。


「ティアラ。次期女王として今回の件、全てお前に後始末を任せる」

「元よりそうお願いするつもりでした。ですが、その――」

「案ずるな。お前の思うがままにやれば良い。その後の責任は全て私がとる」

「はい。ありがとう、ございます……」


 そこで感極まったのか、ティアラは陛下の胸に頭を(うず)め、ただ静かに泣き続けた。







 王子とその父親であるアクアラルーン国王(俺は気付かなかったが、式に出席していたらしい)、そしてお付きの人間は皆、城の応接間に案内されていた。ちなみに国王は、王子をそのまま横に広げたような体型をしていた。若い頃は美男子だったんだろうな……。

 応接間の中には、アレクとタニヤ、そしてあの藍髪の護衛もいた。

 良かった……。アレクとタニヤの無事が確認できた俺は胸を撫で下ろした。おそらく陛下の温情あってのことだろう。……つくづく陛下には足を向けて寝られない。


「この度は、本当に申し訳ございませんでした。どんなに謝罪の言葉を重ねても、私の行為は許されないものだと思っております」


 応接間に入って早々、ティアラが王子と国王に対し、深く頭を下げる。俺も下げた方が良いのだろうか。いや、余計なことはしないでおこう。いらん波風を立てるのは得策ではない。


「ですが、私の謝罪の気持ちを少しでも皆様にお伝えしたく思います。『慈愛の女神』を擁するアクアラルーン国の皆様方、どうか寛容なお心で、これから私が差し出す物をお受け取りください」


 ティアラはそこまで言うと、部屋の隅へと顔を向けた。


「お願いします」


 ティアラの一声で、部屋の隅に居た灰色のフードを被った使者が小さく頷く。そして赤い布が敷かれた台座を両手に抱え、ティアラに静々と歩み寄った。

 その台座の上には、小振りのナイフが置かれていた。銀色の柄の部分は見事な植物の装飾が彫られており、その辺の店で売っているような安物ではないことを主張している。俺にはよくわからんが、あのナイフはこうやって王族同士の取り引きに使われるような、名刀なのだろうか。

 ティアラは台座からそのナイフを慎重に掴み取る。そして彼女は自分の後ろの髪を一束掴むと――。次の瞬間、そのナイフで握っていた髪を一気に切り裂いた。


「なっ――――!?」

「姫様!?」


 彼女の様子を見守っていた周りの人間は、皆一様に目を丸くする。感情表現が控え目なアレクでさえも、思わず声を上げていた。

 肩まであったティアラの桃色の髪は、首元が見えるほどの長さになってしまった。ティアラは周りの反応を気にすることなく、毅然とした態度で続ける。


「『美の女神』を擁するアウラヴィスタ国の王族である私の、肉体の一部をそちらに捧げます」


 ティアラの口から出てきた言葉で、応接間の温度が一気に下がった気がした。俺の全身にも瞬時に鳥肌が広がる。

 何を考えてんだよティアラ!? いくら何でもそれはねえだろ!? やめてくれよ!

 本当はすぐにでもそう叫びたかった。だがここで声を出してはいけない。止めてはいけない。彼女の決意を踏み(にじ)ることになるからだ。いや、でも……。

 美の女神の特徴は、膝裏まであろうかという長い髪だ。そして国の代表である王族の髪は、その美の女神と同等の意味を持つ。それをアクアラルーン国へ渡すということは――。

 つまり、ティアラは三人の女神の内一人を、アクアラルーン国へ渡してしまうつもりなのだ。

 …………俺と引き換えに。

 ありえねえよ!? だって……女神と俺だぞ!? 同じ天秤に乗るのもおこがましいわ!


「ティアラ姫。ほ、本気ですか!?」

「はい」


 国王に短く、そして力強く返事をするティアラの表情から読み取れることは、ただ一つだけ。それは、揺ぎ無い決意。

 アクアラルーン国の一行は面食らい、指先一つ動かすことができないでいるようだったが、やがて落ち着きを取り戻した金髪碧眼の王子が、抑揚のない声で静かに告げる。


「申し訳ございませんが、我々はそれを受け取ることができません」

「――――!?」


 王子の拒否の言葉に、ティアラの表情が瞬時に悲哀と絶望を乗せたものに変わった。


「世界各国で三人の女神を祀っているこの状況で、我々の国だけが四人の女神を擁することになってしまう。そしてあなた方は、二人の女神しかいなくなってしまう。そうなればたちまち世界の均衡は崩れ、我々の国は戦火に包まれてしまうことでしょう」


 静かな低音でそれでいて淡々と、王子は拒否する理由を説明した。その王子の横で、国王も小さく頷きながら続ける。


「我々のように、平穏を望む国ばかりではないですからな」

「確かに、そのとおりですね……。浅はか過ぎました……。でも……」


 ティアラはそこで唇を噛み、俯いてしまった。


「しかし、あなたの強い決意だけは我々にも良く伝わりました。幼い頃から知的で聡明だったあなたがそのように視野が狭まるほど、彼のことに真剣なのですね?」

「……あ。は、はい……」


 王子にずばり指摘されたティアラは、そこで頬を赤らめた。俺の横に佇んでいたタニヤが、脇腹を小さく肘で突いてくる。やめろ。この状況でからかってくるのはやめろ。


「これからのことについては、また後日ゆっくりと話し合いの機会を設けることにしましょう。我々としても、あなた方と血を流すような関係になりたくはないですし、ね」


 アクアラルーン国の王子はそう告げると、微笑した。俺の視界の端で、タニヤがやけに嬉しそうな顔をしているのが見えた。……くそ、この王子は心までイケメンなタイプか。卑怯だ。

 ティアラは無言のまま、再度王子と国王に頭を深く下げた。そして彼女は俺の方へと顔を向ける。その顔は安堵と希望が入り混じった、少し控え目な笑顔だった。

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