27話 ついに俺にもモテ期到来?(前編)
食堂で朝食を食べ終え、一度部屋に戻る。そしてベッド脇に掛かった四角い鏡を見ながら、俺は申し訳程度に身嗜みを整えていた。
ふと窓の外に目をやると、どんよりとした曇り空。いつものこの時間は朝日が眩しくて顔をしかめてしまうのだが、今日はやけに薄暗く感じる。これは一雨きそうだな。まぁ、今日は外に出る予定はなかったから関係ないか。今はそれより、胸は控え目な俺のマイエンジェルの所へ早く行こう、と扉を開けると、見たことのない侍女がもじもじとしながら俺の部屋の前に佇んでいた。
くすんだ色の赤毛を二つのおさげにしたその侍女は、俺と同じか少し下の年齢だろうか。背はティアラより高いが、タニヤよりは低い。愛嬌のある栗色の丸い目と、鼻の周辺にうっすらと浮かぶそばかすが目を惹く。
「あ、あの……。あ、朝からすみません……」
「ん? 俺に何か用か?」
「そ、その、えっと」
赤毛の侍女は顔を真っ赤にしつつ、エプロンのポケットをごそごそとあさり始める。そして俺に対して腰を九十度に曲げ、ビシッと腕を真っ直ぐに伸ばして白い『それ』を渡してきた。
「こ、これを!」
あぁ。いつものアレか……。
俺は心の中でそう呟くと、その侍女から手紙を受け取る。正直、もう何度目になるかわからないくらいには同じ経験を繰り返していた。「これをアレクさんに渡してください」というやつだ。
見た目美少年のアレクはその容姿とクールな雰囲気も相まって、城の女性陣に絶大な人気を誇っている。そして時々こうやって、手紙を渡して欲しい、と俺に頼んでくる奴がいるのだ。自分で渡してくれ、と正直思ってはいるのだが、アレクの持つ近寄りがたい雰囲気がなかなか彼女らにその勇気を与えないのだろう。そして俺も、わざわざ自分からマイナスイメージを持たれる言動をしたくはなかったので、こうして引き受けているというわけだ。
それにしても手紙の内容がファンレターなのかラブレターなのかわからないところが、ちょっと気になる部分ではある……。
「心配するな。ちゃんと渡しておくから。まぁその、返事は期待しない方が良いとは思うけど……」
アレクはとりあえず手紙は受け取るのだが、返事を書いたから渡してくれ、と言われたことは一度もない。もしかしたら結構ガチな内容で、困っているのかもしれない。
いくら見た目が格好良くてもアレクは女だからな。あいつの恋愛観なんぞ俺の知るところではないが、とりあえず今のところは同性にそういう感情を抱く素振りは見せていないし。
「えっ!? あ、あの、何か勘違いをなさっているような。違うんです。そ、それは、えっと――」
赤毛の侍女は両手をパタパタと横に振り、そして信じられないことを口にした。
「マ、マティウスさんに、受け取って欲しいんです!」
「…………は?」
彼女の精一杯の告白に、俺はただ間抜けな一言を返すことしかできなかった。まるでタイミングを見計らったかのように、窓の外から眩い光が放たれる。そして雷の大きな音が轟く頃には、既にその侍女は後ろ姿を俺に晒し、廊下を駆けていたのだった。
「……で。当然受け取りは拒否したんでしょうね?」
俺は初めての経験に動揺してしまったのもあり、ティアラの部屋に行った後も半ば放心状態だった。そしてタニヤにどうした何があったと厳しく追求され、正直に先ほどの出来事を話したところで――この冷たい口調と目だ。
「それが、その後ダッシュで駆けて行ってしまって……」
「はあ?」
盛大に顔をしかめながら言うタニヤ。いつもにも増して怖い。窓の外から聞こえてくる雨の音が、いっそう彼女の怖さを引き立てているように思えた。実はこいつが伝説の魔獣、雨女なのではなかろうか。
だがタニヤが言いたいことは俺もよくわかっている。現にティアラの顔には不安の色が滲んでいた。付き合っている彼氏がラブレターを貰ったのだ。俺だって逆の立場になったら、それこそ発狂せんばかりに不安になってしまうことだろう。
彼女を安心させるためにも、ここは堂々としなければならない。俺のティアラに対する気持ちは鋼鉄、いや、ダイヤモンド並に硬いということを証明しなければっ。
「心配しなくてもちゃんと断るって」
「何て言って断るのよ?」
「そりゃ『俺には既に好きな人がいるから』って言うに決まってんだろ」
『既に彼女がいるから』では、俺とティアラの関係がばれてしまう可能性があるからな。はっきりと断言できないので少しもやもやとしてしまうが、それは仕方がない。
「『その好きな人って誰ですか?』なんて聞かれた場合、どう答えるつもりなのよ」
「あ…………」
タニヤの鋭い指摘に、俺は言葉を詰まらせる。確かにそれを聞かれると色々とマズイかもしれない。
俺は常にティアラにくっ付いているうえ、タニヤとアレク以外の女性と話す機会は、ほとんどどころかほぼないと言っていい。つまり好きな人を容易に推測されてしまうということだ。
『もしかして姫様ですか?』なんて聞かれた場合絶対にノーと答えないと、俺達の関係がそこで悟られてしまう恐れがある。それが人づてに陛下の耳にでも入ろうものなら――。……色々と終了だ。
『アレクさんが好きなのですね?』と聞かれた場合もノーと答えないと「お前如きがアレク様に!」と大勢の女性ファンに恨みを買い、嫌がらせを受けてしまう可能性がある。……自分で言っててかなり虚しいが、まぁ概ねその予想は間違ってはいないだろう。
かといって『まさかタニヤさんですか?』と聞かれた場合も、首を縦には振りたくない。それはもう、絶対に。何が悲しくて、俺をおもちゃ扱いする奴を好きだと言わなきゃならんのだ。俺はMではない。
となるとやはり「彼女がいるから」とはっきり断った方が良いのか? いや、その場合の方がもっとマズイ事態になりそうな――。
思考が迷子になりかけたその時、それまで無言だったアレクが小さく呟いた。
「で、その侍女はどんな奴だったんだ?」
「ええと、赤毛を二つにわけたおさげの子で、顔にはそばかすがあったな」
「あぁ、その特徴はサーラね。よりによってマティウス君とか……。サーラ、趣味悪いわぁ」
当たらない! 俺の全力パンチが尽く当たらない! 回避能力高すぎるだろこの侍女!? ぜぇぜぇと肩で息をしていると、横からアレクが口を出してきた。
「タニヤ。それは姫様の趣味も悪いということになるぞ」
「それは違うわよ。だって姫様はマティウス君と長い間一緒に過ごして、彼の良いところを知った上で付き合っているわけでしょ(私には理解できないけど)」
おい、ちょっと待てや。最後の呟き聞こえたぞ。お前だってティアラと同じくらい俺と一緒に過ごしているだろうが。俺の良いところを知らないとは言わせねーぞ!
……あれ? そういや俺の良いところって何だろう……。
「でもサーラはマティウス君と話したこともないのよ。つまり見た目だけで決めているってこと。この違いがわかる?」
「あぁ、なるほどな……」
「光の女神よ俺に力を! シャイニングスペシャルサンダーキイイイイック!」
俺の怒りを乗せた渾身の回し蹴りは、いともあっさり二人にかわされてしまった。ちっ。どっちかには当てたかったのに!
「技名を叫びながら攻撃するなんて、避けてくださいと言っているようなものだぞ」
「ていうか技名にセンスなさすぎるんだけど」
センスのことは言うな! 咄嗟に思いついただけの物にダメ出しされると何かへこむ!
くそっ。こうなれば子供のように闇雲に腕をブンブンと回す『むちゃくちゃパンチ』を繰り出すしか――!?
どうやって二人に攻撃を当てようかと悩んでいる俺に、アレクが相変わらず感情の読めない表情で、何事もなかったかのように話しかけてきた。
「それで、手紙には何て書いてあったんだ?」
俺を虚仮にしたばかりなので無視しても良かったが、ティアラも俺に同様の視線を送ってきている以上、そういうわけにもいかなさそうだ。誤魔化しても仕方がないので、俺は正直に答えることにした。
「いや、それがまだ読んでいなくて……」
廊下で彼女から手紙を受け取った後、俺はすぐここに来たのだ。動揺しすぎて手紙を読むとか、自分の部屋に置いておくなどという考えが、俺の頭から綺麗サッパリ消えていたからだ。
「それじゃあ早速みんなで読んでみましょうよ」
「タ、タニヤ、それはちょっと……。やっぱりそういうお手紙は、本人以外が読んだらダメだと思うの……」
「あら。でも姫様は気にならないんですか?」
「うっ――」
タニヤの容赦ない指摘に、ティアラは頬を朱に染めながら困惑する。
「俺はお前が手紙の内容を他の侍女に言い触らさないのなら、別に構わないが」
「失礼ね。私だってそんなデリケートなことを言い触らしたりなんかしないわよ。サーラの心が傷付く可能性があるじゃない」
「今まで俺の心は、随分とお前に傷付けられてきたわけだが」
突然視線を天井にやり、ピューピューと下手糞な口笛を披露し始める金髪侍女。
こいつ……。本当に一回で良いから殴りてぇ。
「と、とにかく、まずはマティウスが一人で読んでみて。そして私達に見せても問題ないと思った時だけ、見せてくれたらいいよ」
本当はティアラもこの手紙に何て書かれているのか、確認したいはずだ。俺だって逆の立場なら我慢できない。それなのに彼女は――。ティアラのそういう優しさが、やっぱり俺は好きだ。手紙に何が書かれてあっても、俺の気持ちが揺らぐことはないと断言できる。
「……わかった」
俺は懐から手紙を取り出し、封を開ける。中には丁寧に折り畳まれた一枚の便箋が入っているだけだった。静かに便箋を開き、文字に目を落とす。
『マティウス様。
突然こんなお手紙をお渡しして申し訳ございません。
あなたを初めて見たあの日に、私の目はあなたに釘付けになってしまいました。
それからというもの、お城であなたの姿を見かけるたびに、目で追いかけていました。
お話さえしたことがないのに気持ち悪い女だと、変な女だと感じていられることでしょう。
ですが私、もう限界です……。私、本当に大好きなのです。』
大好き、という単語に、俺の心臓が限界を忘れてリズムを刻みだす。しかし俺は最後の一文に、思わず首を捻ってしまった。
『どうかあなたの頭を撫でさせてください。 サーラ』
…………なぜ? なぜ頭? この文面だと、俺の頭が大好き、というふうに読めなくもないが……。
もしかして、この硬くて短い髪の手触りが良さそうだから、触ってみたくなったのか?
っていやいやいや。おかしいって。おかしいってそれ。たぶん手触りの良さなら、丸坊主の奴の頭を後ろからじょりってやる方が勝ってるって。俺丸坊主じゃねーもん。そこまでじょりってならねーもん。
「……ど、どうしたの?」
困惑した顔をする俺を見て不審に思ったのか、ティアラがおずおずと尋ねてくる。これは彼女にも見せて判断を仰ぐか。俺は無言のままティアラに手紙を渡した。しばらく手紙の文字を目で追っていたティアラだったが、読み終えた後は俺と同じような表情になってしまった。
「『付き合ってください』じゃないんだ……」
「何々? 気になるわ。姫様、私達にも見せてください」
ティアラは一度俺の顔を見上げ「渡しても良い?」という趣旨の視線を送ってくる。問題なし、と判断した俺は小さく頷いた。そしてティアラは興味津々なタニヤに手紙を渡す。アレクもタニヤの隣にくっつき、二人揃って手紙を読み始めた。
「うーん……。確かに普通のラブレターとは断言できないような……」
「そうだな」
二人とも困惑している。女性陣から見ても、この手紙が普通のラブレターとは言えないらしい。
「大体、頭を撫でさせてくれって何だよ。意味わかんねーよ」
「もしかして、思い出を作りたいのかも……」
ティアラの一言に、皆一斉に視線を彼女へと向ける。ティアラはいきなり注目を浴びて恥ずかしくなったのか、その顔がほんのりと朱に染まった。
「どういう意味ですか、姫様?」
「え、えっとね、あくまで推測だけど。サーラさんは、これが叶わぬ恋だとわかっているんじゃないかなぁと思ったの……」
「あぁ、なるほど」
「えっ!? さっぱりわからねーんだけど?」
ティアラの言葉に納得するタニヤと、置いてきぼりの俺。タニヤは仕方ないわねぇと小さく呟いてから腕を組むと、俺に振り返りながら告げた。
「要するに、諦めるための儀式よ」
「……へ?」
「だから、儀式なのよ。サーラはマティウス君のことが好き。でも君がサーラに靡くことにはならないと、サーラは直感でわかっているのでしょうね。でも、気持ちだけはどうしても伝えたかった。そして君のことを諦めるために……自分の中でその想いを『思い出』にするために、『頭を撫でる』という儀式をしたいのよ。……きっと」
タニヤの説明を聞いた俺は、ただ素直に感心していた。あの短い文でそこまで読み取るとは。何か女性ってすげーな。いや、この場合真っ先に気付いたティアラがすげーな。
「…………」
そんな感心している俺の横で、顎に手をやり何やら悩んでいる様子のアレク。僅かに眉間に皺が寄っているが、こいつがこんな顔をするなんて珍しいな。
「どうした?」
「いや……」
アレクはその一言で、またいつもの無の表情に戻ってしまった。気にはなったが、どうせこいつのことだから改めて聞いても教えてくれないだろうし、ま、いいか。




