26話 俺の彼女が二人になった(後編)
「タニヤ……」
お前……。ティアラに何て物を着せてんだよ……。超グッジョブじゃねーかこのヤロー! と俺は心の中で金髪侍女に惜しみない賛辞を送った。ティアラが着ていたのは、何とタニヤとお揃いの侍女用の服だったのだっ。
見慣れた侍女用の服も、ティアラが着るだけで五割増し、いや、八割増しに可愛く見えてしまう不思議! むしろ金髪侍女なんていらんかったんや! と思わず言いかけてしまったが、言ってしまったら間違いなく俺の魂はこの世から切り離されてしまうだろうから、何とかググッと呑み込む。
しかし侍女用の服か……。良いな。凄く良いものだな。これからその格好で俺に色々とご奉仕してくれるわけなんだな! 夢が広がりんぐ!
ティアラは頬を朱に染めながら、恥ずかしそうにもじもじと指を弄り続けている。
……さっきの訂正。むしろ俺に色々とご奉仕させてクダサイッ! 欲しがりませんカツまでは!
そんなちょっとイケナイことを考えている俺に向かって、アレクが若干呆れながら呟く。
「お前、すぐ顔に出るからわかりやすいな」
「いや、だって仕方ねーじゃん。可愛いんだもん」
「語尾を上げる『もん』はやめろ」
「マティウス君、姫様が可愛いのは私も同意だけど――いいの?」
「何が?」
あれ、あれ、とタニヤは顎で俺の斜め後ろを差す。そちらに目線を移すと、着替えなかった方のティアラが床にうずくまり、指先で絨毯の毛をグリグリと弄くっていた。
「え、えーと、ティアラ?」
俺の呼びかけにも応じず、ひたすら絨毯に丸を描き続ける着替えなかった方のティアラ。
こ、これはもしかして、いじけている……のか?
「も、もしもーし? ティアラさん? ティアラちゃん? ティアラたん?」
「呼び方がどんどん気持ち悪くなっているわよ、マティウス君」
タニヤがジト目で俺に言ってくるが、今のは俺も無自覚だったのでほっといてほしい。
恐る恐るティアラに近付いてみる。その彼女の涙でいっぱいになった目元が視界に入った瞬間、俺の心臓の動きが一気に加速した。
「わ、私だって、着替えたら、同じなのに……」
うん。確かにそうだな……。同じだ。全く同じだ。
「それなのに、あんなに嬉しそうな顔を、しないでも……」
スミマセンスミマセン! でも本気で可愛いんだし、そこは仕方がないというか――。
「私が……」
ん? もしかして「私が本物なのに」と言おうとしているのか? こっちが本物のティアラなのか? 俺はうずくまる彼女の視線に合わせるためにしゃがみ込んだ。しかしティアラは俺の方を見てくれない。
ティアラは絨毯に丸を描き続けながら、少し涙で濡れた声でポツリと呟いた。
「私がマティウスの、彼女なのに……」
俺の心の中に最大クラスの爆破魔法が発動&炸裂! 何この究極の可愛さ! そしてそれ以上に嬉しい! すげー嬉しい! まさかティアラがこんなことを言ってくれるなんて! つまり俺にヤキモチを焼いていたと! 可愛すぎるだろおおぉぉッ!
人目も憚らず、気付いたら俺は彼女の頭を自分の胸に沈めていた。
「ぴゃ!?」
「うん。ティアラは俺の可愛い彼女だよ」
鳥の雛みたいな声を上げたティアラの頭を、俺はよしよしと撫でて慰める。こっちのティアラが本物な気がする。いや、この髪から漂ってくる甘い匂いは、間違いなくティアラだ。自分の直感を信じるぞ俺はっ。
だが横から突き刺さる視線に、瞬時に俺の全身から冷や汗が滲み出る。
この視線は間違いない、着替えたもう一人のティアラだ……。
錆びた歯車を回すようにギギギ……と首を回すと、予想通り彼女は真っ直ぐとこちらを見据えていた。その光を映さない瞳を見た瞬間、ゾクゾクっと悪寒が背中を走り抜ける。
あ、あれはもしかして、巷で噂のヤンデレ目というやつでは!? 何てことだ。嫉妬でティアラがヤンデレに!?
いや……。でもその光の無い目もクセになってしまいそうだな。あぁ、もっとその目で俺を見てくれ――って違う! 危ない性癖に目覚めている場合じゃねぇ!
先ほど胸の内に生まれたばかりの自信が揺らぐ。もし今俺が抱き締めているティアラが複製の方だった場合、本物のティアラの心は傷付いてしまっているわけで。でもこっちのティアラが本物だった場合、既に泣くほど傷付いちゃってるわけで……。
うがああああっ! もうわけわかんねー! どうすりゃいいんだよ!?
「お楽しみのところ悪いけど、そろそろお客様との面会時間なんだけど……」
「えっ!?」
タニヤの言葉に俺は慌ててティアラを解放する。そういえば面会があるってことをすっかり忘れてた……。
「どうするんだ? このまま二人共連れて行くわけにもいかねぇし……」
「時間がないから、こちらの着替えなかった方の姫様に行ってもらうというのはどうだろうか」
その瞬間、侍女用の服のティアラが何か言いたげな顔になったが、すぐに俯いてしまった。アレクはそんなティアラの前まで歩み寄ると、頭を深く下げる。
「お客様との一連の会話は、帰ったらオレがきちんと伝えます。ですからここは、申し訳ございません姫様……」
「私が本物だから行かせてって言っても、無理だよね……」
「わ、私が本物だから、私が行けば大丈夫だよ……」
着替えなかった方のティアラが、侍女服のティアラにそう言った。このまま二人が言い争いを始めてしまうのも時間の問題か? そう懸念した俺だったが、侍女服のティアラは諦めたように小さく息を吐いただけだった。
「状況がややこしくなるだけだから、私が待つよ……。お客様をお待たせしてもいけないし……。あの、よろしくね、アレク」
「はい」
アレクは侍女服のティアラに深く一礼した後、俺の方へと振り返り淡々と告げる。
「お前はここに残ってろ」
「え?」
「こちらの姫様の身に何かあったらいけないからな。その代わりこっちの姫様はオレに任せろ」
そう言うとアレクは、着替えなかった方のティアラの肩に手を置く。確かにどちらが本物かわからない状態の今、そうするのが一番か。
「わかった。もし俺の不在を突っ込まれたら、適当に誤魔化しておいてくれ」
「言われるまでもない」
アレクは口の端に小さな笑みを作ると、着替えなかった方のティアラと共に部屋を出て行った。
「あの、マティウスは……どっちが本物だと思う?」
二人が出て行った扉から視線を外さず、部屋に残った侍女服のティアラが小さな声で俺に問う。
「正直に言うと、わからん。ごめんな。俺、彼氏失格だよな……」
俺は硬い髪を掻きながら、彼女にただ謝ることしかできなかった。
「ううん。謝らなくていいよ。マティウスは何も悪くないんだし……」
確かに俺は何も悪いことはしていない。ていうか、そもそもこんな状況になったのもタニヤのせいだ。つまり全てタニヤが悪い。俺は何も悪くないッ。
と俺がタニヤに全ての責任を擦り付けて心の安寧を求めていると、ティアラは窓の外へと視線をやりながら、どこか自嘲気味に小さく呟いた。
「でもまさか、自分に嫉妬しちゃう日がくるなんて、思ってもいなかったな……」
「…………」
俺は彼女に静かに歩み寄り、無言のまま桃色の髪に手を伸ばす。そして先ほどあっちのティアラにしたように、よしよしと頭を優しく撫でた。これで彼女の気持ちが晴れるとは思わないが、いても立ってもいられなくなったのだ。
瞬時にティアラの顔に赤みが差す。この反応を見ると、こっちのティアラが本物のような気もしてくる。
……あぁもう、自分が嫌になってきた。何が世界で一番愛してるだよ。どうして本物を見分けることができないんだよ。
「本当に、わからなくて、ごめん……」
彼女の頭を撫でていた俺の手は、自然に彼女の頬へと移動していた。少し潤んだ琥珀色の瞳が、俺の心に突き刺さる。俺は彼女の目の端に浮かんでいた小さな水滴を指で拭うと、そのまま腰を落とし――。
刹那、俺の視界の端に映ったのは、ニヤけた顔をこちらに向けている金髪侍女。
「…………」
「あぁ。私には構わず続けて続けて」
満面の笑顔でパタパタを手を横に振るタニヤ。こいつの存在を素で忘れていた……。
ていうか無理だって。そんなガン見されているのを自覚しつつ続けるのは無理だって。まるで子供がダンゴムシを観察する時の如く爛々とした目で見られているのに続けるのは無理だって!
お約束のように、ティアラの頭からぷしゅーっと湯気が出始める。
うん、まぁこうなるわな……。っつーか多分俺の顔も負けず劣らず赤いと思う。何なのこの恥ずかしい空気感。
しかし次の瞬間、その空気は一変した。いきなり部屋の扉が乱暴に開かれたからだ。突然の大きな音に思わず肩を震わせる俺達三人。顔をそちらに向けると、そこには大きく息を切らすアレクの姿があった。
アレクはティアラに向かって一直線に駆け寄り、侍女用の服を乱暴に脱がし始める。その手の動きには一切の迷いも感じられない。
「やっ――!? ちょっ――!? ア、アレク!?」
「お前いきなり何してんだ! そういうのは俺にやらせろ! ……じゃなくて、何でここに――」
「消えたんだ!」
俺の言葉を遮り、珍しくアレクは焦りを顔に滲ませながら叫んだ。そして尚もティアラの服を剥ぎ取りながらアレクは続ける。
「オレと同行していた姫様が、いきなり煙のように消えてしまったんだ! ……お客様の前でな!」
「なっ――!?」
アレクの返答に思わず絶句する俺達。
消えた、だと!?
「つまりこっちが本物の姫様ということだ。今応接間は軽くパニック状態になってしまっている。だから早く着替えて戻っていただかないと――!」
「事情はわかったから落ち着いてアレク。着替えは私に任せて」
横から手を伸ばしたタニヤは落ち着き払った態度でアレクを制すると、そのまま俺の方を振り返った。
「あ、マティウス君は外に出るか寝室に閉じこもっておいて」
「何でだよ!?」
「いくら彼氏でもレディの着替えを観察するなんて趣味悪いわよ」
「…………」
俺は無言のまま部屋の外へ出るしかなかった。
扉に背中を預けたまま腕を組み、俺はティアラの着替えが終わるのを廊下で待ち呆けていた。
しかし侍女服を着たティアラが本物だったとは……。つまりティアラにはヤンデレの素質があるというこぷぎゅるッ!?
バン! と勢い良く開かれた扉に押された俺の全身は、サンドイッチの具のように容赦なく壁と扉の間に挟まれてしまっていた。
注意一秒怪我一生! 人が居るのがわかっている時はもっと扉は静かに開けやがれ! 指差し確認を行っても良いくらいだぞ! と文句を言おうと振り返ると、そこには着替えたティアラを抱え、目にも止まらぬ速さで廊下を駆け抜けて行くアレクの後ろ姿が。
あ、あれ……。俺、もしかしなくても置いていかれた? 強打した鼻を押さえながら、俺は目を点にすることしかできない。
「ま、ここはアレクに任せて留守番しときましょ」
扉からひょこっと顔を出したタニヤが、小さく笑いながら俺にそう言ってくる。まぁ、どうせ最初に俺の不在の理由を説明してくれているだろうし、大人しく待っとくか……。一抹の不安を覚えつつも、俺はタニヤの言うがまま部屋の中へと戻るのだった。
「さて……」
部屋に入って間も無く放った俺のその一言に、ピクリとタニヤが肩を震わせ顔を引き攣らせる。既に今から俺が何を言わんとしているのかはわかっているらしい。お前のその期待に応えてやろう。
「あの薬、本質的にはネコ化薬と同じじゃなかったのかナー? 薬屋の娘さん?」
「う、うるさいわね。わ、私にだって見誤る時くらいあるわよ……」
ピピピピピと小さな汗を散らしつつ言い訳するタニヤ。
……こいつのこんな態度はなかなか見れるもんじゃない。面白い。
「かなり自信有りげに仰っておいででしたが?」
やべぇ。口元が勝手に緩んでしまう。楽しい。
「し、仕方ないじゃない。確かに私は薬屋の娘だけど、今はか弱い姫様の侍女なんだから!」
「誰がか弱い――」
……少し調子に乗りすぎた。こちらを睨むタニヤの形相と漂ってくるオーラがえらいことになってしまっている。それはまるで、世界の滅びを望む邪神の如し。俺の脳内ですぐさま討伐隊が結成されてしまうほどだ。
「ナンデモアリマセン」
俺は邪神――もとい、金髪侍女にカタコトでそう言い返すのが精一杯になってしまった。
タニヤを面白おかしく責めてやろう作戦、失敗に終わるの巻――。
穏やかでけだるくて少しだけ熱い、午後の日差しが部屋に差し込んでくる。窓に近い場所に設置された木製の丸いテーブルを囲んで、俺達四人は紅茶で一服をしていた。
「疲れたな……」
誰に話すでもなく、アレクが天を仰ぎながら小さく呟いた。アレクのその言葉に、無言で首を縦に振る残りの三人。いや、タニヤ。お前は同意するな。そもそも今回の騒動はお前の不注意のせいだろうが。
あの後アレクが何とか上手く誤魔化したらしく、面会は無事に終えることができたらしい。……何て言うか、ご苦労さん。俺、留守番で良かったかもしれん。
心の中でアレクを労いつつ、俺は横目でチラリとティアラを見る。
それにしても侍女用の服、可愛かったな……。また今度お願いして着てもらおうかな。
「あぁ、そうだ」
アレクは何かを思い出したようにポン、と手を鳴らすと、いつもの無表情を俺に向けてきた。
「陛下にお前はどうした? と聞かれたので、拾い食いをして腹を壊した、とちゃんと説明しておいたからな」
「勝手に俺を意地汚い奴にするなぁッ!?」
不在の理由としては最悪な類じゃねーか! むしろそれでクビになりそうな気もするんだが!?
思わず椅子から立ち上がりアレクに詰め寄る俺。
しかしアレクはそんな俺の態度など全く気にするそぶりを見せず、今度はその無表情をタニヤへと向けた。
「ちなみに消えた姫様はタニヤのイタズラだった、と説明してきた」
「いやああああぁぁっ!?」
頭を抱えて涙目で絶叫するタニヤ。それについてはよくやったアレク。たまにはこういうおしおきもこいつには良い薬だろう。薬屋の娘なだけに。
俺は再度椅子に腰掛けつつ、心の中でアレクに親指を立てたのだった。
……うん、茶が美味い。
 




