21話 俺の為に作られたシチューがヤバイ(後編)▼
何とか取り分けは終わった。とりあえず第一関門は突破だ。
シチューを皿に入れるだけの作業に精神力をごっそりと削られてしまった俺は、心の中で大きな溜め息を吐いた。
ちなみに、あの黒い手はもう現れることはなかった。沈んだはずのレードルも鍋の中にはなかったが、俺はその存在を無理矢理忘れることにした。
あのレードルは犠牲になったのだ……。
とにかく疲れた。物凄く疲れた。
だが、まだ終わりではない。
次は最大の試練『食べる』を実行しないといけないわけだが……。
「みんな用意できたね? それじゃあ食べようか」
ティアラの号令の後、一斉にスプーンを手に取る俺達。
うん、やっぱりこの声には癒されるな。よし、それでは早速ティアラが作ったこの炭の塊……じゃない、ベーコンとポテトのパイをいただこう。
俺は炭をスプーンに乗せ、そのまま一気に口に放り込んだ。
がりっ!
想像以上に歯応えがあって少し驚いたが、そのままバリバリと噛み砕く。その瞬間、口の中全体に広がる苦い味。
うん、まぁ、その、何だ。
…………凄く、炭です。
そうとしか言いようがなかった。だって本当に炭なんだ……。
その時俺は、自分に向けられる視線に気付いた。
細い眉をいじらしくきゅっとハの字に曲げ、今にも泣きそうな顔でティアラが俺を見ていたのだ。
ど、どうする? ここは下手なことは言えないぞ!?
「えっと、その……作ってくれて、ありがとう」
味を褒めると墓穴を掘りかねん。作ってくれたことに対するお礼――これが現状ベストな返答なはず。
え? 他の二人にはって? 今は俺の目に映ってないのでどうでも良い。
そして読み通り、ティアラは俺の礼にぱあっと顔を明るくした。
うん、可愛い。超可愛い。今すぐ抱き締めたいくらい可愛い。でも付き合ってもいないのにいきなりそんなことをしたら嫌われること必須なので、俺はその衝動を懸命に押さえ込む。
愛とは甘いだけでなく、時に苦い時もあるのだ。そう、この炭の塊は試練だったのだ。俺の前に立ち塞がる、身分の差という試練を体現した物だったのだ。
「マティウス君、今馬鹿なことを考えてるでしょ」
タニヤがジト目で俺を見ながら言う。
うっせ。お前はさっさとその緑に変色したニンジンを食え。
そう俺が心の中で悪態をついた時だった。
「あーーっ!?」
突然アレクが大きな声を上げ、俺の後ろを指差したのだ。
何だ!?
俺を含む三人は一斉にアレクの指差す方を見る。だが――――。
そこには何もなかった。皆疑問に思いながらアレクへ向き直る。
「アホが見ーるー♪」
アレクは変な調子を付けてそう言いやがった。満面の笑みが腹立ち具合を助長する。
……殴ってもいいだろうか?
額に血管が浮き上がるのを実感した直後、アレクはいきなりすくっと立ち上がる。そして腕を組んで仁王立ちした。
今度は何だ? っつーか、明らかにアレクの様子が変だ。こいつはいつも無表情で、感情を大きく出すこともない。口数も少ないんだが……。
も、もしかしてさっき俺が入れた、キノコのせいか?
「今から王様ゲームをやります。そしてオレが王様です。ひざまずきやがれ者共」
いきなり何だこの暴君! それもうゲームじゃないし! 勝手過ぎんだろ!?
呆ける俺達を無視して、アレクは俺とティアラをずびしっ! と交互に勢い良く指差した。
「今からお前らキスしろ!」
「なっ――!?」
何という俺得命令! でも強制力など無いに等しいので、素直に従うのもちょっと……。
恐る恐る横目でティアラを見ると、彼女は涙目になりながらあわわわとシチュー皿を両手でくるくると横に回していた。混乱しているらしい。そんな混乱した様子も可愛いなちくしょう!
……などと悶絶していると、アレクが俺の後ろに移動してきた。
「キース、キース、キース!」
そして手拍子を付けながら俺を煽る。
この馬鹿にした感じの声が超うっぜええええええええぇぇぇぇ!
思わず衝動のまま立ち上がり、膝よ砕けろとローキックをアレクに向けて放つが、華麗な跳躍であっさりとかわされてしまった。
くそっ、虚仮にされたみたいでめっちゃ腹立つ。
「ふふふふ。そんなですね、攻撃ではですね、オレには通用しないのですね」
アレクは不気味に笑いながら、眼鏡をくいっと上に押し上げる動作をしつつ俺に言う。
お前、眼鏡を掛けていないのに何やってんだ。エアメガネか。
ていうか完全にキャラが崩壊してんじゃねーか!
恐るべし毒キノコ。俺が食わなくて正解だった。
「それにしても絶望した! 折角ちゅーするチャンスをくれてやったのに動かないなんて! お前のヘタレ具合にオレは絶望した! こうなれば取って置きの物を用意してやるから待っていろ!」
止める暇もあらばこそ。
俺を指差して力いっぱい宣言したアレクは、疾風の如き速さで食堂から外に飛び出して行ってしまった。
………………。
俺はまだ皿をくるくると回しているティアラの頭にぽんっと手を置いて、その動きを止めさせる。
「ふぇ? あ、あれ? 私、何を……」
いや、思い出さなくていい。何か俺も恥ずかしくなってきたから。
「続き、食うか……」
俺は誰に言うでもなく、脱力しながらそう呟くのだった。
あれから不気味な色に変色した野菜達を、その都度崖から飛び降りる覚悟で口に運んだんだが、意外にも味はちゃんと野菜だった。
まぁ、あれだけぐつぐつしていたのになぜか火はほとんど通っていない、という謎の出来上がりだったわけだが、吐くほどではなかった。既に俺の感覚もおかしくなっていたのかもしれない。
さて、いよいよこの深緑の液体を食べる時がきてしまった。
今までは意図的に避けていたんだが、もう食べる具もなくなってしまったので誤魔化せない。思わずスプーンを持つ手が震える。
そんな俺を今まで無関心だったのに、タニヤがすっげー見てくる。
何でそんなに注視するんだ。見るな。
俺は目をぎゅっと瞑り、震える手でそのスプーンを口に運ぶ。
そして、一口。
…………あれ? こ、これはもしかして――。
「美味い……だと……?」
確認のため、もう一口。同じ味だった。
口の中に広がる、濃厚でクリーミーな味。それでいてしつこくなく、口当たりは絹のように滑らかだ。
刹那、牛達がはむはむと草を食べている、のどかな牧場の風景が脳裏に浮かぶ。
こ、これが優しい味、というやつなのか――!?
そんな……。こんな残飯をこねくり回したような見た目なのに美味いとはどういうことだ? 納得いかねー!
そう思いつつも俺の手は止まらない。
ちくしょう、何か悔しい。でも美味いから食べてしまう。
……結局、俺はシチューをキレイに完食してしまった。
「いやいや、マティウス君良い食べっぷりだったねー」
タニヤが両手を合わせ嬉しそうに言う。
自分でも驚いている。まさか美味いとは……。
あとお前らに謝らないといけないな。見た目があんなんだから、俺完全に誤解してたよ……。料理は見た目じゃないってことがよくわかった。大切なのは味、そして何より心だよな!
「やっぱりコレを入れて正解だったみたいね」
そう言いつつ彼女がポケットから取り出したのは、小さな花だった。
…………おい。ちょっと待て。何だそれは?
「どういう意味だ」
顔を引き攣らせながら言う俺に、タニヤは満面の笑みを浮かべながら答えた。
「これね、何でも美味しく感じられるようになる成分が含まれた花なの」
「………………」
「ちょっと腕に自信がなかったからついつい入れちゃったんだけど、正解だったみたい。てへっ☆」
そう言うとタニヤはぺろっと舌を出した。
てへっ☆ じゃねーよ! ふざけんな! お前実はマズイのを自覚してたとか性質悪すぎだろ!
もう一発でいいから殴らせろ。男とか女とか関係ない。今はジェンダーフリーの時代だしな!?
ゆらり、と俺が立ち上がったその時、食堂の扉が勢い良く開いた。そこにはクッションを持ったアレクが、困惑した顔で立っていた。
「……何でオレ、食堂の外に出てたんだ?」
どうやら正気に戻ったらしい。
だが何と言って説明したものか。お前らの誰かが入れたキノコのせいだと正直に言って良いのだろうか。
「あと、これは何だ?」
アレクは手に持っていた、ハートの形をしたクッションを俺達に見せながら問う。そのクッションには『はいorいいえ』という刺繍が施されていた。
俺が知るか…………。
もう何からツッコんで良いのかわからない。
俺は大きな溜息を吐きながら、肩を落とすことしかできなかった。
「納得いかねー……」
俺はベッドの上で蹲りながら、もう何度目になるかわからない呟きを洩らした。
翌日、俺の腹が悲鳴を上げたのだ。それ自体は予想していたし仕方がないと思えるのだが、俺が納得いかないのは俺以外の奴らについてだ。
同じ物を食べたにも関わらず、女性達三人はピンピンしているのだ。
――何で俺だけ?
そのことが凄く納得いかない。あいつらには俺にはない消化器官でも存在してんのか? 女性って怖い……。
俺の部屋の扉をノックする音が響いたのは、そう考えた時だった。
「入っていいぞ……」
だるい様子を隠す気にもならなかった俺は、そのまま声に乗せて返事をした。間を置かずがちゃり、と控え目に開けられた扉から姿を現したのは、何とティアラだった。
「――――!」
俺は慌てて上体を起こす。
今日も変わらずその姿は愛らしい。途端に心臓が倍の早さで脈打ち始めた。
「あ、あのね。大丈夫かなぁと思って、様子を見に来たの……」
わざわざ俺を心配して来てくれたなんて!
くそっ、やっぱり抱き締めたい! その小さい身体を俺で包み込みたい! ついでに俺のベッドで一緒ににゃんにゃんしたい!
俺の思考が若干やばくなってきたところで、ティアラがおずおずと用件を切り出した。
「それでね。マティウスが調子悪いみたいだから、元気が出るようにって今度はみんなでスープを作ったの。た、食べてくれる?」
俺の女神は両手を胸の前で組み、可愛い顔で再び魔界行きを言い渡したのだった。
頼む、誰か俺と代わってくれないだろうか……。




