18話 俺と彼女が閉じ込められた(前編)
俺は渾身の力を込めて目の前の岩壁に拳を叩き付ける。
…………痛い。
手がバラバラになったのではないかと錯覚してしまうような痛みが、一拍遅れてやってきた。
「ダメだ。びくともしない……」
岩壁は俺の一撃に音一つ立てず、俺達の行く手を塞ぎ続けるばかり。
痛めた手をプラプラとさせながら、俺は力なく呟くことしかできない。
そのタイミングで岩壁の向こう側から、アレクの声が聞こえた。
「マティウス、聞こえるか?」
「あぁ。聞こえている。そっちからは何とかなりそうか?」
「いや、駄目だ。さすがに堅牢の女神の加護となると、オレの力でもどうにもならん」
「そうか……」
アレクの返答に、俺は溜め息と同時に肩を落とした。
「三時間程度で一度効果は切れるらしいわ。それまで待っておくしかなさそうね」
「わかった……」
タニヤからの情報に自分からアクションを起こすことを諦めた俺は、岩壁にもたれ掛かるようにして座り込む。それに倣って、俺と向かい合うようにしてティアラもその場に座った。
脚を両手で抱えてちょこん、と座る姿が可愛い。
外出用のドレスじゃなかったら、そして暗くなかったら確実に『見えて』いる体勢なのに……と少しがっかりしていると、外からアレクの声が聞こえた。
「姫様、三時間です。どうかご辛抱を」
「うん、わかったよ」
アレクの声にいつもより大きな声で答えるティアラ。二人に心配かけまいとしているのだろう。
「お前らはどうするんだ? ずっとそこで待っておくのか?」
「倒れた村長を一度村まで運んでくる」
「あぁ……。確かにへんな病気だったらヤバイしな。わかった」
「マティウス君」
「何だ?」
「私達はこの場を離れるけど。いえ、離れるから頑張ってね」
「余計なお世話だッ」
思わず拳を握りながら立ち上がり、岩壁に向かって声を張り上げる俺。
ティアラのいる前で堂々とそんなこと言うなっての!
「…………?」
しかしティアラは俺達のやり取りに小さく首を傾けるばかり。
この時ばかりは俺の気持ちに鈍い彼女に、少しばかり感謝したのだった。
俺とティアラは今、とある洞窟内に閉じ込められている。何故こんなことになってしまったのか――。
今日はティアラの視察の日だった。
ちなみに泊まり掛けの視察だったので、タニヤも同行だ。
訪問先は、数百年以上前のゴブリン大量襲撃の時に、重要な役割を果たしたと言われている洞窟。
城下町の入り口、町から少し離れた東の山沿いにある洞窟、そして城の北に広がる森――。
この三つの地点に堅牢の女神の力を使用し、さらにそれらを結びつけて大きな結界を張ったそうだ。そして結界に阻まれ右往左往するゴブリン達を、警備隊の連中がやっつけていったらしい。
そんな説明をしてくれたのは、見た目四十代、恐らく実年齢も四十代と推測される、黄味掛かった茶色の髪を持つおっさん。
見た目は普通のおっさんだが、東の洞窟の近くにある村の村長だ。村長自ら俺達を洞窟へと直に案内してくれたのだ。
まぁこんな田舎にお姫様がやって来るだけで、住民にとっては一大イベントだろうしな。
村はこの洞窟を観光名所としているらしく、村人達はこの洞窟を利用した様々な土産物まで作っていた。
「あの堅牢の女神も食べた」という謳い文句の付いた『洞窟饅頭』はちょっとどうかと思ったけど。
それはさておき、村長に洞窟まで案内された俺達は、その入り口前で洞窟に関する説明を聴いていた。
「実はこの洞窟、堅牢の女神の力を利用した仕掛けがあるのです」
「もしかして今も結界の力が残っているのですか?」
洞窟の中に足を踏み入れたティアラは、ごつごつした岩壁に手を添え、上の方を見ながら村長に問う。
俺も彼女につられて洞窟の天井に視線を向ける。この高さは俺が腕を伸ばして跳んでも手が届かなそうだ。
「いえ。さすがに何百年と経っていますので、もう大きな結界を作ることはできません。ですがこちらに隠されたボタンを押すと――」
村長はそこで洞窟の外に出て入り口脇の壁に手をやると、突然謎の言葉を呟いた。
「ぽちっとな」
次の瞬間、まるで幕が下りるかのように、岩壁がゴゴゴゴゴと低い音を立てながら下りてきて洞窟の入り口を塞いだ。たちまち俺の視界は黒く塗り潰される。
「このようにですね、絶対に外部からは破られない避難シェルターとして――あ」
「…………」
そこで得意気だった村長の言葉が途切れる。
……いや、気付いたんならさっさと開けてくれ。
「そ、村長さん!?」
外から聞こえてきたタニヤの慌てた声に、俺とティアラの間に緊張が走る。
もしかして村長はティアラの地位を狙っている奴と実はグルで、わざと彼女を閉じ込めたのか? そして今、邪悪な笑みをその顔に浮かべているとか!?
「どうしたんだ!?」
「急に気絶してしまったの!」
なんじゃそりゃ。いや、そう思ってはいけないんだろうが、ついつい。
あとすまんな村長。一瞬とはいえ、あんたを疑ったりなんかして。
「倒れたって、病気か?」
「わからんが、顔色はそんなに悪くないな。……脈も異常というほどでもないし」
「ええぇぇ……?」
――とまぁ、こんな感じで俺とティアラは閉じ込められてしまったというわけだ。
ちなみにアレクが言うには、村長は一度目を開けた後、まるで遺言を伝えるかの如く『三時間情報』だけを呟くと、またパタリと気絶してしまったそうだ。
よっぽどティアラを閉じ込めてしまったのがショックだったのか、単に現実逃避をしたいだけだったのかは、当然知る由もないが……。
岩壁に背を預けたまま、俺は改めて周囲を見回す。
入り口は完全に塞がれており、一筋の光すら洩れてこない。洞窟の奥の方に目をやるとさらに濃い闇が広がっているばかりで、奥の様子は全くわからない。じっと見ていると闇に呑まれてしまいそうで、距離感がおかしくなってくる。
「暗いな」
「う、うん」
俺がポツリと洩らした言葉に、ティアラが小さく反応した。
口に出さずともわかりきっていることだが、かなり暗闇に目が慣れてきたとはいえ、暗いものは暗いのだから仕方がない。
それに、俺がこの静けさに耐えきれなくなってきたというのもある。さっきから俺の心臓の爆音が耳の奥に響いていたからだ。この音が外に洩れてしまっていないか心配だ。
そこでふと、俺の頭にある不安が過ぎる。
「この洞窟、魔獣が住んでいたり……とかないよな?」
「…………」
嫌な沈黙が下りてしまい、俺はそれを口に出してしまったことを少し後悔した。
雨宿りに利用したほら穴が実は大型魔獣の棲家だった――なんて笑い話は昔からあるが、実際に自分の身に起こってしまうと、笑い話では到底すまされない。
となると、不安要素は潰すに限る。変に考えるより行動だ。
まあ一応観光地だから、おそらく魔獣がいる可能性は低いだろうけど。
でも万が一という可能性もあるしな。一応ここは自然豊かな山なわけだし、魔獣がいても何らおかしくはない。
「俺、ちょっと奥を調べてくるわ」
「えっ!? ま、待って!」
そう言って立ち上がった俺に、ティアラが慌てて声を上げる。そして次の瞬間こちらまで走り寄り、なんと俺のジャケットの後ろの裾を指先で軽く摘んだのだ。
「わ、私も行く……」
可愛すぎる声と動作にクラリと目眩がした。
瞬時に上昇する俺の体温。このまま俺が狼という名の魔獣に変身してしまいそうです……。
っつーかもうなっても良くね? 暗い洞窟の中で二人きり。しかも三時間は絶対に邪魔は入らないときた。
俺が護衛になってから、彼女に惚れてから約十ヶ月。今の状況は、まさに過去最大のチャンスと言っても過言ではない!
よし……いくぞ俺。これまでの想いの丈を今こそぶつけてやる。
そう、今日は俺の告白記念日。成功してもフラれても俺が男になる日! クライマックスはすぐそこッ! さぁ皆さんご一緒にッ!
己を鼓舞し決意を固めた俺は、身体を後ろに捻り、彼女の肩に手を伸ばし――。
「こ、こんな暗い場所で、一人にしないで……」
――伸ばしかけてやはりやめた。
おそらく常時なら聞き逃していたであろう、その声。
しかし視覚がほとんど頼りにならないこの状況で聴覚が少し研ぎ澄まされていた俺には、はっきりとわかってしまった。
彼女の声は、僅かだが震えていたのだ。
情けないことに、俺はティアラは暗闇が苦手なのだと、今初めて知った。十ヶ月も共に過ごしておきながら、今まで全く気付かなかった。
確かに思い返してみれば、俺達が毎日部屋を後にする時、一瞬だけその瞳に憂いが帯びていることがあった。しかしそれは、それまで部屋の中が賑やかだったのに急に静寂が訪れる寂しさの表れだと思っていた。
でもその認識は、半分は正解で、半分はきっと間違っていた。一人で迎える夜が、暗闇が怖かったのもあるのだろう。しかし彼女はずっとそれを押し黙っていたのだ。
おそらくこれは、タニヤも気付いてはいないティアラの一面だ。
そもそもあいつがそれに気付いていたのなら、「安心してください。私が姫様の隣で寝ますっ」と息巻いていただろうし。
『姫』というティアラの立場が、『甘える』という選択肢を彼女から無意識の内に奪っていたのだろうか。それとも母親がいないから、甘え方を、弱さを曝け出す術を知らなかったのだろうか。
どっちにしろそんなティアラが今、俺を頼ってくれている。そして信頼してくれているのだ。その彼女の想いを裏切りたくはなかった。
確かに俺の想いは彼女に知ってほしい。伝わってほしい。だが、それは俺の我侭でしかない。
彼女の弱った状態を利用して気持ちを一方的に押し付けてしまったら、それは愛情ではなくただの劣情に成り下がる。
「……そのまま」
「え?」
「ゆっくり歩くから、そのまま着いてきて。暗いから、足元に気を付けてな」
「う、うん」
俺のジャケットの裾を握る手に、少しだけ力が込められた気がした。
ゆっくり、そして慎重に、俺は壁に片手を這わせながら洞窟の奥へと歩いて行く。
結構進んできたと思うのだが、なかなか行き止まりにならない。
今のところ生物の気配は感じられないが、まだ油断は禁物だ。
それにしても、かなり深い構造の洞窟なんだな……と思っていると、今度は分岐まで現れやがった。暗闇に多少慣れたこの目を信用するならば、道は二手に分かれている。
「結構広いね……」
「そうだな。もう戻るか?」
「う、ううん。マティウスが行きたいのなら、もう少しいいよ」
「わかった」
彼女の言葉に甘えて、もう少しだけ進むことにする。数百年以上も前から存在するこの洞窟自体に、少し興味が湧いてきたというのもある。
俺はそのまま左手を這わせている壁伝いに、分岐を左へと進み続ける。
それからしばらく進んだところで、ようやく前方に壁らしき物が見えた。
「…………ん?」
暗闇の中でうっすらと浮かび上がってきたシルエットに、俺は思わず首を捻ってしまった。それは、普通の洞窟には絶対に存在しない物だったからだ。
突き当たりの壁際にあったのは、大きな本棚――。
なぜこんな所に本棚が? もしかして誰か住んでいるのか?
しかし、本棚以外の生活用品は見当たらない。何なんだこれは。
好奇心に逆らうことなく、俺はその大きな本棚に向かってゆっくりと近付いて行き――。
そこで唐突に訪れる浮遊感。
「おおっ!?」
「きゃっ!?」
えっ!? 何だ!? 落とし穴!? これはひょっとして罠だったのか!?
そう考えている間に背中に強い衝撃が走る。同時に全身が一気に濡れた。そしてごぶごぼぼっ!?
痛っ! 鼻痛っ!? めっちゃツンとする何これ痛い! そして冷てええええッ!?
いきなり鼻と口に進入してきた冷たい水にたまらず悶絶する。
上半身を勢い良く起こしたかったのだが、何かが腹の上にあって上手く起き上がれない。だがこれ以上鼻に水が入るのは嫌なので、腹筋の途中のような格好でプルプルと震える俺。
そんな状態なのに、腹の上の重さは心地良かった。この軽さと柔らかさは、間違いなくティアラだ……。
どうやら穴に落ちてしまった後、浅い水の上に背中から落ちた俺がティアラの下敷きになった、という状況らしい。
「だ、大丈夫?」
ティアラが心配そうに声をかけてくるが、結構無理な体勢をしているので声が上手く出てこない。
彼女が俺の胸に縋り付くような格好をしているのだと気付いた瞬間、俺の心臓の速度が上がってしまって、益々声は腹の底へと引っ込んでしまった。
それにしてもティアラのこの体勢。まるで騎じょ……のようだと思ってしまった俺の頭は、この時かなり錯乱していたのだと思います。ハイ。




