13話 彼女の笑顔が見たい誕生日(後編)
陛下と二人で話をしたいから、とティアラに言われた俺とアレクは、先に彼女の部屋に戻ってきた。
「おかえりー。どうだった? いい男はいた?」
冗談か本気かわからない口調で、タニヤが俺達を出迎える。
「いや、おっさんばっかり」
「でしょうねぇ」
そう言った後タニヤが俺に近付き、何やら小声で話し掛けてきた。
「でもマティウス君、案外姫様は頼れるおじさまが好みのタイプかもしれないから、油断は禁物よ」
な、なるほど……。それは全く考えていなかった。
もしそうだった場合、俺が物凄く頼れる奴になるしか対抗手段はなさそうだ。年齢だけはどう頑張っても変えられないからな。
よし、見てろよティアラ。俺は頼れる男になってみせるっ。
そう心の中で誓い拳を握った瞬間、タニヤは表情を一変させてアレクに向き直る。
「それはともかく、二人とも姫様にプレゼントをあげるわけでしょ?」
「あぁ。まぁ」
「当然だ」
俺とアレクはほぼ同時に頷いた。
「で、で。何をあげるの? マティウス君」
「どうしていきなり俺に振るんだよ」
「えー。だってそりゃあ、ねえ?」
タニヤはそう言いつつ、アレクに同意を求める。アレクは無表情のままニヤッと口の端だけを僅かに上げた。
怖っ!?
ていうかおい。もしかしなくてもアレクも俺の気持ちを知ってるってことかよ!? 簡便してくれ。
タニヤに知られているってだけでも、かなり恥ずかしいのに!
「それで何をあげるのかなー? ちょっとお姉さんに教えてくれないかなー?」
タニヤはうりうりと肘で俺の脇腹をつついてくる。
このニヤニヤした顔がかなりうぜえ。でも見逃してくれる可能性はほぼ無いと判断した俺は、渋々ながら言うことにした。
「髪飾りだよ……」
「おぉ!? 意外! 君にしてはなかなか良いチョイスね」
何だよその言い方。誉められているのか、けなされているのかわからんぞ。
「お、お前らはどんなのあげるんだよ?」
「私はワンピースよ。姫様ってラフな部屋着がお好きみたいだしね。姫様に似合いそうな可愛いデザインの物を作ったのよ」
楽しみにしときなさい、とまた肘でウリウリと俺をつつきながら言うタニヤ。服を自作できるとか、何気にすげぇな……。
いや、そもそも侍女と護衛のスキルを比べること自体が間違っている。俺は俺だ。気にしたらダメだ。
「ふーん。で、アレクは?」
「オレは秘密だ」
「えー、何それずるい」
タニヤが文句を言った丁度その時、部屋の扉が静かに開かれた。
「みんなお疲れ様。今日はありがとう」
そう言いながら入ってきたのは言うまでもなく、この部屋の主。うっすらと化粧が施されたその顔には、少しだけ疲労の色が滲んでいる。
「姫様こそ、大勢の貴族連中の応対お疲れさまでした」
「えへへ。ありがとう。やっぱりああいう大人の人がたくさん集まると、ちょっと緊張しちゃうね」
「もう姫様も、その大人の仲間入りですよ」
「あ、そうか」
ティアラは頬を掻きながら少し照れたように笑う。
まぁ年齢的に大人に分類されるようにはなったけど、小さいから見た目は全然大人に見えないけどな。
「あの、タニヤ、お着替えのお手伝いをしてくれる? 背中に手が届かなくて……」
「もちろんです、姫様」
ドレスに目線を落としつつそう頼むティアラに、タニヤは笑顔で答えたのだった。
寝室から出てきたティアラの姿を見た瞬間、俺もアレクも目を丸くしてしまった。
ティアラは、俺達が今まで見たことのないワンピースを身に着けていたからだ。
胸の真ん中に赤の細いリボンが着いたそれは、ふんわりとした感じがティアラの雰囲気にぴったりだった。
「あの、これ、タニヤがプレゼントしてくれたの。に、似合うかな……?」
ワンピースの裾を指で摘み、少し照れながらティアラは俺達に聞く。
その格好と仕草だけでスープ三杯は余裕でいけます。昼間の白のローブ姿といい夜の方も益々捗りそうです。本当にありがとうございますッ。
――というセクハラ紛いのアホな感想を馬鹿正直に言うわけにもいかないので、俺は無難な言葉で済ますことにした。
「よく似合ってる」
「ええ。とても可愛らしいです、姫様」
「ありがとう」
俺とアレクの誉め言葉にティアラは少し頬を赤く染める。そのはにかんだ顔も可愛い。
寝室から出てきたタニヤが、そこで俺達にブイサインを作って見せた。
今回は良い仕事をしたなお前。
誉めてやりたい気分だったが、言葉に出したら調子に乗りそうなので黙っておく。
「では姫様。オレからもプレゼントです」
アレクはそう言うと、テーブルに置いてあった紙袋をティアラに渡した。アレクの奴、一体何をあげるのだろうか。
「わぁ。ありがとうアレク」
ティアラは嬉しそうに紙袋の中からプレゼントを取り出した。
と、俺はティアラが手にしたそれを見た瞬間、危うく鼻血を噴出してしまうところだった。
……おい、ちょっと待てアレク! そ、それは……。
「し、下着? だよね……?」
ピンクの紐状の物体を持ちつつ、ティアラはやや自信なさげに呟いた。
そこで俺の目が気になったのか、ティアラは突然くるりと回り、俺に背を向けた。
ああ、そうしてもらえると助かる。今俺の頭の中では、その危ない下着を身に着けたティアラが、挑発的なポーズを繰り返して俺を悩殺しようとしていたからな!
正直にぶっちゃけると俺の俺がクライマックスになりかけていたので、とりあえずさっき見た貴族のおっさんのハゲ頭を思い浮かべることに専念した。こんなところで元気いっぱいになった愚息を見られるわけにはいかん。絶対に嫌われる。
静まれ煩悩。心に轟けおっさんのハゲ頭。世界はエロとハゲでできているっ! と、俺の頭の中がわけわからんことになったところで、ティアラが小さな声を発した。
「ア、アレク……。でも、これ、隠す部分が小さい気がするのだけど……」
「勝負下着ですから」
アレクは淡々とした声で言い切りやがった。
いや、はっきりと言えば許されるってものじゃねーだろ!?
「と、とにかくありがとう」
ティアラはその紐――もとい下着に目を落としながら、勝負って下着の限界に挑んでいるって意味なのかな……と呟いていた。どういう物なのかわかっていないらしい。
いや、ティアラ。そういう意味の勝負じゃねーから……。
心の中で彼女にツッコミを入れていると、タニヤとアレクが俺に視線を注いでいた。次はお前の番だ、と。
よ、よし。いくぞ。
「あ、あの、俺も」
俺は緊張しながら懐から小さな紙袋を取り出す。
しかしずっと持ち歩いていたので『あなたの靴を温めておきました』と言わんばかりにホカホカ状態になってしまっていた。
冷静に考えたら、男の体温が感じられるプレゼントとか、ちょっと気持ち悪いかもしれない……。
さらに追い討ちをかけるように、紙袋にも小さな皺が幾つもできてしまっていた。
しまったあッ! 見た目がこんなにくたびれた感じになってしまうところまで想定していなかったあッ!? い、いや。でもすぐに開封するから問題ないだろう、うんっ。
問題ないと思わせてくれ……。ちょっと今、心が折れかけている。
だがティアラは俺に小さく微笑みながら、皺の入ったホカホカの紙袋を受け取ってくれた。絶対に気付いているはずなのだが、何も言わないでいてくれるあたり、やはり彼女は優しい。
さて、果たしてティアラは中身を喜んでくれるのだろうか――。
期待と不安が交互に俺を襲う。
今まで経験したことのない早さで鼓動を打つ心臓に、思わず胸が苦しくなる。
「わぁ……。綺麗……」
二日振りに見る朱鮮石は、初めて目にした時と変わらぬ輝きを放っていた。
「マティウス、ありがとう。嬉しい」
「――――っ!」
彼女は満面の笑みで俺に礼を言う。
それは俺が待ち焦がれていた、眩しくて愛らしい笑顔。そして今、この笑顔は俺だけに向けられている……。
嬉しくて嬉しくて仕方がないはずなのに、それ以上に胸がきゅっと締め付けられて苦しい。
俺は咄嗟に彼女から顔を逸らしてしまった。顔が赤くなっているのが自分でもわかる。
しかし逸らした視線の先には、タニヤの姿が。
今にも声を出して笑い出しそうなほどニヤニヤと俺を見ていたので、仕方なくティアラに視線を戻す。
ティアラは髪飾りを手にしたまま、上目遣いで俺を見ていた。
「あ、あのね……。早速付けてもらってもいい?」
そして遠慮がちにティアラは言う。俺は彼女の言葉を理解するのに、軽く十秒は要した。
「付けて…………。ってええええええっ!?」
俺が付けんの!? この髪飾りを!? 彼女のサラサラの髪の毛に触れつつ甘い匂いをくんかくんかと嗅ぎながら!? 俺が!?
「うん。あ、あの、でも、嫌なら無理にとは――」
「いっ、嫌じゃなひっ!」
おい、何でこのタイミングで噛むかな俺!? むしろ今噛む要素なかったよな!?
「それじゃあ、お願いします」
ティアラは俺に髪飾りを渡すと、静かに目を閉じた。
……ヤバイ。何がヤバイのかって、俺の理性が吹っ飛びそうでヤバイ。
俺にはティアラのこの状態が、『目を閉じて恋人のキスを待っている可愛い彼女』にしか見えなかったのだ。
いっそのこと頬でもいいからいってしまうか? そう、誕生日おめでとうと軽いノリでやってしまえば、きっと後腐れはないはずだ。
うん、行け。やってしまえ。勇気を出すのは今しかないぞ俺っ!
そう決心した俺は、彼女の顔の高さにまで腰を落とし――。
刹那、ティアラの頭上に現れた顔二つ。
半笑いを浮かべる侍女と、無表情な同僚。
表情こそ違ってはいたものの、二人の目は全く同じことを語っていた。『変なことを考えていないでさっさと髪飾りを付けやがれ』と。
スミマセン……。
軽く咳払いをして気を取り直すと、俺は佇まいを正した。
恐る恐るティアラの髪に手を伸ばし、そして静かに髪を掻き分ける。
俺の硬い髪とは天と地とほども違う、さらさらとした心地よい手触りが指先を刺激し、思わず全身に電流が走った。
あっちの世界に逝きかけた意識を必死で取り戻し、俺は髪飾りを彼女の頭にもっていく。まるで花嫁のヴェールを静かに持ち上げる新郎の気分だ。
そう考えてしまった瞬間俺の頭いっぱいに広がるのは、ウエディングドレスに身を包んで極上の笑顔を俺に向けるティアラの姿。
これは今から教会に駆け込みなさいという、神からのお告げか。いや、むしろ教会が来い! もうここを式場にしてしまおうっ。
「いたっ!」
「――――!?」
俺を妄想の世界から現実に引き戻したのは、ティアラの小さな悲鳴だった。
慌てて彼女に目をやると、そこには頭を押さえて涙目になっているティアラの姿が。
「マティウス君……。留め具の部分で姫様の頭を刺してどうするのよ。もっと気をつけなさいよ」
ティアラの頭を優しく撫でながら、タニヤがジト目で俺に文句を言う。
「ええっ!? ご、ごめん! でも別にわざとでは――」
「うん。わざとじゃないのはわかってるよ。マティウスは男の人だから髪飾りなんて付けたことないものね……。私が無理なお願いをしちゃって、ごめんね……」
ティアラがそう言っている間にタニヤが俺の手から髪飾りを奪い、実に慣れた手つきでパチン、とティアラの髪を留めた。
うがああああッッ! 何か盛大にやらかしてしまった感! 間違いなく今ので生まれかけていた何かが消滅した! 自分の妄想癖が恨めしい!
思わず頭を抱えて仰け反る俺に対し、ティアラが控え目に口を開く。
「どう、かな?」
照れ臭そうにそう聞いてくる彼女に、俺は直立不動を余儀なくされる。
また速度を上げた心臓の音が脳内に響く中、俺は改めて髪飾りを付けたティアラを見つめる。
部屋に入り込んでくる沈みかけた太陽の光に照らされ、朱鮮石がその名の通り鮮やかな光彩を放つ。その色は、幼い頃に家の屋根によじ登った時に見た、燃え盛るような大きな夕日に似ていた。
柄にも無く郷愁を誘われてしまった俺は、気付いたら小さく呟いていた。
「綺麗だな」
俺が言った次の瞬間、ティアラの顔が瞬時に朱鮮石に負けない赤さになってしまった。
…………。
……あ、あの。今のは髪飾りが綺麗だなという意味なわけで……。
でもそれを言ってしまうと『お前は綺麗じゃねぇよ』という意味にとられてしまう可能性が大だ! それはまずい!
違うんだ。ティアラは綺麗というより可愛いんだ。些細なようで俺の中では大きく違うんだ! トカゲとワイバーンくらいに違うんだ! この違いをどう伝えればいいんだ!?
いや、改めて『髪飾り付けたティアラ可愛いよ。ペロペロしたい』と言えばいいだけのことじゃねーか。
っていやいやいや! ペロペロはヤバイだろ俺! ドン引きどころの騒ぎじゃない!
動揺しすぎてまともな思考回路にならない俺。
アレクとタニヤに助け舟を出してもらえないかと視線を送ってみるが、二人ともあくまで傍観者に徹するつもりらしい。ひらひらと手を振りながら「面白いからそのままで」と口だけを動かしてきやがった。
お前ら、俺で面白がるのはやめろ……。
結局この後俺は何も言うことができなかったのだが、ティアラにとって俺の『綺麗』発言は尾を引くものではなかったらしい。すぐにいつもの態度に戻ってしまった。
何かを少し期待していた俺だったが、そういえばティアラはかなり恥ずかしがり屋だった。
仮に俺じゃなくてアレクが同じことを言っていた場合も、彼女は真っ赤になっていただろう。
そういう結論に達した俺は、人知れず落ち込むのだった。
「うーん」
今日の仕事も無事に終え、部屋へと戻る最中。
俺の隣を歩いていたタニヤが、何やら眉間に皺を寄せながら小さな唸り声をあげる。
ちなみにアレクの部屋は俺達の部屋とは反対方向にあるので、彼女とはティアラの部屋の前で早々に別れている。
「何を悩んでるんだ。便秘か?」
直後、俺の鳩尾に強い衝撃が!
「マティウス君、殴ってもいい?」
「きょ、強烈な一撃を腹に叩き込んだ後に言うな!」
完全に不意打ち状態でくらってしまったので、ちょっと涙目になってしまう。
くそ、こいつただの侍女のくせに意外といいパンチを持ってやがる……。
腹を押さえる俺の姿をどうでも良さそうな目で一瞥した後、タニヤはいつも通りのよく通る声で続けた。
「あのね、姫様、髪飾りを君に付けてもらうように頼んだじゃない?」
「そうだな」
まぁ、俺のせいで失敗したわけだけど。
「普通、そういうの男に頼むかなぁと思って……」
タニヤの言葉に、俺の心臓を脈打つ速度が途端に跳ね上がる。
「え――。ど、どういう意味だ?」
「さぁねー? ま、姫様って誰にでも同じ態度で接するから考えすぎかもね。たまたま君が目の前にいたから頼んだってところでしょ」
……確かに俺もそう思う。でももしかして、もしかすると――?
ありえないとわかっていても、生まれてしまった期待感はすぐに消えてくれるはずもなく。
部屋に戻る俺の足取りは、自然と軽快なものになっていたのだった。
【おまけ】の方に『リベンジ・誕生日プレゼント』という後日譚を掲載しております。




