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サモン・ブック  作者: たられば
■神聖王国に潜む陰編
1/2

始まりの火種

 彼には自信があった。

 師に教えを乞う者の中で、誰よりも上手く出来るという自信が。

 だからこそ、待ちに待った一人前として承認される為の卒業試験当日。彼の気合いはそれまでに類を見ないと言っていいものだった。

 薄暗い室内。磨かれた特殊な石の床、そこに書かれた魔法陣。流れるように紡がれる呪文の詠唱…

 身の内に飼う“魔力”を共に開放していく彼に迷いなど無く、――時は訪れる。

 室内に満ちた筈の魔力が、一つの奔流となり魔法陣へと吸い込まれていく。食われているようだ。彼はのちにそう語った。

 そして――――



 × × ×



 ここはラーシア大陸北部、アルディア山脈を背にした小さな町、セブリア。

 年中雪に覆われているこの町には、体を温める為の酒場がいくつも点在している。

 物語はその一つの酒場から始まる。


「おおっし! まーたおれの勝ちー。へっへ、悪いねえ」

 楽しげにコインを巻き上げる青年に、周囲からの野次が飛ぶ。

「おいおい、いかさまじゃねーだろうな?」

「言いがかりやよしてくれよ。おれが何かやったとしたら、百戦錬磨のおたくらのことだ。すーぐ気づかれちまうさ」


 それもそうか、なんて空気を作りあげてしまえばお互いに気分よく楽しめる。正式な場での型にはまったギャンブルと違い、こういった情報交換の場での簡単なギャンブルは楽しんだもの勝ちだ。儲けられればなお良し。


「ってことで、もうひと勝負! 誰かやらないかい?」

「おお! …と、言いてえとこなんだが」

「なあ? これ以上巻き上げられちゃあ母ちゃんに家からほっぽり出されちまう」

「誰かこのあんちゃんからおれ達の金取り戻せるやつはいねえかい?」


 店中に聞こえるような声。酒気をはらんだそれは笑いを含んでおり、盛り上がるこちらを窺っていた周囲もそれに合わせて声を上げる。誰かいねえか? おい、お前さん行ってみたらどうだい。そんな声がそこかしこで飛んでいる。

 そんな空気の中、一人の旅人と思しき男が青年の前に立つ。


「お、やるかい?」


 青年の声に対し、男は苦笑しながら一冊の本を出す。

 不思議な文様の描かれた仰々しい装丁の本だ。

 それを目にした瞬間、青年は周囲に気づかれない程度に警戒する。


「すまねえが、今ぁ手持ちの金がほとんど無くってな。賭けられそうなもんといったらコレくらいのもんだ」

「なんだいそいつぁ」

「旅の合間に報酬で貰ったもんだ。だが、おれにゃあさっぱり読めやしねえ。古代文字の一種だろうってんで学術都市かどっかにでも売り払っちまおうと思ってたんだが…」

「なるほどなー。んじゃまあ、それが金代わりでいいぜ? 古代文字ってのにも興味あるしな」

「おいおい、あんちゃん、お前さんじゃあ読めないだろ?」

「そうだぜー見るからに学が無いってのが丸分かりのツラしてんだからよお」

「うっせーぞオヤジ共!」


 ギャイギャイわあわあと賑やかな酒場の夜。笑顔が飛び交う中、青年は旅人の男を見事負かしてみせた。


「げっあんちゃん本当に強いな!」

「負け無しじゃねえか」


 酒を突き出すように祝杯だと渡してくる客のオヤジ達。初対面だというのに気のいい彼らの対応に同じように言葉を返しながら、旅人から本を受け取る。


「詳しい事は分からないが、まあ多少なら金になると思う。悪いな。」

「いやいや、たまにゃあこんな高尚な物賭けて勝負ってのも悪かねえさ。」


 本に施された装丁を指で軽く撫でながら、そっとほくそ笑む。意外や意外。こんな所でこんな物に出くわすたあ我ながらついてる。笑顔の裏でより深く笑う青年に気づかず、旅人はすまなそうに謝罪をし、酒の席へと戻っていく。

 それを見送ってすぐ、青年は立ち上がった。


「さーって、そろそろ賭けが出来そうなやつもいねーみたいだし、おれはそろそろお暇させてもらおうかねえ」

「おうおう、行け行けー!」

「お前さんの所為で今日はすかんぴんだあ」

「母ちゃんにどやされたらお前さんの所為だかんなあ」

「自分らの勝負弱さをおれの所為にすんなって! オヤジーお勘定。」


 チャリンチャリンとコインを数枚カウンターで客と話している店主へと渡し、踵を返して店の戸へと向かう。「また来いよー」「次は負けねえぞ」などと酒に焼けた顔のおっちゃん連中から声を掛けられながら店の外へ出た。

 冬に限らず寒いこの地域、酒が無けりゃやってられねえなと、気分よく道なりに歩く。

 向かう先は自分達が宿泊している宿屋だ。



「遅い。酒臭い。外で寝ろ。」


 部屋に戻るなり間髪入れず向けられた言葉の刃に蹲る。


「ひどくないっすか!? おれがアンタの分まで稼いで旅費やらなんやら出してるってのに…」

「…フォート、貴様懐に何を入れている。」

「聞いて! 会話のキャッチボールしましょう!!」

「フォート」

「はい! これっす!」


 フォートと呼ばれた青年が懐から取り出したのは一冊の本。

 最後の賭けで巻き上げたそれを、まだ幼いとすら言える少年へと手渡す。


「魔力を帯びた本とは、珍しいものを…どこからくすねてきた?」

「盗んでませんて! 賭けで勝って正当に頂戴してきたんすよ。」

「ふん、また酒場でギャンブルか。」

「だからアンタの旅費も…ああもう分かりましたって、スンマセン!」

「とっとと風呂に入ってその身に纏ってる酒気を払ってこい」

「イエッサー!」


 シュバッと音が出そうなほど勢いよく駆け出したフォートを視野にも入れず、少年の視線は渡された瞬間からずっと本へと注がれている。

 軽く検分したところ、特にこれといったトラップも無い。

 ただ、魔力が無いものには開けない作りになっているというそれだけ。

 そっと本の背に指を滑らせ、魔力を注ぐ。

 十分だと判断したところで、表紙をゆっくりと開いてみた。

 古い見た目に反し、なんの抵抗も無く開くそれに本自体が魔力を帯びているのだと知り眉根を寄せる。そんな技術、聞いた事が無い。少なくとも、現代には存在しない。

 何やら形容しがたい空気に飲まれそうな自身に気づき、舌打ちしながら少年はそっと視線を文字へと落とす。本自体に魔力があるなら、文字一つ一つにさえ油断は出来ない。そう判断したらしく、自らの魔力で視界を覆う事で他所からの干渉を防ぐ術を使う。


「なんだこれは」


 視線を滑らせていくうち、次第に彼の眉間に深い渓谷が出来上がる。

 一部の単語は、現代において古代語と言われている類のそれだ。しかし、それを除く大半は、古代語のようでいてまったくの別物だ。

 子供の悪戯とさえ思えるような今では考えられない言葉の配列、古代語のそれとも違う文法。これでは意味を成さないではないかと少年は不愉快もあらわに目を吊り上げる。

 しかし、目を通すのをやめない。

 直感が告げているのだ。これは、悪戯でもなんでもない、確かな物だと。

 確かに今では考えられないような並びをした言葉も、目を通す中で似た配列がいくつも存在していて、明らかな秩序がそこには存在しているのが分かる。


「我々の知る古代より以前が存在するというのか…?」


 もし、それが事実だというのならばこれは随分と厄介な代物だ。

 パタンと本を閉じ、眉間に指の腹を当てため息を吐く。


「フォート、フォート・L・アン、来い。」

「ぶえっ」


 天井に突如現れた魔法陣からベシャッと落下し、潰れたような声を出すフォート。

 その姿は、先程までの陽気などこにでもいる町の青年と僅かに違う。服装はほとんど変わらないが、その背には黒い羽が一対あり、先の尖った黒い尾もある。髪色も、明るい栗色の毛から夜闇を溶かしたような黒髪にすっかり変わっていた。


「痛いっすよご主人…」


 急に呼ぶのやめて、などと弱弱しい言葉を吐く彼の言動は、まるでそうは見えないが…


「悪魔のくせに情けない事をぬかすな。早く説明しろ」

「へい?」

「この本について知っていることを吐け。」

「え、いやいやいや! さっきも言いましたけど、それはただ賭けで貰ったってだけで他にはなんにも知らないっすよ!?」

「チッ」

「舌打ち!!?」

「お前が持ってきたこの本は世界の理に反する物だ。これがここにこうして存在する、その事自体が既に神に対する冒涜となりうる。」

「はぁ…」

「間の抜けた声を出すな阿呆め。…これは“在ってはならない物”だ。どうしてそんな物をたかだか旅人が持っている?」

「それは、…たまたま見つけたけど魔力が無くて中が見れなかったから、とか。」

「その可能性もあるだろうが、だが、こんな物が早々見つかるような物とは思えん。それこそ――」


 キュッと細められたブルーアイ。シルバーブロンドの髪の合間から覗くそれに剣呑な色が灯る。


「自ら望んで捜し求めない限り、な。」


 いつもの調子で金を巻き上げ、ついでに土産になりそうな本を手に入れられたと上機嫌だったフォートも、ここに来て居住まいを正す。厄介な拾い物をしたと言うにはいささか作為的なそれ。これはまさか…


「はめられた…ってことですかね。」

「十中八九そういうことになるな。そうと分かれば長居は出来ん。早々にここを発つぞ。」

「うえー…せっかく酒で体あったまったってえのに、こんな寒い中出にゃならんのですかい」

「誰の所為だ。」

「おれっすね、スンマセン、謝るんで杖向けんのやめてくださいマジで。」


 ピタリと鼻先に突きつけられた細身の杖。神官達が使う物と違い然程大きくもないそれが、魔力を込める事でどれほどの威力を伴うのかをフォートは知っている。そこいらの戦士が持っているようなロングソードなんて目ではない。


「明け方には発つ。」

「了解。」


 手に持った“在ってはならない物”である本を丁寧な動作で鞄にしまう自身の主人を眺めながら、着の身着のままの自分に支度も何も無いのだからとぼんやりとしていれば、彼が取り出したまた別の書物に目が行く。


「ちょっ」


 思わず背にしていた壁から身を離す。

 彼の手の中にあるそれ。自身の主人が、“主人”となるべく使われる魔力の憑代。

 リーズ・ライドという一人の少年が、悪魔を従わせるに値する者であるという証拠。

 召喚契約書『サモン・ブック』

 真名を交わす事で契約、服従を求める悪魔からすれば勘弁願いたい代物である。

 “それ”を今この場で出したという事は…


「呼ぶんすかあ!?」

「当たり前だ。」

「あ、当たり前って…」

「こんなわけの分からん事には、わけの分からん奴に対処させるのが一番だろう。」

「ええーーっ!!」


 杖の一振りで簡単お手軽略式魔法陣は完成する。

 こんな事に巻き込んだとあれば、きっと怒るだろうなあ。そうは思えど自分ではとてもこの暴君とも言えるご主人様を止める事など出来ないとフォートは理解している。ゆえに、これは不可抗力なのだ。

「契約の名のもと我を主に抱きし者よ、その姿を現せ。」

 魔力の奔流、ぶわりと膨れ上がったそれが一点に集約していくさまは何度見ても目をみはる。

 一瞬の静寂ののち、姿を現したのは――――



 × × ×



 彼女は当たり前の日常を、当たり前に過ごしているだけの女子高校生だった。

 幼い頃から小説や漫画を読みふけっては、その世界の続きを書き出して満足するようなそんな子どもで。想像力ばかり一人前ねと、母にはよく笑われていた。

 大きくなるにつれ、そういった事は減ったけれど本を読む事は減らさず、むしろ増えていく一方だった。

 特にファンタジー小説を読む事が多く、なぜと聞かれれば「決して起こりえない不思議な出来事だから」と、力強く答えた。当たり前だ。だってそういう物をファンタジーと言うのだから。

 だから、彼女はいつだって思っていた。

 世界の続きを考えるのは楽しい。自分とはまったく違う世界をこうして観賞するのは楽しい。

 けれど、特別行きたいとは思わないと。


 なぜなら彼女は自分が生きる世界が好きだから。

 なぜなら彼女は自分の身の丈という物を、人よりも知っていたから。


 夢見がちになる事無く、ひたすら現実的に当たり前を生きる。

 大きくなるにつれて、彼女の思いはそう強くなる一方だった――のに…。



 世界の反転。ぐるりと視界が回るような、軽い眩暈がしたかと思って瞬きを数回。

 目を開けた直後に訪れた非現実的かつ非日常的な状況は、そこそこ慣れた今にして思えど受け入れがたい物でしかないと、彼女は語る。



 × × ×



「さっむ! 寒い!! 何ここっ」

「姐さーん、久しぶりっすね。ここは冬の町セブリアですよ。これどうぞ」


 リーズの簡易召喚呪文が終えた瞬間、場に満ちていた魔力と引き換えに現れたのは見た目どこにでもいる女子高生だった。ただ、女子高生なんてものはこのラーシア大陸には存在しないため、彼女の風体は一種異様な物として人々の目に映るだろう。

 制服に鞄、帰宅途中だったのか、定期を取り出した姿で現れた彼女、ひよりは突然の世界の転換に一瞬呆けたが、次の瞬間あまりの気温の違いに蹲りながら声を荒げた。

 それも仕方のない事だ。何せここ、セブリアは外気温マイナス10℃を余裕で下回り、室内でも0℃近い。彼女が普段暮らしているところは0℃に近づく事がそうない土地なのだから、寒暖差に驚くのも無理からぬ事だ。

 いきなり変化した自分の置かれている状況を、数秒足らずで理解したひよりはフォートから手渡される厚手のコートをすばやく身に纏いながら、自分を呼び出したリーズを睨みつける。


「いきなり、なんの用!?」

「不可解な物を手に入れた。付き合え。」

「はあ? 人に物を頼む時はお願いしますって言いながら地べたに頭こすりつけろよ。」

「貴様…誰に向かって口を利いている。」

「何様、俺様、リーズ坊ちゃまですが何かあ?」


 お互いに喧嘩腰でもって距離を詰めるリーズとひより。

 どうにも気が合わないらしいこの二人は、ひよりが召喚されるたびにこういった低レベルの言い合いが始まってなかなか止まらない。それを知っている彼は、揃って自分より立場が上にある二人を説得しようと顔に冷や汗を浮かべつつ口を開いた。


「いやいや、お二方。今はそんな言い争ってる場合じゃないでしょ!? とりあえず今の状況説明するんで、姐さんはこっち来てくださいな。」


 説得の必死さにひよりがため息を吐きながら怒りを鎮め、歩み寄る。その目の奥には、まだ確かな苛立ちが宿っているのをひしひしと感じながらも、フォートは今現在に至るまでの状況を一切合財出来る限り分かりやすく打ち明けた。

 いつも通り旅費をギャンブルで稼いでいた事、その時に旅人がやってきて一冊の本を賭けて勝負した事、その本が魔力を帯びていた事、本の中身がこの世界で知られている古代以前の物かもしれないという事…。

 話し終える頃には彼女の怒りはすっかり解け、代わりに深く考え込む表情に変わっていた。


「これって、…やっぱなんか厄介な事に絡んでんですかね?」

 すでに分かりきった事とはいえ、少しでも否定して貰いたくて尋ねるが、ひよりの答えは端的で分かりやすく、その分理解したくない物だった。

「まず間違いなく厄介事だね。」


 断言出来るよと、いらない保障までつけてキッパリと言い切ったひよりに肩をガクリと落とし、火種を持ち込んだのが自分である以上文句も言えずに崩れ落ちるフォート。そんな彼から、やれやれと肩を竦めながら視線を外し、暖房設備すらない宿の室内を見渡したひよりは、こちらを視界に入れる事無く再び本に没頭しているリーズで視線を止める。彼の視線が文字を追う様子に、黙っていれば美形なのに口を開けば残念な俺様とか二次元だけで十分だと、失礼極まりない事を考えながら数歩分距離を縮めたその時――


「行くぞ。」


 本を閉じ立ち上がったリーズがそう言い放つ。


「え、どこにですか?」

「インファータルだ。」

「どこそれ?」


 この世界の土地勘という物が存在しないひよりが聞けば、さもそんな事も知らんのかと面倒くさげにため息を吐く。


「“智の都”インファータル。ラーシア大陸全土の智が結集する学術都市だ。」


 それ以上言う事は無いと、さっさと旅支度を整え外へと歩き出す彼の足取りに迷いは無い。

 仕方ないと早々に諦めたのかすぐ後にひより、ちょっと遅れて慌てた様子のフォートが続く。


 何もかもがバラバラででこぼこな彼らの、長い旅が今、始まった。



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